島田荘司選 第13回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞作、――と言いながら先鋭的な本格ミステリというよりは、古き良き“推理”小説の風格を濃厚に残した一冊で、福ミスのなかではやや異端といえるカモしれません。とはいえ、個人的にはこういう肩の力を抜いて愉しめる“推理”小説は、『蒼海館の殺人』のごとき重厚な傑作を読了したあとの箸休めに好適ゆえに大歓迎。
物語は、大学生の娘が自分の勤めている大学の教室で首吊り屍体となって発見される。密室状態だった現場には遺書があり、自殺かと思われたものの、屍体には吉川線が見受られたため、殺人のセンで捜査が進められる。やがて大学の先生でもある被害者のパパは独自の調査で犯人と思しき人物をロックオン。ミステリマニアと思しきその人物を罠に嵌めるべく、私財を投じて弱小出版社でミステリ新人賞をブチあげる。しかしまた今度は大学で第二の密室殺人が発生し、――という話。
これは選評で御大も華麗にツッコミを入れているのですが、ミステリマニアと思しき容疑者が吉川線のことに関してはマッタクの無知であったり、探偵気取りのパパが、かなりのザルな推理で容疑者をロックオンしてしまったりと、犯人探偵も含めた登場人物たちの“うっかり”が多すぎる展開はちょっとアレ。しかしながら、“うっかり”の典型とも言えるパパ(一応理系大学の先生でかなりのキャリアだけど、ミステリにはあまり詳しくないご様子)の一人称で語られていくため、実を言えばそうした穴はそれほど気になりません。
むしろ本作は、何としても真犯人とその犯行を推理で暴いてみせようぞッ! と前のめりで読む本格ミステリではなく、たとえば通勤電車の行き帰りでマッタリ愉しむべき推理小説という趣で、娘を亡くしたパパは妻を連れて箱根湯本、熱海、湯河原、伊東と一泊旅行を満喫したり、さらには謎解きが始まる直前にも今度は長野は鹿教湯温泉に一泊したりというふうに、『殺人旅情』の言葉を添えたタイトルが相応しい。
とはいえ、二つの密室のうち、後半に開陳されるものは科学をベースにしたトリックが用いられてい、そこまでの展開から意想外な真犯人へと繋げる誤導が素晴らしい。個人的にはこのトリックと娘の交際相手はアッサリ特定できたため、この密室の謎解きでハイオシマイ、かと油断していたら、鹿教湯温泉で事件の構図が一転したのは吃驚至極。これとともに明かされる『報復の密室』というタイトルの真意が幕引きに余韻を添えた趣向も秀逸で、個人的には古き良き推理小説を思わせる作風の一冊として、かなり愉しむことができました。
また、被害者の娘が恋人のハーモニカを所有していて二人でそれを吹きあっていた、なんていう逸話には、同じクラスの可愛い子のリコーダーを放課後こっそりペロペロ舐めていた、――なんていう暗い過去を持つネクラのマニアはついつい忍び笑いを洩らしてしまうこと請け合いだし、後半、真打ち探偵による謎解きの舞台となる鹿教湯温泉に関しても、敢えて有名な別所温泉ではなく、鹿教湯温泉をセレクトしたあたりがなかなか。娘を失った哀しみからの再出発の場をありふれた箱根伊豆とし、そこから昭和の推理小説めく『殺人旅情』の展開を期待させつつ、最後はマイナーな鹿教湯温泉で本格ミステリ的な仕掛けとタイトルにもある『報復』の真意が明かされるというコントラストも素晴らしい。
本格ミステリ、それも胃に凭れそうなほどに重厚な物語を所望するマニアにはおすすめできかねるものの、さらっとした読み口で、かつての推理小説らしいエンタメとおどろきを求める読者にはうってつけの一冊といえるのではないでしょうか。