陳浩基『網内人』日本語版がついに刊行。台英日版との違いや、台湾版刊行当時に作者と話したこと(2)

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9月に日本で刊行された陳浩基『網内人』についての続きです。

陳浩基『網内人』日本語版がついに刊行。台英日版との違いや、台湾版刊行当時に作者と話したこと(1)

 

前回は台英日版の違いについて書きましたが、今回は刊行当時、作者である陳浩基氏と台湾で会った際、この作品について話したことについて、――とはいえ、もっぱら自分が感想を熱く語り、彼は苦笑するばかりだったのだけれど(爆)、まあそこはそれ。

初読時の感想は、台湾版『網内人』に書いた通りですが、まず作者に伝えたのは、「グローバリズムに蹂躙された社会を舞台にした小説がついに香港でも書かれたか、という感嘆」でした。行き過ぎたグローバリズムの帰結としての貧富の格差というのは、本作のヒロインであるアイを通して描かれているが、ここでは貧富の格差が生まれるプロセスに着目したい。アメリカはもとより、日本でもまた技能実習制度を悪用した外国人によって貧しい日本人の職が奪われ、ますます貧富の格差が拡大する、――という構図がある。本作でもアイの家族は職を求めて大陸から渡ってきた移民であり、これはまた現代のグローバリズムと同軸に語られるべきものだ。アイの家族が移民である、というところが日本人にはピン、と来ないかもしれない。なぜなら大方の日本人にとって、香港と大陸との関係は国ではなく面倒な内政問題だと理解しているだろうから云々……ということを延々と作者に向かって話したことを覚えています。

まあ、自分の考えはいいとして、ちょっと面白いと思ったのは、上の話を受けて自分が本作を「この作品はさしずめ現代香港における『バットマン』だよね」という感想を述べたところ、彼の香港の友人もまた同じことを言っていた、ということでした。クローバリズムにおける貧富の差のおそるべき拡大によって、今や貧しい市井の人々のなかからヒーローが生まれる余地はすでにない。そうした歪みきった社会において、リアリズムに徹した”リアルな”ヒーロー像はどんなものになるだろう、ということを突き詰めていけば、必然的にあの映画のような姿になるのではないか。それは本作におけるアニエも同じでは、――と自分は感じたわけですが、案外、これは本作を読了した方であれば同意してくれるところではないかと思うのですが、いかがでしょう。

何だかダラダラ書いていたらまた字数が超過してしまいそうなので、急いで続編の話にうつりますが、実はこのときも続編は考えてないの? と彼に訊いたところ、苦笑するだけであまりいい返事はもらえなかったので、『日本語版あとがき』でシレッと、かねてより続編については考えていた、と書いているのを見た時には呆気にとられたのはナイショです。もっとも当時は日本側から「是非とも『13.67.』の続編を」とシツこくプッシュをしていたので、それがかえって彼の気骨を折ってしまったかもしれません。また『作者あとがき』にもある通り、『網内人』は相当に苦労して仕上げた一作ゆえ、続編の構想も当時はまったく頭になく、それについて答えることもできなかったのかもしれませんが。

それでもこのとき自分は一応「スピンオフでもいいから、ドリスの話を書いておくれ」とリクエストはしておいたものの、どうなるかはまったくの不明。ダッキーに香おばさんは過去の逸話でその背景がさらっと言及されているものの、彼女についてはまったくの謎で、アイ以上に辛い過去があったのではと自分は訝っているのですが、どんなものか。そしてもう一人、謎めいた人物といえば、日本人の井上ですが、かりに本作が『バッドマン』をある程度意識して書かれたか、あるいは香港人の友人も含めてそのような感想があったことを鑑みれば、アニエの師匠にあたる彼に『バットマン ビギンズ』で渡辺謙が演じたラーズ・アル・グールを重ねてしまうわけですが、果たして――

また続編となると、当然、社会情勢が大きく変化した”今の香港”を舞台にする必要があるわけで、果たしてこの体制下において可能なのかどうかは気になるところですが、この点については彼自身から直にコメントはもらっているものの、ここでは伏せておくことにします。

長い文章のわりにはあまり有益な情報が含まれていないものとなってしまいましたが、また作者と話をする機会があれば、ここにまとめてみたいと思います。おしまい。