アルカトラズ幻想 / 島田 荘司

傑作。ジャケ帯にいわく『「本格」の新地平を切りひらく「超本格ミステリー』。確かにこれは従来の本格ミステリーとは完全に一線を画する超絶豪腕な物語です。そのタイトルとジャケ帯には「孤島の監獄アルカトラズ 脱獄囚が迷い込んだ異世界とは?」とあるものですから、アルカトラズから脱獄するパートが大部分を占める物語かと早合点してしまうのですが、さにあらず。

冒頭から語られるのは切り裂きジャックを彷彿とさせる猟奇殺人事件という外連で読者のハートを鷲摑みしてみせると、この奇妙に装飾された死体のハウダニットや犯人の謎で物語の前半を引っ張っていくのかという期待とは裏腹に、刑事たちが事件を追いかけていくシーンは唐突に中断され、第二章「重力論文」では、狂気じみた学説を並べた論文が挿入されているという『ドクラ・マグラ』な構成で度肝を抜いてくれます。

よし、論文から犯人の狂気の論理は理解できた。それで次にまた猟奇死体が見つかるんだろ、と本格ミステリーにおける定番の展開を予想していると、あっさりと”犯人”はつかまり、そこからアルカトラズ島のシーンへと移ります。とにかく今までの御大の作品以上に、先読みを許さない超絶な展開を見せつけてくれる本作でありますが、アルカトラズに舞台を写してからも第二章の論文の香りはしっかりと残されていて、ガキん時に『ドラゴンブックス』や『ジュニアチャンピオンコース』をむさぼり読み、ちょっと大人になってからもアノ世界の愉悦を忘れられず、いい歳こいて未だに学研の『ムー』とか読んでいる夢追い人であれば、ムフムフと含み笑いを漏らしてしまうようなネタもたっぷりと披露してくれるところも素晴らしい。

アルカトラズといえば脱獄、というお約束の展開を盛り込みつつも、この映画的ともいえるアクション・シーンに二重写しの趣向を凝らしてあるところが秀逸で、後半は「脱獄囚が迷い込んだ異世界」での幻想的な情景で読者を引っ張っていきます。物語が進むにつれて、現実から幻想へと変化しより物語が混沌としてくるという本作の構成は、幻想が物語の序盤で明示されるという、かつて『本格ミステリー宣言』で高らかに語られた本格ミステリーとしての結構を完全に裏返しにしたようなかたちをしています。

タンジール蜜柑共和国の向こうを張って、本作の後半ではパンプキン王国でのできごとが語られていくのですが、前半ではなく後半に幻想的情景が現出する本作の異色な構成は、『眩暈』を二十一世紀本格の技法で描き出した『ネジ式ザゼツキー』を裏返しにした趣向ととらえることができるかもしれません。なぜ、裏返しなのかというのは是非とも本作を読んでいだたきたいわけですが、この破格の構成によって、真相の背後に”犯罪”とその”主体”と”動機”が存在するという、――従来の本格ミステリーとしての読みを同時に成立させているということは言えるでしょう。

とはいえ、冒頭に猟奇殺人が語られ、その謎から真相へと邁進していく序盤の展開は、見慣れた本格ミステリーながら、そこからアルカトラズの脱獄劇へと姿を変え、さらにそうした現実的な光景が一転して幻想世界へと変容していくという激しすぎる展開は、従来の本格ミステリーからは完全に逸脱しており、ジャケ帯の「超本格ミステリー」を「超”本格ミステリー」の意味としてとらえたくなってきます。

それでもしっかりと、最後に幻想が論理によって現実世界の出来事へと解体されるという、本格ミステリの骨法は崩していません。そうした意味では『ハロウィン・ダンサー』の方が、本格ミステリの形をなしたまま本格ミステリを突き抜けてしまったという点で、御大の豪腕がもっとも明快なかたちで発揮された傑作と評価できるのかもしれません。しかしもっと突きつめて考えてみると、現実と幻想を分け隔てるギリギリのラインまで接近しながらそれでもこの骨格を崩さないというのは相当な難行のはずで、むしろ本格ミステリとは異なる、――たとえば幻想小説なりSFなりに突き抜けてしまった方が創作としては容易、という見方もできるわけで、本格ミステリの大地に踏みとどまりながら、極北の彼方に広がる幻想の海原を見せつけた一編という点において、本作は確かにジャケ帯にある通りの「”超本格”ミステリー」であるといえます。

エピローグで完全なる現実世界へと帰還した物語は、上に述べた裏返しの真相をあきらかにしたのち、ある人物の壮絶な一代記が語られていくのですが、アルカトラズ島のシーンでも繰り返し語られるある恐怖のかたちは、3.11の悲壮と共鳴しながら、そこにささやかな希望を託して幕となります。『進々堂世界一周』に収録された「戻り橋と悲願花」に続くあの歴史的事件のなかのに存在したであろう”もうひとつの世界”を照射した物語として本作をとらえるのもアリでしょうし、二十一世紀本格の収穫として評価される『ヘルター・スケルター』と並べて、その仕掛けと通奏低音のように物語の深奥で鳴り響く歴史的事件との照応を比較してみせるのも一興でしょう。

その奇想以上に、破格の構成によって『「本格」の新地平を切りひら」いてみせた本作、御大ファンにとってはマストであることはもちろん、2012年現在の本格ミステリの最前線を知るにも必読の一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。