恐るべき作品。収録作は、小林多喜二をハメようとする特高とその罠に加担する市井の人々の惑いに鮮やかな反転が冴え渡る痛快劇「雲雀」、川柳作家・鶴彬を付け狙う特高と憲兵隊とのスリリングな対話「叛徒」、ゾルゲ事件をとっこに特高の狂ったロジックが暴かれていく「虐殺」、狂言回しの特高エリートの内心から”地上を支配している”者の正体のおぞましさが明かされる「矜恃」の全四編。
いずれも治安維持法が成立した後の特高の暗躍と「アンブレイカブル」な人物との交わりを描いた物語ながら、当時の社会的空気がはからずも緊縮財政やオリンピック、はてはコロナ禍の今と薄気味悪い重なりを見せる狙いが秀逸で、本格ミステリ的な技巧は薄味ながら、堪能しました。
「雲雀」に登場する小林多喜二はごくごくフツーの銀行員という感じで、彼をハメようとする特高エリートの言われるままに操られる元蟹工船の乗員が主人公。当初は金目当てで請け負ったものの、小林のリアルな日常生活を観察するにつけ変心していく登場人物の描写がとてもいい。クロサキというカナ名で登場する狂言回しの特高エリートが完全無欠の存在ではないところが『ジョーカー・ゲーム』との大きな違いで、この人物の複雑なコンプレックスがラストの「矜恃」で明らかにされる構成も心憎い。
ささやかなトリックで市井の人が特高エリートに鮮やかな一撃をくれてやる痛快劇の「雲雀」に比較して、川柳作家・鶴彬をめぐる人物たちの暗躍を描く「叛徒」は、特高エリートと肝の据わった憲兵隊との料亭談話から、語るものの秘められた過去がひもとかれていくスリリングな展開がキモ。
もっとも本格ミステリらしいおどろきとおぞましさが際だつのは「虐殺」で、第二のゾルゲ事件と色めき立つ神奈川の特高野郎どもの動きを知ってしまった主人公が、特高の描き出す陰謀の構図を暴いていくロジックが恐ろしい。ストレートな推理によって組み上げた構図をいったん壊し、傍点付きで語られる方法によって東条内閣の狂った思考法をトレースして恐るべき真相へと近づいていく後半の推理が最高にスリリング。カードにして並べられた特高側の台詞と戦中のスローガンから炙り出される狂気の思考が読者の依って立つ、オリンピックとコロナ禍と緊縮財政というコンボを決めたリアルとの重なりを見せ、それが”論理ならざる論理”へと帰結する推理展開は本作一番の見所かもしれません。
そして前三編の物語から浮かび上がる冷酷無比な特高クロサキの内心が、三木清との対照によってネチっこく描かれる「矜恃」の最後の最期に浮かび上がる屈折した思考の連打。チェスタトンばりの虐殺メソッドを嘯くインテリのさらに上を行くエリートをも凌駕して、この「地上を支配している」者の正体。暗澹たる現代社会を射貫く作者の目はいよいよ鋭く、今だからこそ読むべき一冊といえるカモしれません。作者のファンのみならず、本格ミステリによって社会を批評する技法を駆使した傑作として一般エンタメの読み手にも強くオススメしたいと思います。