大問題作。とはいえ、個人的には愉しめました。ただ評価が分かれることは確実だろうナ、という一冊。物語は、ミステリマニアの守銭奴爺が雪深い森に建設した硝子の塔に、ミステリ作家や捜査一課の刑事たちが集まるも、くだんの爺が毒殺されてしまう。しかし名探偵を自称する短髪ヒロインがしゃしゃり出てきて事件の真相を喝破しようとするも、第二の殺人が発生して――という話。
爺の建てた奇矯な館にマニアが集合したら、コロシが起きないわけがないよネ? という作者のねばっこいチラ見視線を感じながら読み進めていくことになるわけですが、とにかく小っ恥ずかしいほどにマニアたちのミステリ談義がいちいち挿入される趣向が鬱陶しい。とはいえ、実を言うと、探偵も被害者爺もこれすべて本格ミステリマニアだからこそ成立する綱渡り的な事件の構図が後半に用意されてい、そこに突き進んでいくまでの過程を、直線的なコロシのモジュール化に偏ることなく、第一の殺人の犯人である語り手が、自称名探偵のワトソン役を買って出ることで、ワトソン=犯人がいかに自身のコロシの隠蔽工作をはかるのか、という倒叙ミステリの趣向によって展開していくところが秀逸です。
表向きは倒叙ミステリでありながら、彼がワトソンになるや、またまた不可解なコロシが発生し、今度はこの犯人に自分のコロシの罪をなすりつけてやろうと画策するも、自称名探偵の推理がキリキリと彼を追いつめていく。このあたりの倒叙式に託したサスペンスの見せ方はなかなかのもので、個人的には二重丸。しかし要所要所で、自称名探偵のミステリ談義がその緊張感を台無しにしてしまうところがちょっとアレ、ながら、自称名探偵からの読者への挑戦状が提示された後から展開されるメタ的趣向が本作の眼目でしょう。
ここで「いかにも」な新本格以降のトリックを開陳したあと、犯人が明らかにされるのですが、第一の殺人で件の強欲爺を殺した犯人が無事で済む筈がありません。この人物に受難が降りかかり、ここから真打ちの「探偵」が黄金期の戒律では禁じ手とされるあるものを発見して、そこから異様な事件の構図が繙かれていくどんでん返しが素晴らしい。
これによって、登場人物たちの「いかにも」な台詞や所作から、おトイレ臭い密室トリックも含めた“おままごと”がすべて企図されたものであったことが明かされる脱力ぶりにニヤニヤできるかどうかが、本作を傑作とするか、あるいは壁本として壁に叩きつけるかの分水嶺。「犯人」と「ワトソン」と「被害者」と「探偵」の役割が変奏され、それらの隠微な共犯関係が明かされる趣向はなかなかで、真犯人については……実はこいつしかいないだろうな、と第二の挑戦状のときから疑っていた通りの結末ながら、語り手とこの人物との“美しい”関係はなかなか好み。
そして事件が終わったあとのエピローグで、この人物のその後がかなり美化された形で描かれているところに、作者の本格ミステリに対する美意識を見るべきなのか、それともちょっとダサい三文芝居と笑うべきかは戸惑うところではあります。
巻末には御大の文章が添えられてい、これがまたかなり意味深。ちょっとだけ引用すると、
『知念氏自身、これから新しい歩みを生み出すだろうが、新本格時代を担った多くの才能たちも、これをきりにして、年月を重ねて熟した筆と思想を携え、さらに先の新世紀ミステリーを切り拓かんとする決意を、自覚するだろう。
この秀作は、フィールドを埋めた日本の書き手たちに、ある踏ん切りをもたらす力を秘めている。』
大切なところを敢えて太字にしてみましたが、御大の考えをくみ取れば、むしろ本作に対して「待ってましたッ! こういう作品をもっとモット読んでみたいんですッ!」と快哉を叫ぶのは御法度で、むしろ作中のミステリ談義や小っ恥ずかしくておトイレ臭いトリックを嘲笑するべきなのだろうなァ……と考えてしまうのは自分だけでしょうか。
なお、さっきからおトイレ臭いとか何とか散々くさしてますが、この臭さにはシッカリとしたエクスキューズが用意されてい、こうしたところから作者を批判するのは大間違い。これについては読んでみ、というしかありません。
ともあれ、個人的にはなかなか愉しめましたが、御大の意志をくみ取れば、決して絶賛するべきではない作品、――という点でも頭を抱えてしまう本作。正直、本格ミステリにおけるロジックの過剰美を極めた、阿津川辰海『蒼海館の殺人』や、二十一世紀本格の奇想によって、次世代の本格ミステリへの橋渡しを担う早坂吝『四元館の殺人』が刊行された今、本作をただ無邪気に愉しめる読者はそうそういないと思うのですが、とりあえず「一日目」の冒頭にある、「たしか、探偵さんでしたっけ?」「いいえ、探偵じゃありません。名探偵です」というやりとりに「待ってましたッ!」と諸手をあげて小躍りできる人であれば必読。「この台詞は……地雷だろ」と感じた人には取り扱い注意、ということで。