『怪談実話系』に「連載」していた”あの女”シリーズを一冊にまとめて緊急出版となった本作、その緊急出版の理由は明快で、ジャケ帯にもある通り、”あの女”はいっとき世間を騒がせたオセロ・中島知子に「憑いて」いた女占い師なのか否か、――という引きで売ってやろうじゃないノ、というのがもう見え見え。これをゲスいと感じるか、あるいは自分のように志麻子姐の話芸をめいっぱい愉しんでしまうか、いずれにしろかなり読者を選んでしまう一冊であることは間違いありません。
収録作は、”あの女”のおもしろ可笑しい出現で華麗に始まる「昨日の夢と今日の嘘」から、最後の「あの女騒動についての少し長い後書き」にいたるまで、もう”あの女”のイタい逸話がテンコモリ。恐ろしいほどの虚言癖を武器に、志麻子姐御をはじめ多くの人間に迷惑をかけまくる”あの女”の破壊力は抜群ながら、こうして一冊を通して読むと、”あの女”の存在がどこかおかしくも哀しく感じられてくるから不思議です。
哀しい、と感じてしまうのは、彼女が本当に例の女占い師であれば、虚言癖が転じて本当の有名人になれたものの、そうなることもできず、所詮は志麻子姐の「小説」の中でのみ存在を確認できるだけの薄っぺらい存在に過ぎないことが、集積されたエピソードの数々から切々と伝わってくるからで、霊感ゼロの志麻子姐がどうにかして”あの女”の存在を生き霊に結びつけて怪異のひとつに昇華させようと奮闘するも虚しく、”あの女”はやはり”あの女”と呼ぶしかない厳しすぎる現実がまたさらなる悲哀を誘います。
むしろ書き下ろしの中でさらりと語られる、ちょっとした怪異や異様な人物の逸話の方が恐ろしく、怪談における「怖さ」においてもやはり”あの女”は、怪談という語りの中でも中途半端。怖いというよりは、ぶっちゃけ迷惑でしかない存在もまた、平山夢明氏の小説や氏のエピソードに登場する常軌を逸した狂人というわけでもなく、このあたりのリアリズムがまた切ない。
生きている人間と霊のどちらが怖いか、という定番の質問にたいして、本作における”あの女”の迷惑な逸話の数々を知った後であれば、やはり人間かな、……とほとんどの読者が答えるのではと推察されるものの、冷静に考えてみれば、その怖いという心情もハタ迷惑なヤツという感慨に収束してしまうわけで、女芸人と作者である志麻子姐の関係における「設定」の揺らぎも交えて、本シリーズにおける居心地の悪い中途半端な印象はそのまま、”あの女”の存在そのものを体現しているようにも思えてきます。
ちっとも怖くないシリーズとはいえ、人間の悲哀を斜めの視点から描いてみせたという点で、結局は巡りめぐって巧妙な怪談へと昇華されてしまった本作、メディアファクトリーの怪談ものとしてはかなり異色作ではありますが、それでもやはり怪談である、と”あの女”の存在が主張する本作は、ドキュメンタリーに擬態した奇妙な味の小説として愉しむのも一興でしょう。志麻子姐の軽妙な語りがツボな人には断然オススメではありますが、ノンケの怪談ジャンキーにはやはり取り扱い注意ということで。