筷:怪談競演奇物語 / 三津田信三、薛西斯、夜透紫、瀟湘神、陳浩基 (2)

筷:怪談競演奇物語 / 三津田信三、薛西斯、夜透紫、瀟湘神、陳浩基 (1)

先日記事にした『筷:怪談競演奇物語 / 三津田信三、薛西斯、夜透紫、瀟湘神、陳浩基 (1)』の続きです。前回は台湾組の薛西斯「珊瑚之骨」まででしたが、続く三編目となる夜透紫「咒網之魚」は香港編。舞台を香港に据えて、前の「珊瑚之骨」と大きな繋がりが感じられないものの、三津田信三「筷子大人」に登場した箸を儀式に用いるモチーフを活用してハウダニットとフーダニットの毒殺に注力した一編です。

今フウにいえばユーチューブのチャンネルを運営している仲間うちで、どうやればバズれるかと考えたあげく、曰くありげな昔からの都市伝説っぽいモンにでたらめの呪いをデッチあげちまおう、と罰当たりなことを思いつき、それを流すと大ヒット。で、バズったあとで「実は全部でっちあげでしたァ」という卓袱台返しをライブ中継していたところで、中心人物たる男が麺をすすってご臨終。果たして誰がその毒をどうやって仕込んだのか――という感じで流れていくのですが、毒殺とはいえ実際にはアレルギー発作で、その物質を何に仕込んだのかというところがハウダニットのミソ。麺をつくる、運ぶ、とそれぞれの動作を細分化してその方法を突き詰めていくとう毒殺ミステリのセオリーを踏襲した推理を進めていくものの、なかなか真相には至らない。

その一方、このチャンネル仲間のメーキャップ担当の娘っ子がヒロインとなってこの謎解きを進めていくのですが、でっちあげ怪談のなかにも登場した鬼の名前で彼女に対してしつッこくメッセージを送ってくる人物が登場し、人死にとこのメッセを送りつけてくる人物との関連も一つの謎として物語は進んでいきます。

前二編と趣は異なり、怪談風味は希薄で純粋に毒殺ミステリとしても読めてしまうのですが、でっちあげの怪談の背後で潜行していたある事柄をきっかけに、登場人物たちの隠された相関が明かされ、そこからするするとハウダニットと真犯人の姿が繙かれていく後半はなかなか見事で、最後にメッセを送りつけてきた鬼の正体を突き止めるべく、その人物を訪ねてていくところからが本作の真骨頂。大団円の謎解きも終わりホッとしていたところで、いきなり後ろから脳天をブッ叩かれるような怪異を披露してジ・エンド。そしてこの物語の登場人物と怪異の背景が、この後の陳浩基「亥豕魯魚」で明かされていくのですが、それについてはまた後ほど。

そして四編目となる瀟湘神「鱷魚之夢」は紛うことなき大傑作。舞台は再び台湾へと移り、民俗学の公演を終えた語り手を訪ねてきたある人物が奇妙な話を持ちかけてくる――という冒頭が、三津田信三「筷子大人」を踏襲していることは明らかで、この奇妙な男が持ちかけてきた怪談話というのがまた最高にふるっている。詳細はここでは明かせないのですが、この男の語る夢に出てくる学校というのが、「筷子大人」の語り手が見た夢に登場する学校と同じではないか、という謎が読者に提示されます。そこから「筷子大人」で語られた儀式の出自が実は台湾なのでは、――と三津田氏が構築した物語世界を変容させて、読者をグイグイと物語に引き込んでいく展開も見事なら、ときおり挿入される正体不明のある語り手が聞かせる台湾の因習を絡めた逸話との重なりが素晴らしい。

この因習についても敢えて言及は避けますが、田舎村での壮絶な虐めと悲恋を交えた話が幻想溢れる筆致で描かれているところがまた見事。それぞれのシーンが圧巻で、おぞましくも妖美な描写はまるで橘小夢の幻想画を見ているよう。怪談語りと過去語りをミステリ的な騙りへと転化させ、語る者と聞く者とのあわいに驚きの仕掛けを凝らした結構は本格ミステリとしても一級品。そして薛西斯「珊瑚之骨」における珊瑚の箸と、三津田信三「筷子大人」での儀式というモチーフをのみ込み、悲哀溢れる怪談ミステリへと昇華させた趣向は、変則的なリレー小説であるからこそ際だつ本編の最大の魅力といえるかもしれません。この大団円的な幕引きに続く物語などありえるのか、というほど見事な終わり方なので、これに続く陳浩基「亥豕魯魚」はいったんどんな物語なのか、――次に進む前には、期待と不安をないまぜにした感じだったのですが、あとで陳氏から直接聞いた話だと、 この「鱷魚之夢」を読了してむちゃくちゃ焦ったとのこと(爆)。

で、「亥豕魯魚」は再びの香港編で、「鱷魚之夢」で呪いの鍵を握るある人物が主人公で登場します。つまり台湾人が香港で体験した話ということになるわけですが、彼が香港で出会った少女の田舎を訪ねていくところで事故に巻き込まれ、少女は昏睡状態に。少女の両親は死亡し、辛くも生き残った彼はこの事故に「筷子大人」にも登場した箸の呪いが絡んでいるとにらみ、相棒となる男とともに香港を訪れ、昏睡状態の少女を曰くつきの箸の力で復活させる。そして三人で曰くつきの箸のもう片方の行方を探ることになるのだが――という話。

なぜ片方の箸なのか、というのは前の物語に絡んでくるので、ここでは触れることはできないのですが、「鱷魚之夢」から一転してストレートに進んでいく物語にまったく仕掛けを気取らせない技法は見事というほかありません。敵の本陣へと乗り込んでいくところで物語が一気に変わって、ある人物の正体が明かされるところや、そこから中華ファンタジー溢れる描写へと弾ける展開は『山羊獰笑的刹那』にも通じる面白さで魅せてくれます。もちろんここにも作者らしい騙りは凝らされてい、ストレートな構成に見えながらも、しっかりと伏線を配して読者を驚かせてみせるところが作者らしい。

「筷子大人」の日本編を種として生まれた台湾編「珊瑚之骨」「鱷魚之夢」と、この流れからはやや独立しているように見えた香港編「咒網之魚」を見事に重ねて明るい大団円に仕上げてみせた「亥豕魯魚」で幕となる本作。個人的な好みはやはり「鱷魚之夢」でしょうか。そしてこの物語は三津田信三「筷子大人」との繋がりが最も強く、かつ作中に”M先生”なる人物が謎解きのアドバイザーとしてさりげなく登場するところも微笑ましい。

ここ最近は色々と忙しく、日本のミステリさえ読めていなかったのですが、本作は台湾・香港の作品でありながらも相当に愉しめました。ミステリとしても、また怪談としても、さらには三津田氏リスペクトの高度な怪談ミステリとしても満足できる一冊といえるのではないでしょうか。強烈にオススメ。