幻想博物誌 / 日影丈吉

何となく作者の作品を読みたくなって電子版を購入。選集などで読了済みのものもあるような気がするものの、ロートルの記憶力ゆえアンマリ印象に残っていないので感覚的にはほぼ初読に近いものとなりました。収録作は、静養のため海辺の田舎にやってきた語り手が、蟹マニアの絵描きモデルとなった女の死の謎に啓示を受ける「月夜蟹」、病気で引きこもりとなった女に忍び寄るひめやかな殺意と狂気「蝶のやどり」。

ローライで猫撮りをもくろむ男が異国の地で村に伝わる奇妙な因習に引き込まれる怪異譚「猫の泉」、地下バーの止まり木で女を待つ語り手が陰気男にロックオンされて死臭を嗅ぐ「からす」、とある家族に降りかかった馬絡みの怪異がコロシを引き寄せる「オウボエを吹く馬」、天神様に掲げられた鵺の絵が二度死に女に隠された真相を暴く「鵺の来歴」の全六編。

冒頭を飾る「月夜蟹」は、静養で海にほど近い田舎村にやってきた語り手が、海から上がってきた美女にホの字となり、ストーキングを続けるうち、彼女は蟹の絵ばかりを描いている蟹マニアの変人画家のモデルをしていることを知る。やがて美女は蟹まみれの屍体となって発見されるのだが、――という話。

主人公の訥々とした語りの行間からほの見える静かな狂気がステキな一編で、あからさまに蟹画家が真性のキ印かと油断しているうち、くだんの美女が作者の幻想的な筆致によるおぞましき屍体となって発見される。たびたび“啓示”を受けていた語り手の病気の真相が明かされ、さらにコロシの真犯人が彼の口から語られるうち、登場人物たちの印象が変転していく構成が素晴らしい。

「月夜蟹」が、登場人物たちの狂気の変転を愉しむ一編だとすると、続く「蝶のやどり」は最後の一発反転から静かな狂気が立ちのぼる幕引きが素敵な物語で、こちらも病気で寝込みがちな主人公が、旦那に虫からみの嫌がらせを受けるうち、家人たちの殺意に気がつき、――という話。タイトルにもある“蝶”の登場が、狂気にとらわれた主人公を正気へと引き戻すのかと思いきや、それこそが狂気の淵へのダイブとなる反転劇が秀逸。

「猫の泉」は、異国でチラと耳にした撮影スポットを目指して旅を続ける語り手が、ついに辿り着いたその場所で、大時計の音を聞いてそこから予言を受け取れ、と無茶振りをされる物語。予言者でもないから無理だヨ、とさりげなく断っても、村人からは、ここに来る時点であんたはもう予言の力を得ているから、という奇妙な理屈でまるめこまれた挙げ句、ふいに時計の音から災厄の予言を受信してしまう。その怪異を受け止められない主人公がとった行動とは――何となく筒井康隆っぽいまとまり方ながら、それを独特な文体でどこかふしぎな物語へと昇華させた豪腕がとてもイイ。

ミステリ仕立てとして一頭抜けているのが「オウボエを吹く馬」で、華族の屋敷で薔薇の花が消えるという謎が起き、そこに馬が出現するにいたって不審死が発生する。探偵役となる刑事が、馬や薔薇の消失という怪異に人為的な仕掛けを見抜いて事件は一件落着かと思いきや、怪異以上に薄気味悪い馬の正体を明かしつつ、タイトルにもある「オウボエ」の怪音の謎が解かれるという二段構えの結構が見所でしょうか。

「鵺の来歴」もまた人間の静かな狂気が仄かに匂いたつ一編で、天神様に飾られていた鵺の絵から、ある男の妻の不倫と駆け落ち、さらには心中へと至ったコトの真相を探るという話。物語の最初に、同じ人間の二度死にという謎を添えて、その言葉の真意から人間の憎悪を引き出していく。「月夜蟹」や「蝶のやどり」とはひと味違った静かな狂気を他者の視点から描き出した一編です。

ボリュームもほどほどの短編ということもあって、あっという間に読了できてしまうものの、作者の幻想的筆致で描かれるシーンの強烈さはピカ一で、とくに「月夜蟹」の蟹まみれの屍体と、「からす」の屍体の遺棄場所の死臭が凄まじい。作者のことを知らないビギナーにもその幻視力を充分に堪能できる一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。