パラダイス・ロスト / 柳 広司

GWの後半に少し休んだら体調も戻ってきたので、こっそりブログを再開します。積読本がテンコモリでいったいどれから手を付けたら良いものかという状態なわけですが、今日はリハビリも兼ねて、異能者揃いのスパイ組織D機関の暗躍を描いたシリーズ最新作である本作を取り上げたいと思います。

収録作は、記憶喪失の日本人が巻き込まれた陰謀劇に、シリーズものならではの反転劇の趣向を凝らした「誤算」、スパイどもが蠢く楽園で発生した人死にに、超絶な操りが炸裂する「失楽園」、”魔王”の過去を辿ろうとする男が行き着いた「真相」に隠された遠大な仕掛けにはただただ呆然となるしかない「追跡」、異能者たちが暗躍する舞台に投入されたノイズの仕掛けが巧妙な反転とスパイの宿業の苦みを描き出す中編「暗号名ケルベロス」の全五編。

冒頭の「誤算」は、記憶喪失となった日本人が陰謀劇に巻き込まれるうちに己の正体を知ることになる、――という定番中の定番ともいえる展開からして、この記憶喪失の男の正体は読者にも丸わかりながら、「操り」に「記憶喪失」というスパイスは、現代本格に馴染みやすいことを明らかにした一編です。中盤にさらりと見せる活劇要素に凝らされた物理トリックは、御大の某長編をはじめとして本格読みであればこれまた定番と呼べるものながら、操りと記憶喪失に絡めた伏線がコッチとは違うところにさりげなく凝らされています。

伏線といっても、本作は精緻なロジックで魅せるというよりは、構図の反転と活劇要素のハイブリットが秀逸なシリーズものゆえ、読者には非常に判りやすいかたちで書かれているという親切設計で、例えばシリーズ第一作となる『ジョーカー・ゲーム』のジャケ帯に添えられていた書店員様の秀逸すぎる惹句「すっごい面白かったです。小説最高! エンタメ最高! ミステリ最高! スパイ最高! 柳広司最高!!」に惹かれて本シリーズを知ることになったミステリ嫌いの方でも没問題。

「誤算」と思われていたもののことごとくが操りへと収斂していく後半の展開は書店員様ならずとも「ミステリ最高! スパイ最高!」と、びっくりマークの連呼で喝采したくなる素晴らしさで、シリーズものが往々にしてハマりこんでしまうワンパターンによる停滞は微塵も感じさせません。

続く「失楽園」も、南国の楽園で発生したある殺人事件の背後には、スパイどもの暗躍があり、……とこれまた期待通りの展開ながら、探偵がたどり着いた真相をひっくり返すかたちでD機関の暗躍が仄めかされるラストもまた完璧にこちら側の期待をトレースするという合わせ技ゆえ、本格ミステリにはつきものの「予想」した通りの真相でツマんなかったという読後感はありません。

D機関の暗躍を本格ミステリ的な反転の技法によって描き出すという本シリーズの作風から、ここは推理によって真相を当ててやろうじゃないノといった読みよりも、むしろ無敵なD機関に翻弄される登場人物たちと同じ視点に立ってこちらから積極的にその華麗な騙しの技に飛び込んでいくといった読み方の方が愉しめると思います。

「追跡」は、”魔王”結城中佐の過去を探っていくある人物の視点から描かれていくという一編で、推しメンの幼少時代から今に至るまでの過去を知りたーいなんていうカンジのアイドルマニアよろしく、”魔王”の熱狂的ファンにはタマらない逸品でしょう。とはいえ、ここは反転劇が炸裂し、今まで真実だと思っていたものが最後の最後で華麗にひっくりかえるという趣向を押し出した本シリーズの一編ですから、ストレートな形で終わる筈がありません。

魔王の過去に近づこうとした男に奈落が待ち受けているという結末は、読者にも当然予測できるもの。そこで作者は早々にこの明快な結末を明かしつつ、むしろこの人物に用意されていた罠の壮大さで魅せてくれます。異能者にして超人であるD機関のスパイの物語とあればもう何でもアリは完全にデフォなわけですが、本編における結城中佐の罠は、対スパイにおける状況判断云々とはマッタク次元の異なるもので、格の違いを見せつけてくれます。

最後の「暗号名ケルベロス」は、前編・後編に分かれた中編で、ここにもスパイたちの暗躍が描かれるわけですが、本作では異能者であるスパイたちとは違ったノイズの混入が、冒頭一編のタイトルにもなっている「誤算」を引き起こす展開が秀逸です。このノイズがスパイ小説にありがちともいえる何でもアリ的な「お約束」の展開に人間味を添えており、スパイという型にはまったD機関の登場人物に人間らしさを添えたラストでキッチリと引き締めてくれます。

D機関のスパイの視点から描かれた作品が多かった前作とは異なり、本作ではD機関の人物は影となって暗躍、登場人物の視点を借りてD機関の凄みを見せつけてくれる風格は、半村良の「嘘部」シリーズに喩えると『闇の中の黄金』のようなカンジというか、……そういう眼で本作を読み返してみると、最後の「暗号名ケルベロス」は、ノイズを巧みに用いて操る側を裏返しに描いたみせたところなど、『闇の中の哄笑』にも似ているような気がしてきます。

陰謀劇に操りに超絶集団と何でもアリなところから生み出される定番の展開は、それでも抜群に面白く、またまた書店員様の惹句から引用すれば「小説最高! エンタメ最高!」と叫び出したくなる本作、『ジョーカー・ゲーム』からのファンはもちろん、異能集団であるD機関の説明は冒頭の「誤算」でさらりと説明してくれているので、初心者でも没問題。アンマリ本格ミステリということにはこだわらず、上にも書きましたが、ここは積極的に作者の手管に翻弄される読み方をオススメしたいと思います。