インサート・コイン(ズ) / 詠坂 雄二

これは問題作。もちろん現代本格として読めば一級品の風格を備えた傑作ではあるものの、この作品の狙いそのものが、本格ミステリの定式・様式からの逸脱と再構築を目指したものである以上、そう評価せざるを得ない一冊ではあります。まあ、この作品について言及することそのものが結構な綱渡りなので、自分のような好事家にしてみればもう偏愛してやまない傑作、という一言でハイオシマイ、と、ここで感想文を終えてしまいたいところなのですが(爆)、とりあえず続けます。

収録作は、キノコ探しに出かけたボーイが事件の匂いをかぎ取ってある謎を抽出してみせるもあっさりとゲームネタと絡めて瞬殺される「穴へはキノコをおいかけて」 、フィクションに擬態した体験談から、隠蔽された謎を検出し、現在の視点から隠された過去の謎の絵解きを物語として再構築してみせる傑作「残響ぱよえ~ん」。

最強のストリートファイターの逸話から矛盾を拾い上げて、消去された過去を照射してみせる「俺より強いヤツ」、ダイイングメッセージ風な謎の明示と摑みから、物語と作者、そして読者との隠微な関係について未来の提言を行うメタ小説「インサート・コイン(ズ)」、そしてこの作品そのものに秘められた「読み」の技法をイッキに開陳して、詠坂ミステリの種明かしをしてみせる「泣き」の一編「そしてまわりこまれなかった」の全五編。

自分はゲームをマッタクやらないロートルで、過去、テトリスはおろか、インベーダーゲームをやったこともない、ゲームセンターというところにも入ったことがないという相当な変わり者なので、本作に言及されているゲームについては正直よく判りません(苦笑)。なので、本作のジャケ帯には「まっとうなゲーム小説って、ほんとうは、こういうことだ」と書かれてあるものの、「まっとうなゲーム小説」として読めていない、ということをまず最初にお断りしておきます。

で、本作に収録されている短編では、それぞれゲームにまつわる「謎」がある「らしく」、そうしたゲームに詳しい方々が読むと「まっとうなゲーム小説」でありながら、本格ミステリでは定番のコロシなどがナッシングという例の「日常の謎」ミステリとして愉しめるそうです。

個人的には本作、「日常の謎」とはかなり趣を異にする、というか、そのまったく逆――ツカミとしての謎というものを中軸に据えた構成を意図的に忌避している作風に感じられ、さらにいえば、作者は、ある隠微な目的を完遂するために、読者から「謎」そのものを隠蔽しようとしているのではないか、……そんな気がした次第です。

もっとも、そうはいっても、冒頭の「穴へはキノコをおいかけて」は、冒頭の一行が「マリオはジャンプする時に片手を挙げるでしょう?」と、ゲームの中の仕様のひとつを「謎」として掲げてい、ゲーム小説に「日常の謎」風味をくわえた一編として読めばもちろん、本作における「謎」はこのマリオは云々ということになるわけですが、ゲームに興味のない自分としては、この「謎」は本格ミステリにおけるツカミとしての「謎」としては感知できないゆえ、このままフツーの小説として読み進めていくことになるわけで……とまあ、ここからして、完全に自分のようなゲームに興味のない読者は、じゃあ、置いてきぼりを喰らってしまうのかというとさにあらず。

ひょんなことからキノコ探しに出かけることになった主人公が、コロシを匂わすあるものを発見することになります。もっともこの本格ミステリ的な「謎」は寿行センセっぽいネタを開陳してアッサリと瞬殺されてしまうわけですが、この探偵による謎解きが、物語の主人公とゲームの主人公との素敵な重なりをみせ、それによって主人公の心の中に生じたある「気持ち」が、実は後の「インサート・コイン(ズ)」のある種メタ的ともいえるテーマへと繋がっていきます。

先に種明かし的な意味で、最後の「そしてまわりこめなかった」について書いてしまいますが、こちらは知り合いの自殺をきっかけに、彼からの奇妙な年賀状に書かれていた言葉の謎解きを行うという短編ながら、この一冊に最後に収録されている一編はいうなれば、本書の謎解き部分に相当します。ここでは傍点つきで、さまざまな言葉が強調されているのですが、たとえば「語られないこと」「それが伏線であることを回収までに忘れさせれば効果は一緒になる」といったふうに、伏線や誤導といった言葉もまじえて、本格ミステリの技法についての説明がなされています。

詳細は控えますが、これらは本作に収録されたそれぞれの短編の読み方指南であり、さらには詠坂ミステリの技法の種明かしでもあります。例えば「タイトルは誤導」なんて言葉から、この作品を想起したりといった読み方も、詠坂ミステリのファンであれば愉しめるのではないでしょうか。

この「そしてまわりこまれなかった」に書かれている技法を読み解きつつ、収録作を再読すると、なかなかに興味深く、「残響ぱよえ~ん」では、逸話から「謎」の気配を消し去った技法や、さらにはエピソードの外でさらりと語られている伏線のさりげなさなど、伏線と誤導に腐心した作者の業師ぶりが光ります。この「残響……」では、取り戻せない過去の謎を現在の推理によって回収しながら、ある人物の謎めいた言葉を現在の事実によってあっさりと翻してみせるわけですが、青春の苦さを際立たせた謎解き後の展開も含めて完璧ともいえる構成が素晴らしい。

謎の隠蔽と消去は、「俺より強いヤツ」も同様で、誰が一番強いのか、というシンプルな謎を表に見せながら、捜査の過程で語られていく逸話はその謎をひっくり返したものとなり、真相への究明がビターな余韻をもたらすあたりは「残響……」にも通じます。

「そしてまわりこめなかった」を、「本格ミステリ」としての一冊『インサート・コイン(ズ)』の中の謎解き部分とすれば、「物語」としてはこの短編「インサート・コイン(ズ)」で完結しているようにも読めます。また、本格ミステリにおける「読者」と「作者」の「創作」と「読み」を媒介にした関係や、伝統的技法の「継承」など、かなり自己言及的な内容であるところは、これまた「そして……」の中で語られている「タイトルは誤導」という言葉を意識すると面白い。特にこれまた傍点付きで「ルールを設定した者の想定を越えること」と語られている点については、個人的に色々と語りたいことがあったりするのですが、まあ、蛇足になるので、ここでグタグタ書くことは差し控えます。

現代本格の最先端を行く、例えば愛川晶の「神田紅梅亭寄席物帳」シリーズの『うまや怪談』や『三題噺 示現流幽霊 神田紅梅亭寄席物帳』のように、謎そのものを隠蔽した破格の構成と超絶な伏線によって、見えていなかったこと、「語られていなかったこと」を解き明かしてみせる傑作シリーズや、深水ミステリの傑作『花窗玻璃 シャガールの黙示』などにも通じる超絶技巧は、本作の読者として想定されたゲームマニアでなくとも没問題。「本格ミステリ」の連作短編として、さらには苦い青春物語としても、結末を「インサート・コイン(ズ)」か「そしてまわりこめなかった」におくことで、違った絵図が見えてくる試みなど、その挑戦的な内容は、現代本格のマニアであればかなり愉しめるのではないでしょうか。詠坂ミステリの新たな代表作誕生、といえる本作、オススメです。