逆向誘拐 / 文善

第3回島田荘司推理小説賞受賞作。台湾皇冠から刊行されたものをすでに読了していますが、今回は日本語版を手に取ってみました。しかし中国語で読んでも日本語で読んでもマッタク印象は変わらず(当たり前といえば当たり前(爆))。

物語は、投資銀行に届いたデータ”誘拐”のメールをきっかけに、探偵役となる情シスのエンジニアと警察を巻き込んで、犯人との攻防が展開される、――という話。正直に告白すると本作、自分にとっては苦行本だったのですが、それでもやはり最後に明かされる”誘拐”事件の構図は素晴らしいの一言。結局のところ、本作の評価は、事件の構図が明かされるまでの展開の冗漫さ、冗長さをどう受け止めるかによって大きく変わってくるような気がします。

誘拐事件といえば、身代金受け渡しに至るまでの犯人と警察側との駆け引きのシーンによって緊張感を高めていき、受け渡しのシーンでクライマックスを迎える、――というのがいうなれば誘拐ものの定石ではないかと思うのですが、本作では、事件の関係者一同が早々にカンヅメにされてしまうため、まず身代金受け渡しに至るまでの展開に「動き」がほとんどありません。誘拐事件の調査は、本作の主人公でもあり探偵役を務める情シスのエンジニアと、刑事の視点のふたつから描かれていくのですが、探偵の視点から明らかに不審な動きをしているある人物へと焦点が定められ、その意味で真犯人の姿は推理の段階以前に明々白々。いっぽうの刑事の視点からは、システム開発に関わっていたエンジニアが炙り出されたりはするものの、前半ではもっぱら探偵役を務める情シスエンジニアが犯人ではないかと疑っているほどのボンクラぶりで、この二点からも本作はフーダニットとして魅力をはじめから放擲しているように見受けられます。

しかしながら、真犯人が誰か、という点は明らかにしながらも、その人物がなぜそのような振る舞いをしているのか、また眼の前に展開されている犯人側の様々な要求にその人物がどう絡んでいるのかがまったく見えて来ず、それが大きな謎となって読者の前に立ちはだかるわけで、その意味では本作、ホワイダニットとハウダニットを強く打ち出した物語と見ることができるでしょう。それでも当の探偵自身がホテルにカンヅメにされたまま、身代金受け渡しの現場に赴くこともできず、いっさいの動きを封じられてい、もっぱら金融知識のワイガヤが描かれるシーンの連続にはかなりの苦行を必要とするのもまた事実。

さらには現場へと足を運んで犯人の思惑通りに右往左往するのはボンクラ警察ばかりで、身代金受け渡しそのものにも大きな動きはなく、尻切れトンボのように収束してしまうにいたっては、「いったいデータを”誘拐”したっていうのは何だったんだ」と登場人物ならずとも感じてしまうところでしょう。

しかしながら、探偵や不審人物も含めた人間すべてがカンヅメにされ、ダイナミックな展開をいっさい封印した筋運びには大きな理由があり、いうなればこの展開の冗長さ、冗漫さは、最後の最後、探偵の推理によってイッキに事件の構図の反転へと大化けします。いうなれば、本作における「物語としての瑕疵」にはすべて必然性がある、――このあたりの技法は、最近感想を挙げた詠坂雄二『T島事件 絶海の孤島でなぜ六人は死亡したのか』にも通じるところがあるといえるカモしれません。あちらが「つまらな」いことを登場人物の口をかりて自虐的に語らせつつ、いわば確信犯的に読者への苦行を強いていたのに比較すると、こちらにはそうしたエクスキューズがナッシングゆえ、一部の読者は本作の冗漫さ冗長さを作品そのものの欠点として受け止めてしまうのではないか、――この点だけが心配といえば心配であります。

そして最後に探偵の口から明かされる事件の構図の妙は、以前にも言及しましたが、幻影城出身の某作家の某長編を彷彿とさせる、本格ミステリにおける誘拐ものならではの素晴らしいもの。「犯人」、「探偵」、「非誘拐者」といった誘拐事件の構成要素が本格ミステリの型の中へ的確に配置されているからこそ可能な反転構図によって、データを”誘拐”する(恐喝ではない)という不可解な表現の真意が明かされる趣向には、生粋の本格ミステリファンであれば必ずや感嘆されるに違いありません。

もっとも、本作における構図の反転が放つ魅力と、この一点に向かって練り込まれた必然的冗長さ冗漫さを天秤にかけて、読者がどちらに重きを置くか、――やはりそれによって本作の評価は大きく変わってくるような気もします。『T島事件 絶海の孤島でなぜ六人は死亡したのか』での繰り返しになりますが、冗長さ・冗漫さがすべて事件の構図の妙を活かすための必然であるとしても、すべてを許してしまえるか。それとも読者体験においては、結末だけでなく、その過程の面白さも重視しなければならないと考えるか――。

昔昔、刑事が足を使ってひたすら関係者に聞き込みを行うシーンのツマらなさや、屋敷に参集した登場人物たちの証言が物語の大半を占める冗漫さなど、読者に苦行を強いてきたかの時代にも、そのようなエンタメを放擲したかに見える展開や作風は議論されてきた筈ですが、読者体験における苦行”そのもの”が最後の驚きへ奉仕する技法の一つとなる作品の登場にょって、いま再びこの点について議論を深めていく必要が生じているのではないかナ、――などと考えつつ、そのいっぽうで多くの読者にそうした技法が歓迎される空気も今はないのでは、という気も個人的にはしています。この点についてはまたまた『T島事件 絶海の孤島でなぜ六人は死亡したのか』での繰り返しになるので割愛しますが、冗長さ・冗漫さをただ闇雲に批判するのではなく、それが本格ミステリの持つ技巧や魅力にどう関わっているのか、どう機能しているのか、――そうした諸点を念頭に置きつつ、本作を手に取っていただければ幸いです。ということで、幻影城出身の某作家の某長編にガツン、とやられた方であれば、本作でもヤられた、と感心すること請け合い、という一冊ながら、上の点に留意しつつ、取り扱い注意ということで。

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