成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その11

前回のエントリである「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その10」の続きで、第一回のテープ起こしはこれにて終了です。明日には第二回となる「映画『幻肢』が完成するまで」が控えていますが、この内容もこちらで公開できるかどうかは未定。主催者側から了承をもらえたら場合には写真とともにテープ起こしをするかもしれません。

GXR + MOUNT A12 with CONTAX T* Makro-Planar 2,8/60c, ISO1083, f2.8, SS 1/100
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太田: ありがとうございます。いやいや、自制が働いたとはおっしゃっても、やはり島田先生ならではの作品だと思います。えっと、そうか、もうそろそろ実は時間なんですが……

佐藤: それもあるんですが、今回のタイトルが成城と本格推理小説ということで、今回お話の最初の方にも野川が……成城の町を下から、丘から見た時に気がついたことがあって、またそれが『網走発遙かなり』の最初の「丘の上」に出てきたというか……まあ、そういうエピソードがあったということがありましたが……あのせっかくですから、もう少しそのあたりを最後にうかがっていきたいかなと思うんですね。

皆様のお手元に「成城ミステリ文芸散歩」という資料があると思います。いま、こちらにも座っているですね、成城大学のミステリー研究会の学生が実はつくってくれたものなんですね。今日はおそらく成城のミス研だけでなく他の大学からもミス研の方たちが来て下さってると思うんですね。それで非常に労作だと思うんですけど。先生もこちらなんですけれども……まあたとえば、「Y字路」などは成城大学が出てくるとまあ、学生なんかは指摘しているんですね。まあ、このあたりで先生の例えば若手の経験からしか書けないというところも大きいけれども、いわゆるある種のロケーションはどうやって文学に使うかとか、そのあたりについてですね、ちょっとこう、成城を何か具体的に挙げながら思い出話でもいいですので、なんかその場所とミステリーということで何かおうかがいできることがあればなと思うんですけど、いかがでしょう。

島田: あの、デビュー前、それからデビューしてから十年間くらい、私、車に非常に狂っておりまして、そして好きな車がたくさんできたんですね。それは優秀で耐久性のある日本車ではなくて、しょっちゅう手を入れてあげないと走らないイギリス車であることが多かった。それから逆にもう極限的な職人芸の産物で素人が手を出すことを拒否しているようなポルシェの911って車がありました。MGとポルシェ911って非常に対照的な車なんですけど、この両方が大好きで,一時は印税の大半は車に消えている。あるいは夜になると、環八沿いの車のショールームを端から端まで巡らないと眠れないというような、頭がおかしくなったりした時期がありましたです。

そういう時期、浅草にも大変惹かれたんですね。乱歩的な世界かもしれませんが、それから狛江に戻ってきて、その好きな車を操って戻ってくる。そうすると、どうしても世田ヶ谷通りを通らざるを得ないわけです。私、いっとき抜け道の鬼でしたけれども、それでも最終的には世田ヶ谷通りを通らざるを得ない。そして成城学園に帰ろうとすると、あの駅の横の踏切を通らなきゃいけないんですね。これはね、踏切を渡って駅の新宿方面を向かって左側、こっちへ行くにはやはりあの踏切を通るのが一番早いわけです。そしてこの踏切があったころ、この踏切で事故を起こさせて、この事故が非常に物語に重要な意味を持つ、という――「山高帽のイカロス」かな――っていう短編を書いたことがありました。

それからアメリカに住むようになったとき、狛江から三鷹市、井の頭、吉祥寺に引っ越したもんですから、この吉祥寺から成田空港へ行かなきゃいけない。そのときにやはり抜け道の鬼だったものですからね、環八を通っていくといつになるか判らないわけです。ですからタクシーに乗ると、ここ右ね、ここ左ねっていってとんでもない道をぐるぐる回らされて、タクシーもすごく嫌な顔をするんですが、大井南インターに乗るころには、もう例外なく感謝をしてくださって。「いや早かったです」「いや、良い道を教えていただきました」ってよく言われました。で、そのときにやっぱりその踏切の横の一本横の向こうから……三鷹から田園調布方向へ向かっていくときには立体交差なんですが、逆に行くときには必ず踏切を渡らなきゃいけないということがありまして、ですから私、車でずいぶんいろんな試乗をしました。ポルシェ959なんて、みんな町で見かけたら走って追いかけてくるような車。それを乗ったときにもあの踏切を通って、そのガソリンスタンドで給油をしましたですね、ポルシェ959で。そのときは人だかりができましたです。あれはひょっとしたら成城大学の学生さんなんかいたのかなと思いましたが。

ですからあの踏切というのは凄く懐かしいですね。そのほか、Y字路のときは、Y字路はやはりさっき言いましたが、環八沿いの、夜中になると環八沿いのショールームを端から端までみて……ですからショールームのお兄さんと顔見知りになっちゃって。でもまあ、観に行くのは夜中でしたからね……そうやって走り回っていたころ、世田ヶ谷通り、玉川を超えて土井沿いの道、あそこでY字路を見つけたんですね。ここでこういうことを起こせるなと思いました。そしてそれと台詞を結びつけたわけですが、このころ乱歩の幻影にしても、それから「丘の上」もそうかもしれないが、そのほかにもたくさんあると思うんですけれどね、成城学園という町はやはりリッチなものの象徴として考えていたんだろうな、と思います。

私、個人的にはそういうもんじゃなくて、成城の町好きだったんですけど――アルプスがある。それから古本屋がずらっと並んでいたんですね。こういうものを……当時は。いまはなくなりましたが、あの古本屋を一件一軒覗いてみたり。それから著名人も住んでいたんですね。御前に穂寿美寿司(?)の太田なんとかさんっていう人の家があったり、三船敏郎の家があったり……そうだ。黒澤明さんの家があった。私、黒澤さんの大ファンでしたから、家も観に行ったりしました。でもあの人は別荘ももっと立派なものを持っていて、そちらの方によく行ってるようだったかな。それから亡くなったときに億ションに入りました。億ションでなくなったんですよね。それがこの抜け道を通っていくときに右へ曲がる角のところにありました。

だからあのマンションにもよく馴染んだし、それから神戸屋っていうパン屋によく来たのですが、その前に三船プロダクションがあったんですね。三船プロダクショが原作くれって言ってきたことがあって、そこのディレクターと仲良くなりまして。まあ、そういう付き合いも生じたのも、成城の町の……ああ思い出しました。あの、東宝の撮影所があったんですよ。で、ゴジラのプールがあるという有名な撮影所。今はもう小綺麗になりましたですが、当時はゴジラなんか立ってませんでした。そこで『高山殺人行1/2の女』という長編のミステリーをですね。軽井沢は……これ、原作通りに走って飛騨高山へ行くという話なんです。原作ではMGBだったんですが、このころ車に狂っていましたもので、MG-Aを使っていたんですね。

で、このAを撮影に貸し出したことがありました。ついでにメンテナンスをしてもらうために、メカニックの友人も一緒に行ってもらったりしました。で、これMG-Aっていうのはとっても変わった車でして、今ならセルをやれば”グングングンバオーン”とかかるんですが、これ、キーをひねってもかからないんですね。ひねっておいて、ノブをグワーンと引くと”グングングングン”とこういうふうに、廻るわけです。そういうような利用とか。そうそう、サイドブレーキが、普通はボタンを押してぐっと引き上げますが、ちょっと忘れましたが……反対になっているんです。非常にこれが扱いが難しい事がありました。そして運転が難しいです。その成城学園の撮影所のなかを当時主演をしてくださった中尾ミエさんを横に載せて運転をして、運転をお教えしたことがありました。そして運転代わって、助手席にいて、彼女の運転で走ったりしたことがありました。彼女は、さすが女優さんっていうか、スターになるひとは違うな、いろんな能力があるなと思ったのは、運転が凄くうまいんですね。で、ちょっと癖のある、もちろんオートマじゃないです。そういう車をたちまち上手に操るようになって、ああ、違うもんだな、と思った記憶がありました。まあ、そうじゃなきゃ、いろんな役やれないでしょうしね。そんなような思い出がありますですね。

そのほかにも探せば色々と出てくると思いますが、まあ、とにかく成城学園にそういうふうに馴染んでいました。あ、もういっこ思い出しました。最近……あ、これ言っちゃいけないのかもしれないけれど(オフレコとのことなのでここでは以下略)

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佐藤: ありがとうございました。なんか、非常に次から次とこの場で聞けて良かったなという話が聞けて、いま非常に震えていますけれども、それからですね。実はミステリー研究会の学生たちからもですね、何か質問があったらこの際うかがってみるからということで、うかがっているんですけど、予想は……借りてきた猫みたいな質問するのかなと思ったら、逆に失礼で訊けないだろうというような、そういうかなり野心的なのもあったので、まあ、いくつかちょっと抜粋してですね、この場でお聞きしたいんですが……時間も時間ですからあまり長くはお答えいただけないとは思いますが。

じゃあまず一つ目なんですけれども、島田先生がですね、自作の中からもっとも新しい、ミステリーらしいものが書けたと思うような作品を選ぶならどんな作品になるでしょうか、という……もっともミステリーらしいものを書けたという自信作というんでしょうかね。そういうのを強いて挙げるとするとっていう、こういう質問が来てますけど。

島田: あの、そういうようなこと、よく訊かれるんですけど、まったく答えるのが難しい。そもそも私、えらいたくさんのミステリーを書いていますが、書けた理由、書こうとするコツみたいなものがですね、書いた三日後に忘れちゃうということなんですね。過去、振り返って、あの作品よくできてんな-、とか、あの作品はこのような内容を持ってたな、などと自己満足に漬っていたら次の書けないです。

それから本にするときなどは、もう百回も読むんですね。ゲラで朱を入れて、まず最初にキーボードで打って、そして画面でめいっぱい直す。これ以上もう直せないだろうと思っても、やっぱりプリントアウしてみると出るんですね。それからゲラが来るともう直すところないだろうと思って、やっぱりあるわけです。ですから文章の推敲で何をしているんだろうと思うと、やはりよく流れる文章にしているんだろうと思います。

英語なんかと違いますね。英語はその……単語が最後にいきますんで、自然に変化がつくんですが、だいたいその「ですます体」、「である体」の場合は,助動詞、文法家はそういうことはないんだなんてことは言いますけど、助動詞が最後にきますんで、変化がつかないわけです。気を抜くと、である、である、であるっていう文章になっちゃうわけですね。そこで変化をうまくつけながら、そして句読点の位置を調整しながら、もう動かないという位置を目指して直しているんだろうと思う。しかしそこに、そしてなんて言葉を一言いれちゃうともうぶわーっとそこのページは変わっていってしまう、というようなとこがあります。もう,新しい情報を入れると動いてしまう。

ですから新しい情報もこれ以上は入れない。もうこれで完結なんだ、そしてこれ以上動かないぞと言うところまで追い込んでいる。そういう行為なんだろうと思う。この話すると……もう重要だと思うし面白いんですけど、これができるようになるまでに、とりあえず一年かかりました。そして一年かかってもうこれでプロの文章になったかなと思ったらとんでもない。ゲラになって出てきたら……じゃなかった、文庫にしようと思ったら真っ赤っかになっちゃう。そしてこれを直して直してということを続けて、十年続けて、ようやく文庫にするときも朱が入りにくくなる。朱の量が非常に少なくなるという状態に達しました。ですからやはり十年かかりましたですね。

まあ、ともかくそんなふうに直して直して、で、本になるまでにはもう百回もやっています。でも作家によってはね、面白いことをばらしちゃうと(これも以下略)……まあとにかくそういうことがある。特殊な人はいますが、それくらい嫌な作業なのかも知れない。

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私の場合は真面目に見ますのでね、本になってやってくるじゃないですか、見本が。もう見るのも嫌です。だから開かないことが多いです。そしてそれが書評欄で褒められたりすると、あ、そうだっけと思って読んだりする。まあそういうような事があります。ですから、過去にどんな作品を書いたか覚えていないことが多い。特に御手洗さん石岡さんの話なんて、よく女性の読者の方から石岡君はこうこうこうじゃないですかとか、私は石岡君はそんなことしませんと断言して驚かれることがよくありました。で,私よりよく知っている。そういうことになりやすいです。確かに読み返さないですから。

ですから過去の作品のどれがっていわれると、まず思い出すのがすごく骨だということと……その質問も昨日あたり訊いておけば夕べ思いだしておくんだっんですが……それからミステリーということと、本格の推理小説とは方向が違うような気がしていて、私、意図的にそういうのを書き分けていたような時期があるんです。ミステリーというような、つまりポー型の、あるいはドイル型の、神秘的な事象の表現があり、なおかつ本格である、というふうに考えると、どれがいいんだろう。判りませんね。これは。いまは。皆さんに決めていただきたいと思います。ということで次の質問。

佐藤: すみません。力になれず。そこでもう一つ。じゃあ、時間的にあとひとつぐらいだと思うんですが、先生は長らくですね、この本格推理というジャンルで後進の指導や色々な才能の発掘ということも非常に功績が大きいので、いま……今度は現在ですね。今一番期待を寄せている新人。まあ,一番といわず、期待を寄せている新人という方々を挙げてもらえればということでお願いします。

島田: とりあえず福ミスということをやっています。これはかつてあの伝説の宇山日出臣さんという人がいたとき、彼と二人で作品を読んでは世に出すということをしていました。最初はですから、そういった人たちの中に綾辻さんとか、そういう人たちがいて、多分この人たちが大きくなってくれたから、私自身に推薦のある種の特権みたいなものが与えられるようなかたちになってきたんだろうと思う。だから、これは大事にしなきゃいけないとも思うし、綾辻さんたちの功績には感謝をしなきゃいけないとも思っています。そしてある程度、有効でなきゃいけないですよね。

そして宇山さんという人は、まあ亡くなっちゃいましたが、それ以上に私がアメリカに行っちゃったことでそれができなくなるんです。で、私、真剣に考えましたが、だから今思うに綾辻さんちたちを世に出したときの批難たるやもの凄いものがあったですよ。こんなお子様ランチみたいなものを紹介していったい何を考えている。島田は大きな罪を犯した。したがって彼の作品は今後永久に三十点ずつぐらい減点されるべきである、ってことを言っている人がいました。さらには不買運動を起こす人もいて……というような人がいっぱいいたんですが、しかしその人たちの言うことを聞いて、綾辻さんたちの推薦がまったくない状態を考えたら……ないですよ、本格ミステリー。ですからいかにいいかげんなものであるか、ということも判りますし、これがまた重要であるということも判るし、そして文壇の政治みたいなものにあまり真面目に関わりすぎると、これがどんなに危険があるっていうことも考えることもあります。

ともかく推薦と言うことは重要であるし、日本人ね……行議論があれですし、やはり新人のうちはまったく実績がないから相当に才能がある人でもこれはつまらないよ、と本気で思えてしまうところがあるんですね。これは客観的な、まったく素の目で、いま実績はないけれども、この人は……この人のこの作風は重要である――先ほど話しましたが,綾辻さんの人物記号化表現というもの。これの意味合いというものを理解している人は当時はいませんでした。皆無でしたね。あれ、どうかすると綾辻さんも判ってなかった。このようなことをちゃんと理解する能力も持たなきゃいけない。そうして行議論や実績に目がくらまないで、政治にも関わらず、将来大きくなる人を見通す、推察する、そういう能力も必要であるということも考えました。

さっきの丘の下からの目、こういうのと似ていますですね。偉くなっちゃいけないんですね。常に、対等でなきゃ駄目。これは絶対にいえる鉄則です。たとえば七歳の子が、あるいはまったく実績の無い新人だって、その人に対して上から目線、丘の上からの目線になってしまえば、絶対に見抜くことはできませんですね。このような目を持って推薦をするということが大事だと考えていましたが、私がアメリカに行ってしまったりして、宇山さんこれ読んでくれって言えなくなっちゃった。だから帰ってくる度に私の郵便受けに放り込んでもらって、そして読んで推薦しようかなと真剣に考えました。

SONY DSC-RX1, ISO1600, f4 ,SS1/80
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それで、福山市に提案したんですね、私の方から。いまなら賞が作れるかも知れない。私は箔づけの賞には興味がないし、あまり価値を認めていないんですが、ミステリー系の新人賞というものには絶大な価値を見ています。で、これをやりませんか、というふうに言いました。そしたら市長の賛同があって、できたわけですが。ですから宇山さんとふたりでやっていた、新本格推薦の時代を福ミスでもってなんとか継続をしてみたいと考えるようになりました。ですから、福ミスの中で有望な人、ということを考えると、今はもう、断然,深木さんなんでしょうね。

この人はもう六〇代の人、東大法学部のばりばりのエリートですね。で、在学中に司法試験に通って、しかし彼女が属した法律事務所は一件も刑事事件をやっていない。民事ばかりをやった、というようなひと。で、筆も立ちますから、まあ、民事だからどうということはないかもしれないが、私の付き合いをした弁護士さんたちが弁護団を構成すると、筆が立つ人を中心に構成されるんです。彼女はたぶん中心人物になれる人だったでしょう。実際、彼女はいま存在感を発揮してくれています。そして福ミスも馬鹿にしたもんでもないな、というような目で見れるようになってきました。彼女の功績、大きいでしょうね。で、彼女だろうと思うんですね。今はね。

ええ、それから何人もいます。それからちょっと、半歩後退するかもしれないが、一田さんもいいし、それからお医者さんの知念さんもいい。まあ,福ミスの人たちですね。それから台湾のミスター・ペッツ。ただ台湾は優秀な才能はいるんです。いるんですが、日本ほど厳しい状況じゃない。ミステリー作家は二十何人しかない、という状況で競争心がそれほど激しくない。だから福ミスの作家たちによく言うんですけど、毎年一冊ずつ書くというようなことを五年は続けてくれないと、昔と違いますから、印象づけられるということはできませんよ、ということを言います。台湾にはそれがないんですね。彼らは才能があるんですが、放っておけば四年ねも五年も作品が出てこないということがあります。それから中国。十三億四千万人の中には天才がいるだろうと思う。しかし思ったほど作品が出てこない。天才が出てこないですね。ですからいま中国には注目しています。ですがちょっと名前を挙げるのは少し難しいですね。

佐藤: ありがとうございました。本日は講演と鼎談を含めてまあ、二時間近くということで、先生どうもありがとうございました。それではですね、成城と本格推理小説第一回目鼎談の方を終了したいと思います。皆さん、ご清聴有り難うございました。

[追記: 2015/04/30] 太田先生の発言部分を校正いただいた内容に差し替えました。

  1. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その1
  2. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その2
  3. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その3
  4. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その4
  5. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その5
  6. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その6
  7. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その7
  8. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その8
  9. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その9
  10. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その10
  11. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その11