カインは言わなかった / 芦沢 央

傑作。物語は、全振りでイヤキャラに振ったダンスカンパニーの芸術監督率いる新作公演の数日前に、主役となる男が謎の失踪を遂げる。その男の恋人や兄、さらにはサイコ監督のしごきによって娘を”殺された”夫婦などのシーンを絡めて、物語は本番公演へと近づいていくのだが――。

ダンスカンパニーの芸術監督の野郎が作者ならではのイヤキャラで、読み進めれば読み進めるほど登場人物たちの心理に同化していき、殺してやろうかッ!という憎しみでイッパイだったのですが、最後の最期に救いのあるおどろきのラストを披露して、読者の憎しみを浄化させる構成には天晴れというしかありません。

実を言うと、イヤキャラの男はこの舞台監督の男だけではなく、もうひとり、女心を弄ぶトンデモサイコを配置してまで、読者の憎しみをマックスに持っていく展開とあれば、当然最後のクライマックスはこのサイコ野郎のいずれかが本番舞台で殺されるシーンでシメるんだろうナ、と考えてしまうのですが、本作では敢えてそうした定番の趣向を忌避し、後日談のなかでコロシの背後にあった意想外な構図を明かしてみせたところには賛否両論があるかもしれません。

人によってはこれを失速ととらえ、あるいはコロシの真相が当たり前すぎる、と嘆息する読者もいるかもと推察されるものの、個人的にはこのシンプルな事件の構図の背後に隠されていたサイコ舞台監督のおそるべき動機が明かされる反転こそが本作最高の見せ場ではないかと感じた次第です。このおそるべき動機はまさに連城的とでもいうべきもので、その他の登場人物たちはただこのおそるべき動機に踊らされていただけなのかと絶望的な読後感に浸っていると、最後の最期に添えられたある文章の、これまた最後の最期で、そのうちのある人物が救済されるラストを見せて幕となる趣向はもう最高。

カインとアベルという兄弟とともに、天賦の才能を持つ者と持たざる努力家という対比が映えていて、何となく最近大流行の『鬼滅の刃』の縁壱と黒死牟を想起してしまったのはナイショです。『鬼滅』では黒死牟に格別な思い入れのある自分としては、この最後の最期の救いだけでも本作をサイコ野郎に苛々しながら読み終えた価値アリでした。

イヤミス的なラストだけではない、憎しみと浄化のカタルシスを味わえる逸品としても、将来作者の代表作の一冊といえるのではないでしょうか。強く強く、オススメです。