六人目の女 / 川上 宗薫

六人目の女 / 川上 宗薫先日取り上げた『ザ・流行作家』で、川上小説の中ではもっともミステリ色が濃い作品として紹介されていた本作、とりあえず手に取ってみました。解説に曰く「官能小説が主流だった川上氏の初の長編ミステリー」とのことですが、ミステリというよりは作者の手さばきはむしろホラーに近いという印象を受けました。

あらすじはというと、腹上死を遂げた男の噂を聞きつけた作家が、「男を腹上死させるくらいの女だったらさぞかしアソコもいいに違いない」という好奇心から、件の女の正体を探るうち、奇妙なことになっていき、――という話。こう書くと、フーダニットの眼目は、名器を持った女かと思いきや、物語が進んでいくにつれて、主人公の作家の元には奇妙な脅迫が届いたり、件の女捜しに(言葉通りに)精を出しているうち、女性たちにもとばっちりが及んで、……というあたりから、男の死を隠蔽したい影の人物は何者かという方向へと傾斜していきます。

物語の結構そのものはやや平板で、いうなれば関係者の聞き込みシーンが延々と続く退屈な推理小説と同じ骨法ながら、本作では官能小説の名手らしく聞き込みのかわりに女体検診というまぐわいで、自白より何よりとにかくその体を調べて”容疑者”かどうかを確かめようじゃないノ、という試みが新機軸。もっとも官能といっても、主人公の作家は女体コレクターとして知られている通りに自らは快楽に溺れることなく、学者さながらの冷静さで女の体の構造を観察しているものですから、たとえば綺羅光や団鬼六のような”こちら側”の官能小説とはその風格が大きく異なります。

興奮するかと訊かれれば素直にノーと答えるしかないのですけれど、こうした冷静さは逆にミステリ小説における探偵としての素養には優れているともいえるわけで、女性と交わりながらもしっかりと裏取りを試みるクールガイ。正直、伏線もヘッタクレもなく存外にアッサリと”容疑者”である女が誰であるかは明かされるものの、本作の異様さはここからで、現代本格的なある趣向を唐突に明かして、作家とその周囲の人物を脅迫していた影の存在に迫っていきます。またその前に唐突な人死にを挿入して、ミステリらしい展開へと強引に突き進んでいくのですけど、この慣れないハンドルさばきがかえって本作を異様なものに見せているところが面白い。

女を容疑者として官能ミステリーから、強引にして唐突なかたちで影の人物を浮上させ、普通のミステリーとしての軟着陸を試みたものの、この影の人物の強引な割り込みがむしろ怖く、伏線もヌキにした女の告白によって三流ミステリーのような殺人の動機を明かしてみせると、ラストはこの影の人物のこれまた唐突な退場によって幕を閉じるという強引に過ぎる風呂敷の畳み方も、ミステリとして完全に破綻しています。

しかし少し見方を変えてみると、この人物の唐突な退場によって、理性的な推理などそっちのけで、作者が女の容疑者捜しに邁進した暁にたどり着いた真相は宙づりにされてしまいます。女こそが最大のミステリーという陳腐な定理に従えば、本作に登場する水商売の女たちはみな、金のため快楽のためであれば平気で嘘をつけるようなものばかりですから、件の人物たちの証言も思い返してみればはなはだ怪しい。事件のすべてを知っていたであろう真犯人の退場によって、宙づりにされた真相は狂気さえ漂わせ、何とも落ち着かない、不安な印象を読者に与えることに成功しています。

女の”容疑者”のフーダニットで終わっていれば、おそらく本作は官能ミステリーとしては凡作に終わっていたであろうし、この後半の破綻があるからこそ、本作は官能ミステリーならぬイヤミス的な官能ホラーとして良い塩梅に落ち着いた奇跡的な一冊ともいえます。エロという点では、まったく”実用”にならず、またミステリーとしても破綻していますが、破綻はときとして別ジャンルの作品としての魅力を放つこともある、――そんな小説の奇跡を堪能できる佳作といえます。ミステリを所望の御仁には決してオススメできないものの、キワモノ好きには、ホラーのちょっとした掘り出しものとして愉しめるカモしれません。