鳥居の密室: 世界にただひとりのサンタクロース / 島田 荘司

評価が真っ二つに分かれる作品だなァ……と思ってさっとネット感想を探してみたら案の定(爆)。個人的にはかなり好みで、『最後の一球』を偏愛する自分としては本作もまた思い切り「泣き」に振った御大の偏愛すべき一冊として堪能しました。

物語は、予備校友達の娘っ子が子供時代に体験した密室事件の謎解きを、サトル君が御手洗に依頼するのだが、――というもの。もっとも御手洗が探偵として外連味のある活躍を見せるような物語ではなく、むしろ結構としては倒叙ものに近い印象でしょうか。御手洗は一見すると事件とは関係なさそうな猿時計の話を聞くなり、くだんの密室の謎をさっさと見抜いてしまい、読者は置いてけぼり。

そのあと、ある人物の視点から事件のあったクリスマスの夜に至るまでの出来事が語られていくのですが、タイトルにもある鳥居の密室から鳥居“そのもの”に何かしらの仕掛けがあるんだろうナ、と思っていると、ちょっと意想外なところから仕掛けが明らかにされていきます。

とはいえ、御手洗がガチな謎解きを行う前に、この語り手によってアッサリとトリックが解かれてしまう構成について、いちいちイチャモンをつけたくなるマニアがいるのではないかとは推察されるものの、個人的には偶発的要素を多分に交えたこの現象を、御手洗の推理に託すのではなく、この人物の口から語らせたからこそ、「密室に出入りすることができた人物は殺人犯とサンタクロースの二人しかいない」という“事実”から生起する「泣き」の物語が際だってくるわけで、謎→推理→真相のプロセスをクイズの問答のようにとらえて、小説としての「物語」を批判する勢力にはややドン引き。

それともう一点、偶発的要素によって構成された謎の様態についての批判に対してですが、確かに犯人が狡智の限りを尽くして考え、犯行を成し遂げ、それを探偵が推理し、解決する、――これこそが本格ミステリの王道であり、それ以外は許さん、という考えがあるのもまァ、それなりに理解はできるものの、昔から御大の物語については、「巨人の家」を典型として、そうした王道路線から乖離した作品にも傑作が多いことを鑑みればそうした批判もやや一面的なものだと感じるのですがいかがでしょう。

それ以上に、本作では、そうした偶発的要素によって構成された本作の謎の様態が「倒叙もの」の“ように”書かれていることに注目するべきだと思います。敢えて倒叙ものにおいて、犯人の失態をも含む偶発的要素が、謎→推理の過程においてどのように取り扱われているのか、という点を考えれば、本作で御手洗が実際の推理を行わず、「倒叙もの」の“よう”な構成を敢えて採用している理由についても、別の視点から評価することができるのではないかと。

仕掛けと偶発的要素の連関については前作『屋上』とベクトルを同じくするものの、そうした仕掛けを「倒叙もの」の“ように”することで、このような「泣き」の物語へと昇華させたという一点においても、御大の新たな代表作といってもいいような気がします。御大の「物語」、――それも特に「泣き」の方向へと振り切った作品が大好物という方であれば、文句なしに愉しめる一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。

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