『おはしさま 連鎖する怪談』には掲載できなかった台湾のミステリ評論家・路那女史の手になる「ともに夢路を紡ぐ、そのとき――『おはしさま 連鎖する怪談』解説」を日本語化の続きです。前の記事にも書きましたが、いずれも豪快にネタバレしているので、必ず『おはしさま 連鎖する怪談』を読了した後に目を通してください。
五人の作家が競演する世界線
それでは『おはしさま』の内容について話を進めていくとしよう。まずは読者のためにこの物語のあらすじを時系列に沿って説明する。『おはしさま』の世界で、もっとも最初に起こった出来事は「魯魚亥豕」のなかに書かれている通り、禹をはじめとする異界のものたちが私たち人類の次元へと堕ちてきたことである。彼らはふるさとへ帰る方法を模索するなかで、我々人類文明の進歩を促し、「箸」という概念を生み出した。その後、「魯魚亥豕」というタイトルに込められている通りに、話が人から人へと伝承されるなかで本来の意味が失われていき、禹たちがふるさとに帰るために用いた異界へ通じる門と、人類から「蘊」を摂取する手段との本来の意味に取り違えが発生してしまう。また「赤い珊瑚の箸」が悠久の時を経て「王仙君の珊瑚の箸」へと変じるうち、浪漫溢れる物語の曰くが添えられた珊瑚の箸は、穏やかならぬ恋の物語を引き起こす。
その穏やかならぬ恋の物語は、「鰐の夢」からはじまり、最後は「珊瑚の骨」へと収斂していく。高家の双子の娘である高淑蘭は、両親が自分の弟ばかりを可愛がるのに不満を抱く一方、媳婦仔である義姉に同情する気持ちがあった。彼女は、義姉が「王仙君」の珊瑚の箸に願いごとをしていたのを耳にして、ついには兄の殺害を企てる。高淑蘭は義姉に対する憧れが昂じたあげく、呪いを用いて義姉の初恋のひとである「文勇兄さん」との結婚を果たし、二人の間に子どもが生まれた。高淑蘭が離婚すると、その子どもは奇妙な伝統を重んじる家族との息苦しい生活に苦悶する。「珊瑚の骨」に登場するその少年は、同級生からは「天使」と呼ばれ、三年生のときに程六兩という活発な少女と巡り会う。二人はお互いに仄かな恋心を抱くようになるのだが、彼に対する好奇心から程六兩はもっと「天使」と仲良くなりたいと思ううち、珊瑚の箸と高家族を取り巻く謎に興味を抱くようになっていく。ただ若い二人は、お互いの気持ちを察しながら、その距離をどう詰めていけばいいのかを考えあぐねていた。青春ならではの淡い恋物語は劇的な展開を経て、何の成果もないまま終わりを告げる。その後、程六兩は新たな人生を踏み出すことを心に決め、長きにわたり自らを苛んでいた心のわだかまりにけりをつけようとする。
高淑蘭が兄を殺害したことによって、媳婦仔の義姉はその「家」に留まる理由を失った。ようやく自由を得たものの、媳婦仔の過去を持つ彼女は自分ひとりで身を立てることもできないまま、娼婦に身をやつし、そこで生きる糧を見出そうとする。公娼というシステムのなかで必死に生きる彼女は、自らの手で殺めた子どもたちに対する自責の念から、「鰐の夢」で語られる「筷子仙」の儀式を思いつく。彼女が考えたその儀式は、表向きは願いを叶えるためのものに見えるが、実際は、子どもたちの魂を弔うことがその目的だった。
一九八〇年代から九〇年代にかけては「日台交流」が盛んで、台湾の風俗街から生まれたその儀式はたちまち日本の小学校に伝播し、「おはしさま」の呪いとなった。その後、大人になった雨宮が作家であるM先生に語る物語――それこそは「おはしさま」である。一九九○年代の六月のこと、小学生の雨宮は、彼女を虐待する兄を呪い殺そうとその儀式を続けるうち、おそるべき怪異に遭遇する。
「おはしさま」の呪いは日本に限らない。「筷子仙」としてさらなる拡がりを見せていた。一般人の怪談や呪いに対する興味が尽きることはない。「呪網の魚」では、香港のユーチューバーである「時計仕掛けのレモン」龔霆聰が都市伝説をでっちあげ、それを最後に否定するという卓袱台返しの企画を思いつくいきさつが語られている。龔霆聰を含めた四人は、香港の有名な都市伝説「新娘潭」をもとに、筷子仙とおはしさまを参考にしながら、「新娘潭に白米を盛った茶碗をおき、そこに呪いたい人の名を記した一揃えの箸を立てておくと、鬼新娘がその人の魂を地獄へと引きずり込み、祝宴をあげる」儀式を思いつく。龔霆聰たちの目論見は見事にあたり、ネットでは大変な盛りあがりを見せたものの、彼らが都市伝説の真相を暴露するや、ネットでは様々な議論が巻き起こる。何よりも理性を尊び迷信などはなから信じていない龔霆聰は、送られてきた呪い箸などは歯牙にもかけず、実況中継のなかで袋麺を食べてみせるが、それがもとで命を落としてしまう。
龔霆聰の死後、彼の恋人だった林麗娜は「鬼新娘」を名乗る人物からメッセージを受け取る。身の危険を感じた彼女は、かつての恋人の死について調査を始め、自分たちがでっちあげた「新娘潭」の呪いが、それを信じるものたちの手によって悲劇を引き起こしたことを知る。またスタジオ仲間だった葉思婕の妹である葉思妤は、自らの呪いによって親友だった聶曉葵が交通事故に遭ったと思い込んだあげく、飛び降り自殺をしてしまう。
ここで物語は再び「魯魚亥豕」へと立ち返る。聶曉葵が事故に遭ったとき、車には彼女に恋心を抱く大学生の張品辰が同乗していた。張品辰は「九龍一の名探偵」を自称する阿文に助けられ、葵を救い出すことを決意すると、阿文は品辰に「筷子仙」の儀式についての話をする。
だが「筷子仙」の儀式にのめりこむ品辰は、その様子を父の張文勇に知られてしまう。そこで物語は「鰐の夢」へと戻り、息子がしていることを見かねた張文勇は、彼を救う方法を求めて道士のもとを訪ね歩く。そして絶望する張文勇が最後に辿り着いたのが「妖怪ミステリ作家」だった。しかしその「妖怪ミステリ作家」こそは、張文勇の前妻の義姉であり、「筷子仙」の儀式を生みだした人物だったのである。一揃えの珊瑚の箸は、張文勇の長男にあたる道士の「海鱗子」の元に戻り、そこから物語は「魯魚亥豕」へと回帰し、「筷子仙とおはしさま」と異界の者である「鯀」の真相が語られていく――
こうしてまとめたあらすじを読んでいて、思わず眩暈がしてくるのではないだろうか? だとしたら、是非とも、もう一度この物語を読み返してみてほしい。一見、バラバラに見える物語は、複雑に絡み合いもつれ合いながらも、その根底で一本の太い線に貫かれていることに気がつくはずだ――ただ逆説的ではあるが、この複雑な連鎖は初めから用意されていたものではない。物語が様々な重なりを見せながら交錯し、生み出された結果であり、言うなれば、本稿における各編の解説もこれに依拠した性質を持っている(続く)。