巨大幽霊マンモス事件 / 二階堂 黎人

傑作にして大偏愛。個人的には作者の長編作品の中では、『吸血の家』、『カーの復讐』と並ぶお気に入りとなりました。物語は、シベリアの辺境にあるとされる「死の谷」へ物資運搬の命を受けた一団の体験した摩訶不思議な猟奇密室殺人と「死の谷」での出来事を、二人の人物の手記から、名探偵蘭子が繙いていく、――という話。

ロシア革命にシベリアにアナスタシアという物語世界だけでもワクワクしてしまうのですが、ジャケ裏に作者曰く、本作は”家屋消失トリックを扱った短編「ロシア館の謎」の続編”であるとのこと。しかしこの高らかな宣言もまた本作の結構に隠された巧妙な仕掛けへと繋がっているのだから油断がならない。ラスプーチンや彼に仕えていた魔女などオカルトを横溢させたカー的趣向が、本作に登場する足跡のない密室殺人事件にも大きく絡んでいるのですが、この密室トリックは確かに奇想天外、――解説で飯城氏が言及している通り、某作家の処女長編のトリックを彷彿とさせるものながら、あちらはトリックの開陳そのものがギャグへと突き抜けていたのに比較すると、本作では精緻なロジックによって明かされた真相が、急角度でオカルトへと傾斜しつつ悪夢的情景へと変化して読者を幻惑する外連味が素晴らしい。

本作において際だっているのは、一見すると「幻想的な謎」が「論理」によって「解体」され、現実的な景観へと変化するのとは”逆に”、黄金期からの本格ミステリに慣れ親しんだ読者にとっては「定型・様式に映る謎」が、「論理」によって、「解体」されるのではなく、むしろ「論理」によって幻想的・悪夢的な有り様へと「完成」される、――という、カーよりさらに遡って、ポーの「モルグ街」へと”完全”原点回帰したかのような趣向でしょう。

上に述べた密室トリックの真相によって描かれるホラー映画もかくや、という悪夢は飛鳥部氏ファンであれば、ニヤニヤしてしまうこと確実だし、幽霊マンモスの真相についても、早々にそれが人工的な装置か幻視であることを登場人物の口を借りてハッキリと明かしておきながら、それでもなお残る湖に出現した幽霊マンモスの謎については、緻密な「論理」によって、幻想絵画のような恐ろしくも美しいイメージを描き出してみせます。

奇想幻想に論理を加えた作者らしい仕掛けに加えて、本作ではもう一つ、手記に書かれた記述をもとに蘭子が過去の事件を推理する、――というこの結構を十二分に活用したアンフェアすれすれの綱渡りも大きな見所のひとつでしょう。そして上に述べた奇怪な館での密室トリックの解明は、この作品構造そのものにに仕掛けられた罠を見破らないと果たせないという、――作中の犯人自身の仕掛けに加えて、小説として提示された物語の結構そのものに別人物(=作者)が凝らした仕掛けがこの密室を二重三重に堅固なものにしている企みも秀逸です。

そして現在の時間軸における事件の解明をもって幕とするのではなく、怪奇幻想譚として始まった物語を再び過去へと遡行させ、冒険譚としてしめくくる構成も心憎い。ここに、本格ミステリのトリックとロジックだけではない、「物語の力」あってこそさらに輝くという作者の美意識を感じるのは自分だけではないと思うのですが、いかがでしょう。

さらには巻末に付された飯城氏の解説の素晴らしさにもついても言及しておくべきでしょう。緻密な検証と論理によって、蘭子シリーズの変遷とそのキーポイントについて語っているこの解説ですが、とくに『人狼城』から『魔王ラビリンス』への変化を、”密室の必然性からの解放”という視点から解き明かしていく箇所にはなるほどなるほど、と頷くことしきり。まさに氏の述べている通り「怪人対名探偵」の構図でしかラビリンスサーガを理解していなかった自分は猛省しないといかんなァ、……と考えてしまったのはナイショです。

実は本作を読了してこの感想を書くずっと前に、第五回島田荘司推理小説賞入選作の一冊である黑貓C の『歐幾里得空間的殺人魔』の作風について色々と考えていたのですが、あの作品が指向しながらなお到達できなかったゴール地点を、明確な形で指し示している作品こそが本作ではないか、――と感じた次第。このあたりについては『歐幾里得空間的殺人魔』の感想を挙げる際に再び言及する予定です。

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