NO推理、NO探偵? / 柾木 政宗

ジャケ帯に曰く「メフィスト賞史上最大の問題作!!「絶賛」か「激怒」しかいらない。これはすべてのミステリ読みへの挑戦状――。」とあって、アマゾンの内容紹介には、錚々たる本格ミステリ作家の讃辞がズラズラズラーッと並んでいる本作、さて、自分の感想はというと、……うーん……「絶賛」と「激怒」のどっちなんだよッ! と大きく騒ぐほどのものではないような。むしろ、業界を挙げて”たかが”本作の”ごとき”一冊を盛り上げていかないと話題にさえ上らず、売れないのかと。こうしたリアルに「絶賛」でも「激怒」でもなく寧ろ危機感を覚えてしまったのは、……自分だけだろうなァ(爆)。

あらすじはというと、女子高生探偵の娘っ子と、彼女を応援するツッコミ娘がタッグを組んでXX”っぽい”事件を解決していくというものなのですが、本作ではタイトルに「NO推理」とあるとおり、ワルの催眠術によって探偵の娘っ子が推理する能力を封印されてしまっている設定がミソ。「推理って、別にいらなくない――?」というカジュアルなノリで、日常の謎やアクションミステリ、旅情ミステリ”っぽい”事件の真相を解き明かしていくという展開ながら、作中、娘っ子たちがしきりにメタメタと口にするわ、何人かがカーのキャラよろしく小説の中の登場人物であることを宣言してみたりと、ようするにこれってアレな感じのメタだよね? ――と、大方の読者は眉に唾をつけて読み進めていくことになるわけですが、そうした連作短編集ならではのメタ的仕掛けについてはとりあえず措くとしても、第一話の「日常の謎っぽいやつ」から第四話の「エロミスっぽいやつ」に至るまで、娘っ子たちがやたらと「!」を語尾につけてお寒いギャグをべらべらと喋り散らしている文章にはゲンナリ至極(疲れるのでギャグについてはイチイチ取り上げませんが)。

とはいえ、「日常の謎っぽいやつ」での、伏線とかテキトーにすっ飛ばして、奇妙な行動を続ける少年の真意を明かしてみせる謎解きなどはなかなかのもので、なんだかんだいってシッカリと少年の背景も添えつつ人間ドラマを描き出しているところは意外や意外に好印象で、ここから「エロミスっぽいやつ」に至るまで、自分は存外に愉しめてしまいました。

とはいえ本作最大の見所は、ジャケ帯の裏から引用すると、白井氏が「196ページを読むまでは舐めてました」とある通り、推理能力を催眠術によって封印されていた探偵が覚醒した後、NO推理で開陳していた事件の真相を次々とひっくり返していく趣向でしょう。

もっとも、個人的にはこの転倒より、NO推理でクールダウンしまくりの滑りギャグとともにグイグイ押していたオリジナルの仕掛けや真相の方が愉しめてしまったのもまた事実で、例えば第三話の「旅情ミステリっぽいやつ」における、事件の発生から解決までの時間軸に、娘っ子二人の”旅情ミステリっぽい”探偵行為を重ねて、彼女たちが遭遇した事柄と行動の意味合いを後段で書き換えてしまう誤導の鮮やかさなどは、本編の仕掛けが娘っ子の騙りに依拠した技法ゆえということもあるでしょうが、オリジナルの方が数段優れているような気がするのですがいかがでしょう。

さて、「196ページ」あたりから始まる、安楽椅子探偵が拘束された状況からメタっぽい推理を添えて犯人を限定していく語り口ですが、上にも述べた通り、この推理の端緒となる記述については、作者自身の優しさゆえかシツっこいくらいに繰り返されているので、ここに何かしらの仕掛けが隠されていることは明々白々。ではそれをどう調理するのかが見所なわけで、辻御大のようなハジけ方をするか、はたまた小森氏のような爆発を見せるのか、あるいは深水氏だったら、――と期待していた結果がコレだったのはチと残念。楽屋落ち、内輪受けといってはナンですが、メフィストの編集者たちはゲラゲラ笑いながら愉しめたかもしれませんが、キチンとした本の体裁でこのネタを読まされた読者の中には、なるほど、「激怒」する人もいるに違いありません。

このメタ的な真相が開陳されたあとのどうにもモヤモヤした感覚には、おそらくいくつか理由があって、ひとつはひとえに作者のドラマを描き出す上での拙さにあるのではないかと。そしてもう一つは上にも述べた通り、作者とメフィスト編集者という関係においてのみ最大効力を発揮する内輪受け、楽屋落ち的な発想にあるような気がします。前者については、まだまだ精進を続けていけば、あるいは早坂氏を超える化け方をするやもしれず、とりあえず評価は保留としておきます。さて後者についてはやはり次作にどんなネタをぶつけてくるかによるでしょう。またもや楽屋落ちでお茶を濁すようなことになれば(以下自粛)。

そしてこのメタ的なネタゆえに、やはり本という体裁で本作を読了した一人としては、この本という商品物に添えられた作家たちのコメントについても言及せざるを得ません。基本的に「絶賛」で、「激怒」がないのは「商品」としては当然として、ここまでしないと話題にさえ上らないのか、――と考えると暗澹たる気持ちになってしまいます。メフィスト賞というだけでも十二分なブランドと話題性を有しているにもかかわらず、”これくらい”の作品に対してここまでの讃辞を並べないと売れないのかと。そして本格ミステリの不振はそこまで深刻なものなのかと、――まあ、本格ミステリのコアな読者というのは、三十年前とは違って今では本当に少なく、営業的にもかなり苦しいんだろうなァ、――というのは何となーく肌で感じて判ってはいたものの、本作の賑やかなジャケを眺めるにつけ、「本格ミステリの未来を賭けた死闘」以前に、本格ミステリの未来なんてとうに終わってしまっているんじゃァ、……と溜息をついてしまったのはナイショです。

「讃辞」や「激怒」より、本作の”本としての体裁”から「不安」や「危機感」を感じてしまった自分としては、とにもかくにもゴミ本、クズ本とマニアの界隈で揶揄されようとも話題になって売れてもらいたい、と他人事ながら感じ入ってしまいました。

読み口は軽く、お寒いギャグも「うわっふー」を通過したロートルの読者にとってはママゴトみたいなモンで、少なくとも苦行本ではありません(ここ重要)。サッと手に取ってザーッと読み捨てるもよし、ツイッターに「激怒」の感想をネチネチとブチまけるもよし、とにかく話題にして盛り上げていくのが肝要かと。「本格ミステリの未来を賭けた死闘」の”真の敵”は一部の偏狭な守旧派マニアによる「激怒」でも、またそうした怒りを引き起こすきっかけとなった本作の存在そのものでもありません。どんな本を出しても、その業界の作家たちが総出で神輿を担がないと誰も手に取ってくれない、――そんな「出版不況」という恐るべき「現実」なのですから。

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