デッド・リミット / 遠藤 武文

現時点における覇王の最新作は、乱歩賞受賞作を含めて三冊を出した講談社から鞍替えして、今回は集英社からのリリース。この転身がいろいろな意味で大きな変化をもたらした本作は、ある意味「化けた」ともいえる逸品に仕上がっており、なかなか堪能しました。

――とはいえ、そこは覇王、ジャケ帯にはイキナリ「あなたは救いようのない愚か者だ」と、前作『パワードスーツ』の「愚か者と笑えばいい。だが私が日本を救う」というジャケ帯の惹句とも「愚か者」というキーワードで怪しげな符号を見せているところから、ダメミスマニアは大いに期待してしまうわけですが、実をいうと、本作はかなり大真面目。

もっとも社会派ミステリとしてのそうした魅力については後半に述べるとして、まずはダメミスとしての本作の見所をざっと紹介しておくと、第一章の出だしからして「ピンポーン」「ピンポーン」「ピンポーン」「ピンポーン」「ハーイ」というオノマトペの連打から始まり、犯人とおぼしきワルの名前には山田浅右衛門という、覇王小説ならではの歴史モンを絡めた趣向で魅せてくれます。

物語は、この山田浅右衛門なる怪しい人物より指令を受けた小市民たちが誘拐事件をきっかけとして奈落へと落ちていくという話で、一応「第一章」「第二章」というフウに長編小説の体裁を持たせてはいるものの、巻末に掲載されている初出誌によると、「小説すばる」にそれぞれ「デッド・リミット」「デス・メール」「ダイ・アウト」「フォー・ディア・ライフ」「フォー・アワー・ライフ」というタイトルで掲載されていたらしく、その意味では連作短編として愉しむのもアリでしょう。

「第一章」は、ヤンママなのか、アバズレなのか、とにかくかなりアレな女が子供を誘拐された挙げ句、山田浅右衛門よりトンデモない金額の身代金を要求されてテンヤワンンヤとなる話。誘拐モンといえば、犯人への身代金を渡す方法に趣向を凝らした作品が期待されるわけですが、本作ではそこはまア、覇王ワールドゆえ、大胆な技巧などを愉しみにページをめくっていると肩すかしを喰らってしまいます。そのあたりは覇王の滑る筆に心をまかせてダラーンと脳を弛緩させたままのリラックス・モードで読み進めていくのが吉、でしょう。

むしろここでは、ヤンママが身代金を要求されながら、そんな大金をどうやって工面するのか、肝心なシーンを大胆にカットした結構に注目で、伏線もヘッタクレも抜きにして最後の最後にその方法が読者の眼前に叩きつけられるダダイズムさながらの破天荒な趣向に、一瞬口アングリとなってそのあとニヤニヤと嗤えるか、それともフェアプレイとかコ難しいモンを持ち出して壁に叩きつけてみせるか、……ミステリ読者としての度量が試されるところでしょう。

ブランドやブツの固有名にこだわりを見せて、それがまた格別のダメミス臭をプワーンと放っているところが覇王小説の大きな魅力のひとつでもあるわけですが、本作では「エルメスよ。バーキン。オーストリッチ。オレンジ色」とそれらしいところを見せてくれてはいるものの今回はかなり控えめ。Windowsフォトギャラリー、Skypeと一応「最先端のIT用語を御高覧頂きたく候」といった力みと固有名詞への執着の融合が、

「スカパー!のチューナーに電源を入れて、チャンネルを外部入力に切り替えた」

「遊ばせておく手はないので、こっそり家電量販店に行って、スカパー!のチューナーを取り付けさせた」

というフウにスカパー!の「!」が妙な違和感を醸し出す結果となっているあたりに、覇王小説らしい微笑ましさを感じさせてはくれるものの、やはりこのあたりは版元が何でもアリの講談社から真面目な集英社へと変わり、そうした脱力のダメミス臭は極力排除する方向で編集がなされたためかセーブ・モード。また別の意味で、こうした版元への配慮としてダメミス成分の減量以上の気配りを感じさせる部分を引用しておくと、それは「第二章」にあって、

身体を硬直させ、膝を抱えて震えているうちに深夜になった。何気なく顔を上げると、本棚に置いた『白夜行』の背表紙が視界に入った。
――幸福を摑むには、自分でどうにかするしかないのかもしれない。
突然ひらめいた思いつきは、あまりに思いがけないもので、どうしてそんな発想ができたのか、全く分からなかった。

ここはヒロインがある人物を殺害することを決意する、物語の中ではかなり重要なシーンだったりするわけですが、ヒロインが天啓を得るきっかけとなったブツが『白夜行』であることに注目でしょう。ちなみにこのシーン、作中では「2010.02.19」とあって、二〇一〇年の二月ということなっているのですが、『白夜行』の単行本刊行は一九九九年で、文庫版が二〇〇二年と、作中の時間とはチとズレがあるような気がしないでもありません。

二〇一〇年の東野小説とその知名度ということであれば、前年に刊行された『新参者』あたりの方がふさわしいような気がするのですが、よくよく調べてみると『新参者』の版元は講談社で、『白夜行』は集英社。さらには東野圭吾の小説をサラリと出しているあたりに、覇王のしたたかさを感じた次第です。

ダメミスとしては、「イヤダーッ」「早く着きたいわけじゃないんで!」という珍妙な台詞回しや、「ヒエーッ」と「鵺の鳴き声のような悲鳴」をあげる人物造詣などに「らしさ」は残しているものの、上にも述べたとおり、そうしたダメミスらしさを極力脱臭した風格に、好事家であればあるほど物足りなさを感じてしまうわけですが、かといって、じゃあ、本作かツマらないかというと、さにあらず。むしろ本作はダメミスというより、極上のイヤミスとして味読したい魅力を持っており、小市民たちが訳の分からぬ不条理な状況から奈落へと突き落とされるというブラックな展開など、平山夢明を彷彿とさせるイヤーな趣向で見せてくれます。

連作短編的な構成によって、「第一章」で身代金の受け渡しに絡んできた人物たちが、その後の「第二章」以降で明かされていくわけですが、最終章となる「第五章」で明らかにされる件の山田某の正体と、事件の構図の壮絶さとそのまとまりの旨さには、おおよそダメミス作家らしくない風格さえ感じさせ、ここに陰謀を交えれば大いに脱力したダメミス的幕引きとなるところが、本作ではそうした陰謀の構図が社会派ミステリとイヤミスとしての精度を上げているところが素晴らしい。

そうした事件の真相と構図をフツーに愉しめてしまうという点では、覇王の小説らしくないところでかなり評価が分かれるかと推察されるものの、むしろ自分のようなダメミスマニアとしては、この作品が覇王小説の初読みというフツーの読者が読了後、「遠藤武文って、おもしれージャン。だったら乱歩賞をとったっていう『プリズン・トリック』っていうのも読んでみよーかな」なんていうふうに、過去作にも興味を持って手にした挙げ句、ダメミスの被害者となってしまうのではないか、ということを危惧してしまうわけで、そういう意味では、かなり罪作りな一冊であるといえるカモしれません。

今まで覇王小説はダメミスの中でもかなり上級者向けと信じて敬遠していたビギナーの方でも、本作では、冒頭の「ピンポーン」の連打によって仄かなダメミス臭を垣間見ることができるという明快な一冊ゆえ、容易に手に取ることがてきるのではないでしょうか。ダメミスマニアでも、意外なイヤミスの掘り出し物として愉しむことができるという点で、初心者も好事家の上級者も共に満足できるというかなり希有な本作、覇王の代表作にしてターニングポイントとしてもまずは必読、といえるでしょう。オススメです。