本の感想が続いたので、たまには違うネタを。横浜美術館で開催されている松井冬子展「世界中の子と友達になれる」を見てきたので、内容について少しだけ書き留めておこうと思います。
松井冬子女史といえば幻想絵画・幻想文学マニアならずとも「あー、俺っチも冬子女王様に腑分けされたいッ!」と叫びだしたくなってしまうほどの超絶美人であることはご存じの通り。作品の方も相当にマニア好みのする逸品揃いで、今回は写真でしか見たことのなかった大作をズラリズラリと取りそろえた内容で大満足でありました。
全体は大きく第1章から第9章までに分かれてい、第1章「受動と自殺」、第2章「幽霊」、第3章「世界中の子と友達になれる」、第4章「部位」、第5章「腑分」、第6章「鏡面」、第7章「九相図」、第8章「ナルシシズム」、第9章「彼方」となっています。それぞれの章ごとにライティングが微妙に異なり、特に前半の「受動と自殺」「幽霊」はかなり暗めで、昨年末に体調を崩してから相当に視力を落としてしまった自分は細部まで詳しく鑑賞することができなかったのがチと残念、ではありました。
前半で圧巻だった見所は、大作「世界中の子と友達になれる」と、その制作過程をスケッチなども交えて展示されていたところで、「世界中の子と友達になれる」はたびたび雑誌や本などでも眼にはしていた作品ながら、やはり大作を実際に目の当たりにすると違います。垂れ下がった藤の枝は下にいくにつれて黒く凝り、眼を凝らすとそれが雀蜂の群れであることに気がつくのですが、実際の作品ではこの淡色の上部から、不穏な影となって背後の闇へと溶け込んでいく下部へと至るグラデーションが美しい。
この大作の制作過程で描かれたスケッチがあわせて展示されていたのですけれども、たとえば少女を写生した一枚にはすでに雀蜂のモチーフが描かれていたり、また下図を仕上げていく段階においても、少女と揺りかごの位置をたびたび置き換えたりしながら試行錯誤が行われていたことが判ります。
写生ではほかにも『絶え間なく断片の衝突は失敗する』のために描かれたリアルな構図が抽象化されていく過程を見ることができたりと、実作はもちろんのこと、下図とスケッチを交えての展示によって、作品の背景をより深く知ることができたのも大きな収穫でありました。
作品を前にしてもっともガツン、とやられたのは、『この疾患を治癒させるために破壊する』のダイナミックさで、この絵のライティングは展示作中ベストだったかもしれません。シンメトリーに配置された桜の中心に仄見える闇がもっとも際立つよう、非常に繊細な光の回し方がなされていて、作品の凄みを最大限に引き出していたように思います。
すべてを見ることができた九相図は、以前に写真で見たときよりも非常に繊細な印象を受け、女体の全身が蛆にまみれた『應声は体を去らない』の蛆は、図版の写真ではやや明るく何だか米粒のようにも見えてしまっていますが、実際は仄かな濃淡があって粉雪のようにも見えるものでした。九相図の最後を飾る『四肢の統一』は、一転してモノトーンの幽玄なトーンが際立つもので、九相図の中ではこれが一番好みカモしれません。
さて、本展覧会もまた311以後のものとして第9章「彼方」では、特にそのあたりを格別に意識した展示がなされていたのも印象的で、横浜美術館の学芸員・八柳サエ氏の解説では「身代わり」「厄払い」という言葉を用いて、松井冬子の絵画に内在する喪失感を超克するための強さが語られていました。正直、この八柳氏の解説は「――といいます」を繰り返した文章でかなりクドい(苦笑)。しかしむしろそのぎこちなさゆえに、解説の中ではもっとも心に響いた一文でもありました。個人的には、この八柳氏の解説がなければ、第9章「彼方」の印象はかなり違ったものになっていたかもしれません。
「彼方」は後半の大作『喪の寄り道』に圧倒されて、そのまま会場を出てしまいそうになるのですが、この大作のすぐあとにさりげなく――本当にさりげなく掲げられた小品があり、これにはグッときました。松井冬子女史はもちろんのこと、横浜美術館学芸員の気概を見せつけられたというか。この企ては素晴らしく、また311以後の創作と展示というものに関する回答になっていると感じました。
本当はアーティスト・トークかインタビューに参加して、ナマの松井冬子女王……もとい(爆)、女史を見てみたかったのですけど、作品の鑑賞だけでも満足度はかなりのもの。幻想絵画に興味がある方であれば、かなり愉しめると思います。オススメです。