傑作にして偏愛。仕掛けを凝らした本格ミステリの濃度としては、前作の『ロスト・ケア』の方が上ですが、壮絶な人間ドラマを本格ミステリの技法によって描ききったという点では、こちらの方が断然好み、でしょうか。
物語は、とある女の変死体が発見されたことから、その死体の出自を巡って、彼女の過去を二人称という変則的な語りと、捜査を行う女刑事の二つの視点から語られていきます。「あなた」という二人称には当然、現代本格ならではの趣向が隠されてい、その真意は最後の最期に傍点つきで明らかにされるのですが、本格ミステリを読み慣れた読者であれば、この真相については中程でおおよその察しがついてしまうのではないでしょうか。しかし本作の凄みは、そうしたミステリ読みの推理は、この悲壮な物語の展開の幕引きに求める「期待」と表裏一体であることに注目で、そうした仕掛けを見破ってしまった読者であればあるほど、自らの推理が当たっていることを「期待」せざるをえないという、――本格ミステリとしてはやや倒錯したこのこころみが素晴らしい。
二人称で語られる変死体の女の生い立ちは、子供時代からやがて親父の失踪による一家離散を経て、保険外交員として鬼畜男に欺されてヒドい目にあったりと、もうカンベンしてくれッ、というほどに悲惨な展開を見せてくれるのですが、実をいうとこれはかなり読むのが辛かったです(爆)。もっともそうした悲惨すぎる彼女の生い立ちの中にさりげなーくエロをしのばせてしっかりと読者にブレークタイムを用意しているところは好感度大。例えば、奈落へと堕ちていく暗黒ヒロインが中学生のときに自慰を覚えるシーンをさっと引用すると、
自分の身体に触ったりこすったりすると、気持ちよくなる部分があることは、ずっと前から知っていた。最初に気づいたのは、小学校の体育の授業で登り棒をやった時だ。棒を股に挟んで滑り降りたとき、謎の快感が身体を貫いた。
と、某大御所作家の某短編を彷彿とさせる逸話を交えて、ロリッぺなミステリ読みを満足させたかと思えば、彼女がついに風俗嬢にまで堕ちたときのシーンでは、彼女が「出来損ないのブルーチーズのような酷い口臭」の男とセックスしながら「ああっ! イッちゃう! イッちゃう! ちょうだい! いっぱい出してぇ! イッくううっ!」と官能小説っぽい台詞を口にするシーンまで添えてあるサービス精神は、エロミスマニア的にも要注目。
二人称で語られる彼女の過去を、女刑事の捜査の視点が後追いしていくにつれて、彼女が犯罪に関与していたことが明かされるのですが、ときおり挿入される別人物たちの証言だけではその事件の全体像はまだ見えてきません。やがて彼女にトンデモない悲劇が降りかかり、それをきっかけに彼女はついに真の奈落へと身を落とすことになるのですが、それを契機として彼女に対する印象が大きく変わっていく構成が見事です。ここから読者は上にも述べたような自らの「推理」を「期待」へと転化して、事件の真相を女刑事とともに追いかけていくことになるわけですが、果たしてヒロインの運命はいかに、――これについては是非とも皆さん自身の眼で確かめていただければと思います。
ヒロインの奈落はやや紋切り型といえばその通りなのですが、東日本大震災をはじめとしてリアルの出来事をところどころに織り交ぜて語られる彼女の物語には、貧困ビジネスなど現在進行形の犯罪が大きく関わっているところから、そうした類型的なモチーフは、むしろマイナスに作用するというよりは、読者がいる「今、ここ」と作中の舞台を重ね合わせる効果をもたらしていると考えるべきでしょう。
それと紋切り型といえば、ヒロインをイジめる男衆のキャラが相当にアレで、「ガマガエルみたいな男」や「ヘチマのような男」や「オラオラ系の荒っぽいところのある男」だったりと総じてゲスという点は、ここ最近の小説の流行なのかどうか、……花房観音の小説に登場する野郎どももおしなべてこんなカンジの輩が多かったりするので、そんなことを考えてしまうのでありました。
『ロスト・ケア』と同様、騙りの技巧を活かしたミステリながら、その技法の効果についてはやや異なり、ミステリを読み慣れていない読者には驚きからもたらされるストレートな慟哭を、そして現代本格読みには、酷薄に過ぎる展開から、読者の「推理」を「期待」へと転化させるこころみによって、読むものの胸を打つ結末へと突き進んでいく結構が素晴らしい本作、『ロスト・ケア』とともに社会派ミステリの一言では語り尽くせない魅力を放つ一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。