ジャンルでいえば実話怪談系でしょうか。タイトルにもある通り、語り手が一般の怪談蒐集家ではなく、宮司であるという点が新機軸。神社をめぐる話でありながら、「前世」や「地縛霊」なんて言葉がさらっと出てくるところが不思議なカンジで、なかなか面白く読むことができました。
まず宮司である作者の怪異に対する立ち位置ですが、これについては「はじめ」にページをさいて語られています。「神にかしずく神職という仕事柄、不思議な話を聞くことが多く、私自身もいくたびか、ミステリーのような体験に心を震わせてき」たとのことで、神職とか僧侶でもそうした怪異を信じることなく、あくまで仕事として事務的にこなしているとはやや異なる立ち位置を撮る作者は、この言葉のあとに「神道には前世やあの世などの教えはありません」と前置きをしつつ、すぐに「しかしながら女性霊能者が告げたような不思議な話や、神社をめぐる怪異が昔から語られ、紡ぎ出されてきました。思えばそれは、神社が「見えざる力」を恐れて崇め、敬う場所だからかもしれません」と続けます。
そして「目に見えるものがすべてではない――と思いませんか」と読者に語りかけるのですが、本作でも実際に作者が体験した怪異をことさらに装飾することなく、存外に淡々と綴っているところが好感度大。あまり怖さというのは感じなかったのですが、日常に寄り添う彼岸やこの世ならぬものの現象をリアルに感じることができる逸話の数々はなかなかのもの。
一番興味を惹かれたのは、四章の「東北・みちのくの怪異」で、ちなみに作者は伊豆山の宮司なのですが、関東在住の人間にしてみれば、伊豆山といえば熱海の近くにあるあのお山を想起してしまうものの、こちらは秋田県は大仙市にある伊豆山神社。東日本大震災のあと、「神社の様子を調べるために車と徒歩で福島県の太平洋沿岸の神社を回っ」てみたところ、「八十四社の神社のうち七十六社が流されずに残っていた、という事実」を紹介しているのですが、ここから「調査に当たったスタッフは、「神さまはいる」と感じた」とのことですが、……うーん(黙考)……どうなんでしょう。
自分も昨年からいわき周辺や南相馬の沿岸部を車でドライブしたりしたのですが、海の近くの神社はだいたい急峻な階段の上に建っていたりした印象があります。個人的にはこれ、藤井聡・中野剛志『日本破滅論』の中で言及されていたとおり、古来、地元の人たちは急峻な坂道を神輿を担いで登ることで津波のための避難訓練をしていたのではないか、――という説を採りたいのですが、真相はどうなのか。ちなみに本書によると、「いつも時代に建てられたか不明な古い社は助かったのに、近年に建てられた神社のほとんどは流された」とのこと。なお、「神社の多くは、波が止まる喫水線ギリギリの場所に建っていた」ことから、作者は「これはきっと、神様が津波が止まる場所を教えてくれていたのでしょう」とまとめています。「ギリギリ」というあたりにはやはり人智を超えたなにかを感じてしまうのもまた事実でしょう。
除霊といえば、どちらかというと仏教の仕事かと思っていたのですが、本書によると、神道ではそれを「神上がり」と呼んで、宮司が「死者の霊を鎮め、大神の御座します幽世へ神上がっていただくための神事」を行うこともあるとのことで、若い女性が自殺した部屋のお祓いをしたりするなかで、ちょっとした怪異が現出する逸話が語られています。本書にはそうした逸話がいくつか綴られています。この「ちょっとした」というところがポイントで、決して大袈裟でないところがリアルでかなり怖い。実際、怪異なんてものはそんな大袈裟なかたちで出現するものではないことは、実際に体験したことのある方であれば納得できるのではないでしょうか。
そのほかにもマタギの怪談や、マタギの習俗にまつわる怪談、さらには禁足地の話など、色々と興味深い知見を得ることができるのもお得感大。怪談ジャンキーになると、もっと激しく、もっと気持ちワルイのをとエスカレートしていくものですが、そんな指向からやや離れたアプローチで実直に怪異を語った実話怪談の一冊としても、かなり愉しめるのではないでしょうか。オススメです。
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