傑作。『サーチライトと誘蛾灯』は未読なので、亜愛一郎を想起させる探偵の背景は判らないままに読み進めていったのですが、その惚けたキャラ造形に相反して、展開される人間ドラマはときに重く、後半に進むにつれてシリーズものならではの構成を凝らした趣向など、堪能しました。個人的にはかなり好みで、十月までに読まなかったことをチと後悔。
収録作は、震災ボランティアが目撃した少女の消失と因習を絡めた謎に現在過去の人物の相関が明かされる構成が美しい表題作「蝉かえる」、ほぼ同時に発生した事故がある母娘に収斂していく「コマチグモ」、大自然のペンションを訪れたガイジンの不審死をめぐる「彼方の甲虫」、失踪したライターを探していく過程で明らかにされるホタルの謎と、真の「探偵」「犯人」のドラマが静かな感動を呼ぶ傑作「ホタル計画」、帰国した友人を訪れた探偵がその挙措から潜行する計画を喝破する「サブラサハラの蠅」の全五編。
実は表題作「蝉かえる」を最初に読んだときには、その巧みな文体ゆえにさらさらっと読めてしまい、大きな感動はなかったのですが、「サブラサハラ」までを読み終えてからあらためて再読してみるとその技法と構成に感心至極。以前にボランティアをした場所を再訪した男の語りで、伝説因習のある池で見かけた少女の失踪の消失を推理する、――というのが表向きの極めて判りやすい趣向なのですが、本作ではごくごく単純な消失という謎を生み出すにいたった、人物たちの思いと考えを繙いていくロジックが本作のキモ。物理的事象や謎の様態のメカニズムを人間心理の解析によって明かしていき、隠されていた登場人物の背景を間接的な描写によって見せていく結構が素晴らしい。昆虫探偵と過去の事件の語り手という二人の会話から外れていたある人物の正体と、傍点つきでさらりと描かれるその人物のとある行動の真意をタイトルと伝承に絡めた幕引きも見事に決まった傑作でしょう。
アマゾンの作品紹介を見ると、「ホワットダニット(What done it)ってどんなミステリ?その答えは本書を読めばわかります」とあり、「コマチグモ」はまさにその「ホワットダニット」を直球でいく逸品。救急車が呼ばれて駆けつけた先で二つの事故が発生していたことが客観的な描写で描かれていくものの、その事故が明確な像を結ばないまま物語は進んでいき、やがて母娘の関係とその背景へとフォーカスされていく展開が秀逸です。何が起きているのかはあくまで表向きで、その「何か」の本丸は目に見える客観的事象ではなく、その渦中にある人物の心理と考えであり、その心の惑いや行動がタイトルにもある「コマチグモ」に託して語られていく探偵の飄々とした推理も素晴らしい。
「彼方の甲虫」は、ミステリである以上、謎の中心にある不審死は明確な殺人と断言してもいいくらいのものなのですが、本編での謎はその死にまつわるフーダニットではなく、被害者となった人物の行動で、異国からの来訪者である彼の思想や宗教観にまで分け入ってその謎を解き明かしていく探偵の推理がやがてもう一つの事件を炙り出していく構成はある意味オーソドックス。前の二編に較べると個人的にはやや弱いナ、と感じたものの、この逸話が最後の「サブラサハラの蠅」で再登場する趣向がとてもイイ。
「ホタル計画」では一転して件の探偵が登場せず、雑誌の編集長が失踪した書き手の行方を追ううちに、背後で進行していたある計画が明かされていくという物語、――ながら、最後に真実の「探偵」と「犯人」が姿を変え、その二人の心情と思考が感動を呼ぶ傑作。シリーズものだからこその驚きと感動がファンにはたまらない一編といえるカモしれません。
「サブラサハラの蠅」は、とある目的である国から帰国した探偵が、空港で居合わせた男を訪ねていく。一見するとただの二人の会話と語りの背後で進行する出来事を探偵が喝破する展開は期待通り。しかしながらこの男の不審な行動からその意図はバレバレでイージーに過ぎるものの、探偵の優しさと男の壮絶な熱情のコントラストが強い印象を残す好編でしょう。
仕掛けによって人間ドラマを鮮やかに描き出す作風はまさに自分の好みのド真ん中で、とても気に入りました。ちなみに「ホワットダニット(What done it)」という言葉。これ、今ではミステリ界隈で普通に語られているのでしょうか? 個人的には、御大が『アルカトラズ幻想』をリリースした2012年にこの作品の狙いとして語っていた印象があり、そのときにはあまり話題にはならなかったような……。『アルカトラズ』とはまったく趣を異にする本作ですが、おどろきを喚起する装置としての構造はかなり近いと感じた次第です(そして仕掛けによって人間ドラマを描き出すそのミステリ作家としての心意気もまた)。
ド派手な事件の外連がなくとも、巧みな構成と平易ながら練り上げた文体によって描かれる物語はまさに本物。泡坂ファンのみならず、個人的には御大ファンもかなり愉しめること請け合いの一冊といえるのではないでしょうか。超オススメ。