嘘を愛する女 / 岡部えつ

一部のレビューでは「映画の原作」と書かれているようですが、本の巻末に眼を通した限り、本作は「映画『嘘を愛する女』(脚本 中江和仁・近藤希美)の小説版として著者が書き下ろした作品」とのこと。岡部女史の作品は刊行されればいの一番に眼を通している筈が、華麗にスルーしてしまっていたのはそういう次第なのですが、あらためて今回本作を手に取ってみようと思ったのは、Kindle Unlimitedで利用できるのを見つけてしまったからであります。

映画は観ていないのですが、読後に公式サイトをざっと見て見た限りでは、本作を読んだ印象とは微妙に違うような……。あらすじについては映画の公式サイトとだいたい同じなのですが、主人公となるヒロインの造詣に岡部女史の作品『フリー!』などにも通じる風格が感じられるところが独自色。

物語は、ヒロイン由加利の視点から、くも膜下出血で昏睡状態にある桔平の過去を探っているシーンをメインに、桔平の視点から彼自身の謎めいた過去の断片を描き出していくという二つの描写を交互にはさみながら展開されていきます。そしてもう一つ、桔平が書いたと思われる小説めいた断章が途中から登場するのですが、果たしてここに描かれている内容の真実と虚偽の混淆が、彼の現在にどうかかわっているのか、――というところも見所のひとつでしょう。

桔平がくも膜下出血で倒れてしまうのは単純な事故で、このあたりにミステリ的な謎解き要素は皆無ながら、本作ではやはり彼の出自やその過去を、彼自身が残した数少ない情報を頼りに、ヒロインが探偵と二人で双方の視点から辿っていく構成が秀逸です。探偵はあくまで事務的に探偵作業をしているようでいて、その実、彼にもまた探偵的行為に犯してしまったあることのトラウマがあったりして、そこからヒロインの思いと感情とを対蹠して描き出してみせたあたりはさすが岡部女史。

このように二人の人物の行為と立ち位置を対照的に描き出しているところでもっとも感嘆したのは、(ネタバレなので文字反転)彼の妻がある犯罪を犯してしまったあと、桔平が一度として彼女の接見に訪れていないという行為と、くも膜下出血で入院している彼を見舞いに訪れることなく、彼の過去探しに奔走するヒロインとの重なりでしょう。桔平は最後の独白で、接見に訪れなかったことを悔恨するのですが、彼の過去をすべて知ったヒロインはその後、彼の故郷から東京へ戻り昏睡状態にある桔平の見舞いに訪れます。桔平とヒロインの「事実を知り、その人物の内心を知ったあと」の行為に大きな違いを持たせることで、ヒロインの強さが際だつという見せ方の旨さ、――これもまた強いオンナをしなやかにして華麗な筆致で描いてきた岡部女史の物語ならではという気がします。

さて、本作はマッタク怪談でもなく、またミステリでもないのですが、その一方で自分は本作を、桔平というすべてが偽りで今は昏睡状態にある者とその魂に”とらわれた”ヒロインを描き出した「怪談」の変種として読んだことを告白しておきます。昏睡状態にある桔平とヒロインとの間には絶望的な断絶があり意思疎通もできない状態にある。それはいうなれば彼岸の死者と此岸にいる生者と同じではないか、――と考えると、“幽霊”である桔平に“とらわれた”ヒロインがその過去を辿っていく展開は、『リング』をはじめ、怪異の曰くを探っていくという怪談ではお馴染みのフォーマットであることに気がつくのではないでしょうか。この物語のノベライズを怪談作家・岡部女史に依頼したひとはなかなか判っているなァ、と感心した次第です。

というわけで、単なるノベライズといえど、怪談作家としての技倆をフル活用した物語の愉悦もあり、また岡部ワールドでお馴染みの強いヒロインの魅力的な造詣もありというかんじで、女史のファンであれば、自分のように映画を観ていなくとも十分に愉しめる一冊に仕上がっているような気がします。映画を観た方のみならず、女史のファンであれば手に取ってみるのも一興ではないでしょうか。オススメです。

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