夜の道標 / 芦沢央

夜の道標 / 芦沢央

傑作。ミステリとして一級品であることは確実ながら、2022年という発刊当時に読んだ自分にとってはホラー小説としか思えない衝撃の一冊でありました。それには、ちょうどこの物語の背景となるテーマの本を読んでいたということもあるのだけど、そのあたりについては後述します。

物語は、バスケでずば抜けた才能を見せつけるボーイと、そのボーイのことを気遣うもうひとりの少年、さらにはパートで働く中年女に、窓際刑事、そしてパート女に匿われている殺人犯という、複数の登場人物の逸話を変わる変わる描きながら、彼ら彼女の背景を明らかにしていきつつ、二年前の未解決事件(犯人はパート女に匿われている男)の構図が炙り出されていく、――という話。

バスケの才能溢れるボーイの親父が、実はとんでもない野郎だったり、窓際刑事が窓際に追いやられた背景にある署内の嫌がらせなど、不愉快な現実をこれでもかこれでもかッと読者に叩きつけてくる澱んだ筆致は、イヤミス女王たる作者の真骨頂。

バスケの天才君の親父は、リアルワールドにおいては児童虐待で完全アウトな存在ながら、親父の命令に粛々と従うボーイのおかげで、その悪業は辛くも露見せずにすんでいる。そんなボーイが、パート女の住む自宅の地下室に匿われている殺人犯と巡り会い、さらには天才君の友達に殺人犯の存在が知られることによって、物語は静かに動き始めます。殺人犯の行方を追う窓際刑事の視点と、ボーイたちの視点が、学校のイベントで交錯し、殺人犯の背景が一気に明かされていく構成が素晴らしい。

なぜ殺人犯は黙ってパート女の地下室に居続けるのか、それについては男の属性によって仄めかされているものの、それと過去の殺人を結びつける動機がハッキリしない。いくつかの視点パートがどう繋がっていくのか、という、本格ミステリの定番たる展開が本作の見せ場と読者を惑わせつつ、いっけん動機がまったくないかに見える殺人を、なぜ男は犯したのか、――実はその動機の解明こそが本作のキモ。

彼を殺人に駆り立てた普通人の『善意』は恐怖の極みで、この普通人の思考がコロナ禍においては当たり前に行われていたという、この物語と現実との重なりに、自分はゾーッとなったのですが、そんな読者はほぼいなかったのではないかと。

主人公が、慕っていた先生を殺す致命的な「きっかけ」つくりだすにいたったある人物が、刑事に問い詰められて口にする台詞が強烈で、ちょっと引用。

「国がそうすべきだって言ったんじゃないですか!」

「私は、みんなやってるって言うからやったんです。やらないことなんて自分勝手だって、××(一応伏せ字)のためだって、正しいことだって……偉い大学の先生たちも、お医者さんも……」

「国がそうすべきだって言」った、「みんなやってるって言うからやった」――つい最近も、現実世界でさかんに皆が揃って口にしていた言葉かと思います。

このあとに「正しいことだと信じて取り返しのつかないことをしてしまって、後になって、あれは間違いだった」「と言われたって、今さらどうすればいいんですか」という台詞が続くのですが、この人物にこの言葉を吐かせたこと、そして作者じしんの『膨らみ続ける恐怖の中で、今、私がどうしても書かずにいられなかった物語です』という言葉にこそ、作者のコロナ禍における公衆衛生ファシズムへの批判が込められているのではないか――と考えるのはうがち過ぎか。

過去、当たり前のように行われ、そのことを一般人も当たり前と受け入れるいっぽう、従わざる者は同調圧力によって批判され、その非道な所業が明かされると、今度は推進していた側も、受け入れていた側も沈黙する、――という歴史を鑑みるに、コロナ禍のさまざまな行いについても、今ここを生きる日本人たちは沈黙を守り続けるんだろうなァ……なんて絶望的な未来を想起してしまうあたり、本作の衝撃は完全にホラー。

しかしもう少し本格ミステリに寄せて考えると、ある意味『虚無への供物』と同様、未来にこそ、この本は評価されるのカモ、などと考えてしまいました(いや、日本人の本質が変わらないだろうから、それもありえないのだけど……)。

リアル世界に対して鈍感な大多数の読者には「うんうん、最後に色々繋がって、よくできたミステリだね」というカタルシスを与え、現実世界に違和感を持ち続けるアタオカの少数者にはホラーめく恐怖をもたらす吃驚の一冊。とはいえフツーに読んでも面白いので、多くの人に読んでもらい、この物語の背景を頭の片隅にでも留めておいてくれれば、と思った次第です。