かくも水深き不在 / 竹本 健治

傑作。ジャケ帯には『存在の不安を呼び覚ます、鬼才の恐怖譚』とありますが、実際はホラーであり、ミステリでもあるという逸品でした。収録作は、ガキんちょたちがとある廃屋に忍び込んだときの恐怖体験をサスペンスフルなタッチで描いた「鬼ごっこ」、テレビで眼にしたある映像にいいしれぬ恐怖を覚えた男が操りの獄へと堕ちる「恐い映像」、好きになった女をストーカーから守ろうとする男の奮戦が捻れた真相へと着地する「花の軛」。

誘拐劇の背後に隠されたホワイダニットの意想外な真相が鮮やかな「零点透視の誘拐」、そしてこの四つの事件に隠された人間関係の綾とその構図が解き明かされた瞬間に立ち現れる恐ろしくも美しいラスト「舞台劇を成立させるのは人でなく照明である」の全五編。

「鬼ごっこ」は収録作の中でももっとストレートでシンプルな構造を持った一編で、子供たちがとある怪しい屋敷に忍び込んだのち、得たいの知れない”鬼”の影に怯えながら逃げ惑うという話。鬼に見つめられたものは鬼になってしまうというゾンビ・テイストを効かせた設定が中盤で明かされるのですが、この恐怖がクライマックスに達したあと、ふっと舞台は変わって、このホラー的な展開の真相がある語りによって仄めかされるという幕引きが軽い目眩を引き起こします。しかし何とも煮え切らない幕引きなんですが、もちろんこれにも理由があります。

続く「恐い映像」は、何となく筒井康隆の「鍵」あたりを彷彿とさせる、恐怖小説としては定番の展開で魅せてくれます。テレビを見ていてフと眼にしたCM映像にいいしれぬ恐怖を感じた主人公が、なぜそこに恐怖を見たのかという所以を辿っていくことになるのだか、――という話。その行為はやがて彼の忘れていた過去へと収斂していくのですが、彼が行き着いた真相よりも、その真相にたどり着くまでに張り巡らされた奸計が恐ろしい。できすぎた偶然にも思えた超絶な操りの糸を、精神科医が”探偵”となって鮮やかに解き明かしてくれるものの、考えれば考えるほど、その出来すぎな構図に読者は違和感を覚えるに違いありません。そしてこの違和感の正体は、最後の「舞台劇を――」で明らかにされます。

「花の軛」は、ホの字になった女との恋物語を軽妙なタッチで描いていくのかと思いきや、ストーカーの登場によって話の展開は奇妙に歪んでいきます。主人公の妹とのユーモラスにも感じられるやりとりにふと兆す精神科医との関係など、前二作とは異なる語り口とは裏腹に、暗い影の感じられる物語は、後半にいたって主人公が思い描いた絵図とはまったく逆の構図を明らかにしていきます。実をいうと、この反転の構図はストーカーが登場した時点で自分はあっさりと見破っていたのですが、登場人物すべてを巻き込んで何ともブラックな結末へと堕ちるラストは、これまた前編と同様、違和感がありまくり。そして繰り返しになりますが、この違和感の正体は、最後の最後の「舞台劇を――」で明らかにされます。

「零点透視の誘拐」は、シンプルな身代金誘拐未遂事件と思われた裏に意想外な真相があり、――という話。前半に描かれる誘拐事件のディテールを、精神科医が”探偵”となって、巧妙な気づきを解きほぐしていきます。不完全に見えた誘拐事件を別の角度から考察していく気づきの視点が素晴らしい。過去の誘拐事件の犯人については、クドいくらいにある手がかりを描いてくれているため、推理抜きで読者がこの人物に思い至るのは容易ながら、探偵による視点の転換の鮮やかには脱帽すること間違いありません。

そして最後を飾る「舞台劇を成立させるのは人でなく照明である」は、四編を通じて描かれていながらも見えていなかった人間関係を解きほぐし、意外な構図を導きだしてみせるのですが、今更感アリアリな真相ながら、このネタで四つの物語を巧妙に繋げてみせた趣向と、タイトル通りのラストを迎える最後の一行が見事。ジャケ帯にもある「存在の不安を呼び覚ます」という言葉通りのこの感覚は、作者の傑作短編「恐怖」にも通じ、また怖さ以上に不思議な感動と余韻をも感じさせます。

連城の短編のアレを井上夢人フウのアレでゴニョゴニョ……と思わず呟いてみたくなる見事に決まった幕引きはもとより、それぞれの短編に凝らされた本格ミステリ的な仕掛けやホラーとしてのサスペンスなど、一級品の風格を持った本作、恐怖小説好き、本格ミステリ好きのいずれの読者も満足できるのではないでしょうか。オススメです。