傑作。あとがきによれば、この作品は作者の初期作であるとのこと。そのためか、SM小説の外観を備えつつも、極上の恋愛小説としての要素が強く前面に押し出され、これだったらフツーの人でもかなり愉しむことができるような気がしました。
物語は、友人に誘われるままSMバーに赴いた翻訳家のS男が、猫っぽいM女とご対面。二人は意気投合して同棲を始めるのだが、――という話。上下巻の構成ですが、上巻だけを取りだして読めば、主人公がSMプレイをしたことのない初な娘ッ子を優しく導いていく展開は確かにSM小説ながら、二人の情感は主人と奴隷の厳格な主従関係というよりは、お互いのことをもっと深く知ろうとする純粋な恋愛感情の発露がが感じられ、プレイも作者の他の作品に比較すれば、SMとしてしてはスタンダードなものが多く、これだったらフツーにSM風の恋愛小説としてイケるんじゃないでしょうか。実際、プレイの内実もスパンキングや口虐など、大石ワールドではごくごくありきたりのものだし、――なんて、カンジでさらさらと読み終えてしまうこと請け合いです。
本作が素晴らしいのは、上下巻での緩急を相当に意識した構成でありまして、上巻ではSMプレイを通してより深くお互いを知るようになった主人公と猫奴隷の娘っ子の関係が、そもそも主人公をSMバーに誘った友人とバーの女王様の二人も交えて緩やかに変化していくところでしょう。SMバーで知り合った四人が別荘に行けば、当然ヤることは決まっていて、ここから甘美なSMプレイがはじまるわけですが、ちょっと驚いたのは、SMバーの女王様と主人公の友人の関係が下巻の前半で明かされるところでありまして、このフックにおっとのけぞる暇もなく展開されるプレイでは、SMバーの女王様が華麗な立ち回りを演じて読者のめくるめくショーへと招待してくれます。『コレクターズ・クラブ2 芳香』のような暗黒SMにありがちな鬱屈した雰囲気は皆無で、祝祭的な雰囲気に満ちた四人のプレイを経てから、物語は急転直下。今まで主人公も知らなかったある事態が明かされ、悲哀溢れるラストへと突き進んでいきます。
奴隷は主人に絶対服従、いっさいの隠し事はするべからずというのが、SMにおけるパートナーとの関係を構築する上での大前提とすれば、本作における猫娘は完全なる奴隷になりきれていなかったともいえるわけですが、しかし、いや、だからこそ、――彼女の秘密が明かされた後に訪れる悲劇的結末によって、本作は定型的なSM小説から完璧な恋愛小説へと変貌を遂げ、さらには悲劇の後にはじめて明かされる「操り」によって本作は一抹の優しさを添えて幕引きを迎えます。まだまだSM描写に激しさのない初期作だからこそ、作者がSMを通して描きたかったことは、被虐加虐の描写がただただエスカレートしていくだけのSM描写ばかりではなく、男女の、――とくに女の視点から見た男と女のお互いを慈しむ情愛だったのだなあ、と感じ入った次第です。
『アニスタ神殿記』は文句なしの幻想小説の傑作ですが、SMを極めた『アニスタ』にはない、非常にピュアな作者の心意気が溢れた本作はまたSM恋愛小説の名作ということができるのではないでしょうか。これは、オススメでしょう。