親愛的你 / 李柏青

傑作。前回取り上げた『婚前一年』の作者による長編ミステリの第一作。『婚前』が本格ミステリの技巧を隠蔽し、トレンディドラマ風の一般小説に擬態した、国産ミステリのアレを彷彿とさせる作風だったのに比較すると、本作は女性の自殺を端緒とする本格ミステリとしての外観をシッカリと兼ね備えた真っ当な本格ミステリ、――に見えながら、一癖も二癖もある逸品でありました。

物語は、とある女性がマンションのビルから飛び降り自殺をしたという知らせを聞いた大学生の僕は、遺書に書かれた「親愛なるあなた」という人物が誰なのか、彼女の自殺の理由を探るべく動き出す。しかし自殺当日、語り手の僕は西門町で曰くありの人物と再会し、ホテルで“ある行為”に手を染めていた。その人物こそは、自殺した彼女の元恋人で、僕もまた以前彼女と交際していたことがり、それに加えて彼女のルームメイトが実は僕の現恋人であり、――というふうに『婚前』の語り手と同様のモテモテ・ボーイが主人公なのですが、この僕が自殺当日にホテルでしていた“ある行為”が大問題。さらにこの僕は、以前にも同じ行為を、この曰くありの人物と共に自殺した彼女相手にしたことがあり……という背景が徐々に明かされてくにつれ、遺書の「親愛なるあなた」っていうのは絶対にこいつでしょ、と読者は確信を抱くこと請け合いながら、物語はそうした読者の直感を巧みにかわしながら、自殺した彼女の家庭事情と、大学の女友達たちの目撃譚を手掛かりに、語り手の僕を探偵役に据えたフーダニットが進められていきます。

自殺した彼女の母親は心を病んで入院したあげく、病室で首を吊って自殺したという。そのきっかけというのが、父親の不倫にあったという家庭事情を読者の前に開示すると、自殺当夜に僕がしていた“ある行為”に絡めて、あの日に再会した人物のアパートを探りに行く僕が意想外なブツを目の当たりにするあたりから、自殺の背後に隠されていた殺人事件が浮上してくる。

僕はアパートで見つけたあるものを手掛かりに、遺書にあった「親愛なるあなた」の当人と疑われる人物の家を訪ねていくのだが、そこでまたもや自殺した彼女の家庭事情に大きく絡んだある秘密を知ることになる、――とここまでが前半で、語り手の僕がこの自殺にまつわる事件の構図を解き明かし、対面した人物を糾弾すると、ここから物語は急転直下、僕は「探偵役」から「容疑者」へと引きずり下ろされ、僕と刑事の取り調べパートへと突き進んでいく構成が素晴らしい。

前半部で推理のキレを見せた語り手の僕ですが、殺人の嫌疑をかけられたものの、自分がその犯人ではないことは誰よりもよく判っている。とはいえ、読者の視点からすれば、自殺当夜にコイツが“ある行為”をしていたことは明々白々たる事実であり、それゆえに信用できない語り手としてこの展開を見守るよりほかはない。

“ある行為”についてはなんとして隠し通さないといけない窮地に立たされた語り手と、警察のネチっこい追及を交わしていく取り調べのシーンは、まるで倒叙ものの終盤を彷彿とさせるスリリングさで魅せてくれます。拘置所に拘留されたまま警察の取り調べを受け続ける僕は、嫌疑をかけられた殺人事件に推理を巡らせ、それを刑事の一人に聞かせるところから再び物語は急旋回を見せ、当初の自殺が何者かの手による殺人へと姿を変えていく変転も素晴らしい。

時系列を書き出しながら被害者と容疑者の行動を解き明かしていく推理の緻密さも見所で、殺された彼女の家族の背景と、僕が見つけたブツにまつわる疑問を重ねて、殺人の動機と事件の構図を詳らかにして行く展開から、語り手の僕は再び探偵としてこの物語の表舞台に復帰するかと思いきや、最後の最期まで隠し通そうとしていた“ある行為”によって奈落へと突き落とされる展開はかなりアレ。

もっともこの“ある行為”は読者目線からしても、とうてい許されるものではなく、語り手自身の自発的な行為とはいえないものの、加担しただけでも相当に重罪であることは間違いないわけで、自殺と殺人の真相については宙づりにされたまま、主人公のその後が駆け足で語られていくと物語は一気に十年後に飛んで、ある人物の口から事件のすべてが明かされる、――この見せ方は秀逸です。

さらに興味深いのは、謎―真相という連関で見ると、最後の真相は読者にとって当初の予想通りといえるものながら、様々な推理の曲折を経た今はまったく違った絵図へと転じてい、さらに真犯人ともいえるこの人物の異様さと、自殺したとされた彼女の人生に大きく関わっていた黒幕との隠微な関係をパズルの一ピースとして当てはめるだけで、すべてが大きく変わってしまうという構図の見せ方も言うことなし。

もう一点、物語の冒頭において、自殺をした彼女はその直前にあることをしているのですが、その真相についてはついに解き明かされないまま、最後に語り手が様々に想像を巡らせて本作は幕となります。この余白を残して物語のしめくくりとする演出も心憎い。

「探偵」から「容疑者」へと失墜し、最後は第三者的な視点で事件を再考する語り手の立場や、本格ミステリとしての謎解きを突き詰めた前半と、倒叙ミステリの魅力を凝縮した後半部から十年の時を経て真相が明かされる構成の巧みさ、さらには人間の暗黒面をさらっとカジュアルに(ここ重要)描いてみせた幕引きなど、ミステリとしての魅力をタップリと詰め込んだ本作は、日本のマニアもかなり満足できる逸品といえるのではないでしょうか。

恋愛ドラマに擬態した『婚前』の方が技法の巧拙においては優れているものの、個人的にはこちらの方が好みです。オススメ。

婚前一年 / 李柏青