近作では『仮想儀礼』のような超弩級の逸品とは作風を異にするものの、『女たちのジハード』にも通じる小市民エリートの転落と再生の物語を、篠田小説ならではの人間賛歌へと昇華させた逸品でありました。
物語は、NYで働く金融マンのエリートだった主人公が、アメリカでの生活に馴染めなかった妻と離婚、さらには会社の倒産をきっかけに日本に帰国してどうにか保険業界の一社に職を得たものの左遷。しかしまたまた再起を図ってヒョンなことから田舎の大学で講師をすることになるのだが、……という話。
フツーに書けば、バリバリの金融マンのエリートがドンドン転落していく修羅の展開と相成るわけですが、そこは男の転落と悲劇を再生へと導いていく筆致に抜群の冴えを見せる篠田ワールド。パソコンもよく判らない保険のオバちゃん相手に、本部からの無茶な命令という修羅場も切り抜けつつ、孤軍奮闘の活躍を見せる主人公の生き様が生き生きと描かれています。生き生きと、――といっても、冗長な会話文で物語を転がしていくのではなく、様々なエピソードを地の文の中で重厚に圧縮させつつ、そこへ平易な文体でシーンの情景を添えてみせることで、主人公の周囲の人物たちの輪郭をくっきりと描写し、それによって主人公の心の葛藤をより明確に伝えてみせるという技法が冴えています。
田舎の大学に職を得てからの後半がかなりのボリュームを占め、会社とサラリーマンという構図とはまた違ったアカデミズムならではの醜悪な政治劇や、ゆとり教育の弊害などの社会的視座も絡めて主人公が問題解決をこなしていく様が描かれていくのですが、この後半部ではすでに中年のオッサンと成りはてた主人公にもささやかな春が訪れる逸話がイイ。
バツイチという境遇から、再婚するにしても当然、息子と再婚相手の女性との関係などの問題が浮上してくるわけですが、それぞれができすぎたテレビドラマのようでありつつも、ベタだからこそ、そしてこの主人公が大まじめでごくごくフツーの小市民の感性を持っているからこそ応援してしまいたくなる展開が心憎い。
ちなみに本作のタイトルは『銀婚式』ですが、上のあらすじでも述べた通り、主人公の男は物語開始早々、アメリカの生活に馴染めなかった妻が病気になってしまったことがきっかけで離婚してしまいます。離婚したのに何故「銀婚式」?となるわけですが、作中で二回、「銀婚式」という言葉が出てきます。この使い方が素晴らしい。
一回目にその言葉が出てきたときには、同じ中年男性として「ガンバレっ!」と両拳を握りながら主人公の行く末を見守り、二回目は老いを意識しつつある主人公の内心を照らしつつ、いうなれば彼の真面目な本性へと原点回帰していくようなシーンでこの言葉がさらりと口にされます。このタイトルにもなっている「銀婚式」という言葉が使用される二つのシーンのコントラストがまた見事。
スペクタクルもなく、また緩急の激しい展開もないものの、ある意味テレビドラマ的ともいえるベタな人間劇場の逸話を様々に交えて主人公の心の惑いや決意を丁寧に描き出してみせた本作は、特に自分のような中年男性であればグッとくるものがあるのではないでしょうか。最近取り上げた『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』とはまったく異なる風格で地味ながら、人間賛歌という点では篠田小説の真骨頂を長編ならではの構成でじっくりと描き出した本作、ファンであればまず没問題で愉しめるのではないてじょうか。オススメでしょう。