先週の土曜日に成城大学で開催された御大監修「成城と本格推理小説」の第二回「映画『幻肢』が完成するまで」。主催者側から、藤井道人監督の講演部分についてのみ内容公開の許可を得ることができたので、テープ起こした内容を若干整理したかたちでここに挙げておきたいと思います。
藤井: はい、皆さま。本日は寒いなかお越しいただきましてありがとうございます。『幻肢』の脚本監督をしました藤井道人と申します。えっとですね、僕はここまで大きいホールで一人で六十分間しゃべるというのは……まあ、まだ短い人生なんですけど、はじめてでございまして、今日は何かと不備があるかもしませんが、一生懸命夜なべをして準備をしてまいりましたので、暖かく見守っていただければなと思います。よろしくお願いします。
はい、ではまずは島田先生と第二部の方ではミステリーであったり本格推理であったり、そういうお話っていうのはさせていただくと思うので、まずはみなさんに公開中の映画『幻肢』ができるまでというのを、パワーポイントを使って色々とご説明させていただきたいと思います。まず、僕の……先ほど簡単に説明していただいたと思うんですけども、僕は日本大学芸術学部映画学科脚本コースというところで映画作りを勉強しました。脚本家の青木研次先生というですね、『いつか読書する日』とか、素晴らしい作品をたくさんつくってらっしゃる先生に脚本を勉強しまして、そこから脚本がいっこうに面白くならない時期があって、どうやったら脚本が面白く書けるようになるんだろうって、自分の中でいろんなことを模索していたときに監督をしてみました。
で、映画を撮ってみたら、こういう台詞は言わないんじゃないか、とか、こういうことを書かないんじゃないかとか、そういうことをやっているうちに監督がどんどん楽しくなってきて、監督をすることがとても増えたというのが現在――1986年生まれの28歳でございますが、それで作品を撮らせていだたけまして、そのあと島田先生と『幻肢』という作品をつくらせていただきました。ちょっとまずここで六分ほどなんですけれども、私の簡単な映像を見ていたいただければ幸いでございます。ので、これ……電気が少しだけ暗くなるバージョンになったら嬉しいんですけれど……じゃあ、そのまま上映します(照明調整)。
えっと,映画以外にもCMであったりとか、ミュージックビデオだったりとか、いろんなものを監督することが多いので、その作品集になっておりますが、ではちょっと、六分半くらいになりますので、是非ご覧下さい。
(映像)
――はい、以上になります。ありがとうございました。こういうかんじでですね、映画だったりとか、ショートフィルムであったりとか、色々なものを映像に関するすべてのものを今はディレクションをしております。そのなかでも映画に関しては脚本からやらせていただくことがほぼ100%くらい。ここからやらせていただくことが多くてですね、今回の『幻肢』に関しても脚本――プロットの段階からやらせていただきました。2015年にはまた長編の映画が何本か公開を控えております。では、さっそく『幻肢』の企画が始まったきっかけというのを……なぜ自分が『幻肢』という作品を監督できるようになったのとかという経緯をお話したいと思います。
まず2011年ですね。今から三年前、広島で行われているダマー映画祭という、中国、韓国、台湾――いろんな国からですね。ショートフィルムの若手監督が集まって広島で行われている映画祭があるんですけれども、そこで『埃』という2011年に撮った短編が審査員特別賞を受賞したことに端を発します。で、そのときに審査員をやっていたのが、今回の『幻肢』のプロデューサーの佐倉プロデューサーで、そのときに佐倉プロデューサーに初めてお会いして、そこから佐倉さんに脚本を見て頂いたりとか、いろんなご縁がはじまりました。その中で長編の脚本をいくつか書いている中で、佐倉さんに一冊の……島田先生のある作品を、これをちょっと映画にしてみたら面白いんじゃないかな、ということで一緒に書きはじめたのが、僕が初めて島田先生の小説に触れるきっかけになった一番最初のことでございました。
そのときには、僕が読んだ島田先生の作品は、どちらかというとミステリーというところがすごく強いというよりは、人間的なドラマだったりとか、恐怖だったりとか、そういうところにすごくこう……強いエッセンスがある作品だったので、先生の他の本をそのときに初めて読んでみたときに、すごく難しくて……あ、これは難しいな、と思って一ヶ月くらいかかって一冊初めて読み終わったっていうのが、先生のデビュー作を読ませていただいたときに感じたことを覚えております。で、企画が……そのときに書いていたんですけれども、ここでちょっと変化が起きます。これは2012年ころ、2年後の2013年のことですね。別企画として,島田荘司先生の共作でオリジナル企画をやってみないかということを佐倉プロデューサーの方から打診を受けまして、是非やらせてくださいということで、今回この『幻肢』という企画がはじまりました。
で、そのときに僕が初めて島田先生にお会いして、まずは島田先生にどういう映画を一緒につくろうかという話をかなり長い時間、一緒にさせていただいたことがあるんですけれども、そのとき僕はそれまでインターネットとかで先生の情報をすごくいっぱい調べて、写真を見たときにすごく怖い人が来るっていうふうに僕は思って、そこはびくびくしながら佐倉さんの会社に行ってですね、始めてお会いしました。そのときにその写真とは真逆の、すごく温和な、島田先生にお会いしまして、そのときに初めてどういう映画をつくろうかという話になりました。そのときに先生から言われたことですごくよく覚えているのが、若い男女の話をやりたいということと、脳の話をやりたいということで、お話を受けたときに一本のDVDを――そのときに一緒にではなかったと思うんですけれども――見たことを覚えています。TMSに関してのDVDでした。TMSっていう医療機器は『幻肢』の中でもでてくるんですけれども、TMSというのは脳に磁気刺激を当てて、日本では今は鬱の治療だったりとかに用いられているんですけれども、海外ではそれがもうちょっと普及しており、それの海外で普及しているDVDを見ました。
で、島田先生がその『幻肢』をつくるにあたって,多分そこは詳しく後ほど話してくださると思うですけれど、ある仮説を立てて、そのTMSを使って新しい脳の中のミステリーというのをつくれるんじゃないかということで、そのときに僕は『幻肢』のために買ったメモ帳がですね……企画の書いて、ブロットを書きはじめるときに先生が書いていること、言っていることを、僕が一つずつばーっとメモを取るんですけれど、三回くらいのミーティングでその一冊のメモ帳がなくなってしまうぐらい,先生からのいただく情報がすごく多くて。そこに関してはたぶん、あ、藤井はこういうことを言ってたんだな、とみなさん、第二部で判っていただくと思いますが、すごくこう、『幻肢』っていうものに対して先生が考えていることに追いつくことが最初はいっぱいいっぱいでございました。
で、いっぱいっぱいの私が執筆まで、ではどうやって脚本が完成したのかっていうところを簡単にご説明したいと思います。まずは、その先ほど言ったような島田先生からのヒアリングを、島田先生とどういう作品をつくりたいか、いわゆるどういう映画をつくろうかっていう話をしたときに――幻肢現象。脳に対してのミステリー。TMSを使ってみたら面白いんじゃないか。あとは,若い男女のラブストーリーの要素があるという、そういうようなものが最初にはありました。で、そのときから先生と一緒にまず僕は一ペラほどのプロットを書いて、で、先生のお直しをいただいて、こういう話だよね、こういう話だよねっていう、プロットと呼ばれる簡単な短いあらすじっていうのを、方向性の確認をしながら、何回もやり直して……四回、五回くらいですかね。そのプロットというものが五ページくらいのものとしてちゃんと肉付きができたときに、はじめて脚本を執筆することになりました。で、皆さまのお手元にお配りさせていただいたプロフィールの二枚目に、僕の記念すべき、初めて先生と作業をしたプロットの冒頭部分が内容がございます。「雅人は、腕も、足も、肋骨も骨折している。目が覚めたら、外科のERだった」――この一行から始まる冒頭部分だけをまずは抜粋させて読んでいただければと思っており、今日これを印刷して持ってまいりました(続く)。