渋谷Atsukobarouhでの展示『植田正治の道楽カメラ』の続きというわけではないのですが、現在東京ステーションギャラリーで絶賛開催中の『生誕100年!植田正治のつくりかた』も観てきたので、こちらの感想も簡単にまとめておきます。
居心地のよいアットホームなスペースにこじんまりと作品が展示されていたAtsukobarouhとは対照的に、東京ステーションギャラリーの方はかなりのボリューム。「つくりかた」とあるので、だいたいは撮影日時をもとに時系列で作品を展示してあるのかと思いきや、「花をくわえた自画像」、「風船をもった自画像」、「本を持つボク」といった自画像シリーズを冒頭に配置したあと、『童暦』から本編がはじまるという趣向が秀逸です。
会場の説明にもあるとおり『童暦』は植田にとって初の写真集となるわけで、まずはこの作品を軸として、作品の変遷を眺めていく。こうすることで、『童暦』”以前”の演出写真と、”以後”の演出写真のアプローチの相違を解明しながら、「つくりかた」の要諦をさぐっていくという試みが素晴らしい。鑑賞者は、たとえば『童暦』に観られるシルエットを活かした”黒い”写真など、当時の技巧や流行も意識しつつ、それらを自家薬籠中として新たな作風を切りひらいていった植田の変遷を俯瞰していくことができます。
続く『演出の発明』では、『童暦』”以前”に遡って、植田の演出写真からその形成期を解読していくわけですが、ここではかれの「演出」と作品に込められた「アマチュアリズム」が密接な繋がりを持っていることがよく判る展示になっていました。
個人的には植田正治といえば、一番最初にかれの作品を意識したのが『砂丘モード』のシリーズやタンギー風に流木などのオブジェを配置して絵画ふうに仕上げた「小さな漂流者」のような作品だったりするのですが、今回の展示ではそうした作品も含めて、『童暦』”以前”と”以後”にわけることで、演出写真とそうでないものとを連関させる筋の通った、――植田の作風の根源にあるものの片鱗を探求するヒントを見つけたような気がします。これが収穫。
図録を見返してみても、やはり今回の展示は作品の観る順番と配置に工夫が見られたように思います。プロローグふうの「自画像」シリーズからはじまり、『童暦』を端緒としてひとわたり植田の写真の”演出”の有無からその技法を見せたあと、最後はマクロやジオラマを思わせる静謐な小世界の作品群から、彼が「他界する直前に撮影したまま残されたポジフィルムから新たにプリントした写真」をエピローグふうに配置して、見るものに叙情的な余韻を残すという考え抜かれた構成がヨカッタです。
あとこれは今回の展示とは直接関係ないのですが、東京ステーションギャラリーに入ると、展示が終わったあとショップへと向かう二階の回廊から、駅構内を見下ろすことができます。天井を下から見上げることはできますが、ホテルに宿泊せずともこの視点から駅構内を見上げたり、見下ろしたりすることができるのも、この美術館で展示を愉しんだものの特権というか――(笑)。
会期は来年の1月5日(日)迄。