婚前一年 / 李柏青

問題作。正直、日本のミステリ読者にこの作品を紹介するには、たった一言、『台湾の××(日本のミステリのある作品)』というだけでも十二分かという逸品。日本のミステリのある作品と同様、ネタバレを回避しつつ話を進めていくと、いったいどんな話なのかまったく了解不能という一冊ゆえ、キチンと紹介するのが難しい。

あらすじは、弁護士の主人公が、これからアメリカで一年を過ごす恋人と結婚の約束をとりつける。その主人公の彼は恋人が帰国するまでの一年の間に、二つの案件を担当することになるのですが、そのうちの一つはアメリカの会社と台湾の会社との合弁事業に関するもので、メリケン側が敵対買収も辞さない強欲さで台湾の企業を呑み込もうとするのを阻止するべく、彼は事務所の仲間たちと奔走する。もう一つはとある夫婦の離婚調停ながら、相談者の女性はなんと主人公の元カノ(子持ち)。さらに彼女の夫はくだんのアメリカ企業の男で、かつ学生時代の先輩だった――という話。

吉沢明歩似の恋人に、いまは子持ちの元恋人、さらには大学時代の後輩娘に加えて、家族ぐるみの付き合いでかつては自分のことを「お兄ちゃん」と呼んで慕っていた同僚娘など、複数の女性たちとイイ感じになる主人公の恋愛“未満”なトレンディ・ドラマが展開される背後で隠微に進行するある強烈な仕掛けが、最後の一頁で明らかにされる趣向が本作最大の見所でしょう。

で、この作品、上のあらすじでもさらっと述べた通り、ミステリにはお馴染みのコロシは完璧ナッシングで、さらには日常の謎的な「謎」はいっさい読者の前に開示されず、恋人が帰国するまでの一年間がただただ描かれていくだけなのですが、このテレビドラマのような物語に本格ミステリならではの仕掛けを凝らした傑作といえば、コレでしょう。

ただあちらの作品が、時間軸を精妙に操りその重なりのなかにヒロインのアレな行為を大胆に紛れ込ませて、最後の一頁ですべてを明らかにして読者を唖然とさせる結構だったのに比較すると、本作では、そうした時間軸の操りは控えめながら、語り手である主人公がさりげなく口にする言葉の端々に違和感を紛れ込ませ、隠された事実が最後の最期に明かされるとともに、そこで唐突に斜め上を行くフーダニットが開陳されるという豪快さが素晴らしい。

このフーダニットは最後の一頁でかなり唐突に読者に開示されるため、「お前、いったい誰だよ?」という疑問が頭のなかを埋め尽くすものの、主人公とこの人物の会話から、この人物が何者で、どういう属性なのかを類推することは十分に可能。もっとこの人物、主人公の行動のなかでは完全に「見えないひと」に徹しているため、自分も「??」となってしまったのですが、この人物を「見えないひと」にと仕上げるために、さらさらっと読んでいるぶんには見過ごしてしまうような名前にしているあたりも盤石で、さらには『婚前一年』というタイトルに引きずられて、「一年」よりもっと重要なある時間軸を隠蔽しつつ、最後の一頁でその人物の口から「一年」の言葉を語らせて、まったく違う意味へと変転させる趣向も秀逸です。

――と、本格ミステリならではの仕掛けと、日本の作品のアレを想起させる結構から、相当に驚ける物語かと思いきや、自分の感想はというと……仕掛けの巧みさよりも、最後の一頁で明らかにされるある人物の行動が倫理的に許せないという気持ちが優ってしまい、読後感はちょっとアレでした。もちろんこの人物の行為については、作中の逸話のなかで、同じことをしている輩も大胆に登場していたりするので、まあ、この業界じゃあ当たり前なのかなァ(もちろんそんなことはない)と考えたりするも、日本のあの作品におけるヒロインの行動はそこまでヒドくない(非モテ男にとっては火炙り上等な背信行為ながら)ことを鑑みれば、やはり個人的にはちょっとなァ……考えてしまうのでした。

というわけで、本格ミステリとしての仕掛けの技巧はピカ一ではあるものの、「仕掛けによって描かれる人間ドラマ」には感心できない、という、自分にとっては判断に戸惑う一冊でありました。しかしながら、台湾ミステリにおいてこうした技巧の作品が登場し、かつこれが読者にも好意的に受け入れられている状況は素晴らしいの一言。

本作は韓国で映画化の話も進行中とのことだし、映像化でトレンディ・ドラマに「擬態」すれば、最後の最期に明かされる仕掛けには超吃驚できること間違いなしという逸品で、日本の読者にも紹介できればなあ、――と夢想するも、タピオカに鶏排に、誠品書店に台湾野球のチアガールと、台湾ものとあれば飛びつく大多数の日本人もミステリ小説に“だけ”はマッタク食指が動かないようなので、まあ、無理でしょう。それでも本作が台湾ミステリ史上に名を刻む一作であることは間違いなく、ウン十年後には日本のあの作品と同様、確実な評価を得て「名作」となっているに違いありません。