偏愛。『筷:怪談競演奇物語』(邦題『おはしさま 連鎖する怪談』)の第四章「鰐の夢」の作者の手になる幻想小説。物語は、関西へと向かう機上でパイロットの男性が不可解な言葉を残して消失してしまう。大学のサークルで後輩にあたる彼の失踪事件を知った記者の女性は彼の故郷を訪れ、事件の手掛かりを探るうち、彼の祖母と曾祖母も同じような失踪を遂げていたことを知る。彼女はこの地で知り合った彼の元婚約者とともにこの謎を解こうとするのだが――という話。
台湾から関西までの上空を飛ぶ機上での人間消失に加えて、二人が池に潜っているほんの少しの間に視界から消えてしまった女性、さらには屋内での消失と三つの消失事件に絡んでいると思われるのが、タイトルにもなっている台湾の妖怪・魔神仔なのでは、という展開は一見すると本格ミステリに見えるものの、人間消失の謎解きに関しては正直に言うと投げっぱなしジャーマンゆえ、このトリックの謎解きを期待するミステリ読みにはかなり不満が残る読後感であることはその通り。しかしながら、本作はミステリというより幻想小説としての色が濃く、個人的にはかなり愉しめました。
魔神仔の仕業と三つの消失事件をひとくくりにまとめてしまえるほど、本作の謎は単純なものではなく、消失したパイロットの家系には沖縄人の血が流れてい、そこから沖縄の妖怪・シッキーと魔神仔の間を往還しながら、台湾人と沖縄人の間で引き裂かれた主人公のアイデンティティの問題へと分け入っていく趣向が素晴らしい。
台湾らしさという点においては、魔神仔や、物語の舞台となる蘇澳港の情景など、台湾好きの日本人の琴線に触れるモチーフは盛りだくさんながら、作者があとがきで記している通り、本作ではそうした外から見た台湾らしさ以上に、沖縄と南方澳との地理的、政治的な類似と相違が、消失した男性の過去と生い立ちに深く絡んでいるため、一面的な台湾らしさというのは、物語が進めば進むほど曖昧になっていく構成が興味深い。
三人の人間が消失した背景にあるのは魔神仔なのか、それとも沖縄の妖怪・シッキーなのか、という問いかけが謎解きとともに繰り返され、彼のアイデンティティの形成に大きく関わっていた祖母と曾祖母の背景と思想が炙り出されていく中盤を過ぎると、主人公の女性の前にいよいよ怪異が現出する。前半に描かれた南方澳の海の情景が、魔神仔の生み出す奥深い密林の景色へと一転する外連が見事で、山と海の重なりが文字通りに時空を超えて理解不能な怪異へと雪崩れ込む終盤は、本格ミステリとしては完全にアウトながら、なんだか篠田節子の長編めく読後感に個人的には大満足。
敢えて本格ミステリの謎解きを忌避したラストは、あとがきによると作者の目論見で、謎解きそのものを宙づりにした趣向には、台湾そのもののアイデンティティの追求に終わりはなく、また同時に、沖縄―日本―台湾の流動的な関係を暗示してるようにも読める。
あとがきには、本作は「ポスト外地文学を目指した」とあり、エンタメ小説しか判らないボンクラの自分はこの点についてあまり多くを語れないものの、本作に通底するテーマは、「台湾と言えば?」「鳳梨酥! 珍珠奶茶! 夜市! 廟! 原住民!」という印象しかない日本人にはかなり痛烈な一撃となり得ること請け合いで、魔神仔に重層的な様態を持たせて、読む者の先入観を悉く裏切っていく非ミステリ的構成とそのねらいをどう捉えるかによって、本作の評価は大きく異なってくるような気がします。
魔神仔の恐怖を期待するホラーマニアや、人間消失のトリックにワクワクしてしまう本格ミステリ読みには取り扱い注意ながら、もう少し踏み込んで、多面的・多角的視点から「台湾とは?」という問いかけと対峙するヒントをくれるであろう本作、個人的には幻想小説読者に激推しの一冊といえるカモしれません。