傑作、――ですが、ミステリでも怪談でもないので取り扱い注意。岡部女史の新作は、ジャケ帯の推薦文にもある通り「愛、嫉妬、苦悩がつややかに精緻に描かれた、禁断の女性群像」。カテゴライズするとすれば一般小説になるわけですが、衝撃の処女作『枯骨の恋』から近作の『生き直し』までを追いかけてきた一ファンとしては、本作に至るまでの作風の変遷を見かえすにつけ、何とも感慨深いものがあります。
全編を通して、流麗にしてコクのある筆致で描かれるむせぶような女、おんな、オンナ節は、男の視点から読み出すと何とも息苦しいことしきりなのですが、恋愛という名の煉獄を彷徨う登場人物たちの誰に感情移入するかで案外、読後感は大きく変わってくるカモしれません。全体は大きく十四にわかれていて、それぞれのパートで女たちの視点から煩悶や決意といった様々な苦悩が描かれているのですが、登場人物たちのそれぞれが男を介して精妙に繋がっていく構図がまず素晴らしい。
全体としては、冒頭のパートと、エピローグの十四のパートの最後でメインを担う西田りかを、そうした登場人物相関図の中心において読み進めていくのがイイかと思います。彼女自身、上司とズブズフの不倫をしているという、――世間様から見たらサイテーな女だったりするわけですが、不思議と憎めないというか(爆)。不倫が発覚したあとの挫折と、不倫相手の妻から仕掛けられる策謀を乗り越えて、ある種の達観へと至る彼女の心の変遷が心地よく、他の登場人物の視点をひとまず脇に置いて読了すれば、何事も「終わりについて考えて」しまう彼女が、「終わり」ではない未来を想像して「くすりと笑う」ラストシーンは、ハッピーエンドな終わりかたといえるカモしれません。
このりかを主役に据えて読んだ場合、もっとも極悪な存在といえるのが麻紀という女なのですが、これが美容整形に勤しみ、りかの婚約相手を寝取った挙げ句、りかが結婚したあとにトンデモなくヒドい所行に出るわと、男からも女からも地雷としかいいようのない極悪ぶり。個人的には、両親の鋳型に嵌められながらも、イケメンで仕事ができるという、まさに理想の男と結婚をしながら、――しかし女癖が悪すぎる夫に苦しめられる美津子が何とも哀しく、いとおしい、……なんて男視点の感想を書いてしまうと、作者の岡部女史からはひっぱたかれそうなんですが(苦笑)、それぞれの登場人物に思い入れながら読み進めていくとまた違った読後感を得ることができるのも、こうした結構の小説ならではの愉しみ方でしょう。
りか、麻紀、そして美津子はいずれも男を仲介した隠微な繋がりを持っており、物語はその隠された関係を起爆装置として、凄まじい嵐の予感を孕みつつ終盤へと向かっていくのですが、実を言うと、カタストロフめいた大事件は最後の最後まで起きません。美津子の娘、美羽がいかにも若い娘らしい危なっかしさで、上に述べた女性たちのアンチテーゼのような役回りを演じ、最後にちょっとした事件を引き起こすのですが、それが物語の通奏低音となっている「絆」「散」といった書道師範の書き出した一文字をモチーフとして、物語に深みとコクを与えている構成も心憎い。
全編を通して女の視点から語られるため、女たちの、女たちによる、女たちのための物語のように見えてしまうものの、美津子を除く女性たちを物理的、間接的に結びつける縁をつくりだす磁場を担っている書道師範・龍子にいまの人生を選ばせるきっかけを与えたのが、作中に登場するあの男であることが中盤で明かされるとともに、因業の輪を引っかき回していた麻紀が最後にこの人物と知り合うことで、物語は最後に、この人物が狂言回しであったことが明かされます。恋愛という煉獄から離脱して、自立することで充実した今を生きている龍子の輝きと、そこにいたるまでのささやかな、そして運命的な男との出会いを知るにつけ、「恋愛に溺れるのはやめとけ!所詮、男なんて……」というのと、「でもオンナにしてみればさ、やっぱ運命的な男と出会って、自分の人生が変わってしまうのって、悪くないよネ……」という相反する二つの気持ちを往還する「おんな」という生き物の”かわいらしさ”を垣間見たような気がします、――なんて男視点の感想を書いてしまうと、またまた作者の岡部女史から跳び蹴りを食らいそうなので、これくらいにしておきます(爆)。
初期の怪談創作に見られた、人間の心の深奥に潜む恐さと業を素晴らしい技巧と美しい筆致で描き出した作風とは大きく異なるものの、「散」と「絆」という相反する人間の縁と業を精緻なタペストリーのように描き出した本作は、怪談といったジャンルを離れつつも、その煉獄ぶりと因業、そして噎ぶような女、オンナ、おんな節は紛れもなく岡部ワールド。
『生き直し』からさらに一般小説の作風へと傾斜した本作ですが、女史のファンであれば、様々な逸話によってオンナと男たちの宿業を炙り出し、縁が鮮やかに浮かび上がる小説技法の巧みさは一読の価値アリ、でしょう――とはいいつつ、やはり『枯骨の恋』や『新宿遊女奇譚』ようなカンジの後世に語り継がれるであろう怪談の傑作もまた書いてほしいなァ、と考えてしまうのでした。それと前から主張していることではありますが、女史にミステリ書かせたら絶対にトンデモない傑作が生まれると思うんですが、いかがでしょう。ミステリ畑の編集者が彼女の才能に眼をつけ、女史をヤル気にさせてくれれば、と願ってやみません。