傑作。バカミス界の准教授・増田米尊が活躍(?)するシリーズ最新作。今回もジャケ帯にある通り「書いた記憶のない文章」、「寄ってくる女性たち」「監視」といった彼を取り巻く重立った謎が一応それなりに読者の前へ提示されてはいるものの、本作のバカミスとしてのキモはやはり作中で主人公(?)自身も「書いた記憶のない文章」として挿入されている作中作の方でしょう。作中作の中へさらに「読者への挑戦」まで添えて奇天烈なフーダニットを凝らした「処女作」、怒濤の注釈を伏線としてその文章を綴った人物のフーダニットを極めていく「問題作」、そして騙りの技巧を凝らして、名前当てという新趣向でバカすぎるモチーフを凝らした「出世作」、さらにはデキの悪い評論に擬態して作中全体の仕掛けをブチまけてバカミスの闇へと堕ちていく「問題作」など、奇妙に過ぎる作中作だけでも正直、完全にお腹イッパイ。
「処女作」はヤングたちの妊娠騒動が持ち上がり、そのパパは誰、――と奇妙なフーダニットを凝らした一編で、読者への挑戦を二つも用意して、奇天烈なフーダニットと、その「犯行」方法を指摘せよという謎の様態が秀逸です。さらにはその記述からメタレベルで「犯人」が残した臭いをかぎ取り、作中でのフーダニットを突き詰めてみせるメタメタの推理の展開も見所でしょうか。この問題編1は、確かに妊娠ネタという若干エロに振ったネタではあるものの、まだまだバカミスというほどのハジケぶりはなかったのが、「ノックスの十戒」を見事に”悪用”した脱力のセンス溢れる謎解きによって展開される問題編2の悪ノリこそは作者の真骨頂でしょう。
この「処女作」だけでも十分に愉しめたのですが、メタの趣向がハジケているのは、続く「問題作」も同様で、こちらの方は二段組みを悪用して下段はこれすべて膨大な注釈という異質な結構に眼を瞠るわけですが、推理の過程ではこの注釈に残された足跡から記述者の手癖をすくといり、そこからメタでフーダニットを突き詰めていくという趣向が素晴らしい。さらには作中でしっかりと現代本格でエロをやるならまず外せないという「おもらし」シーンまでしっかり凝らして、好き者の読者の嗜好にも気配りをきかせた展開がタマりません。これだったら、「呪怨 おもらし」「ミステリ おもらし」なる複合キーワードで検索して、当ブログを定期的に訪問いただいているキワモノマニアの方も必ずや満足されることと思います(――というようなひとが存在するのを、最近このブログのアクセスログを解析していて気がつきました)。また、阿部定萌えで宇能鴻一郎御大の「わが初恋の阿部お定」がボクのバイブルっ!なんて特殊な嗜好のマニアもニヤニヤできること請け合いという極めつけのシーンも用意されているのでお見逃しなく。
「出世作」では官能描写も極まれりといったカンジで、『相互確証破壊』のハジケっぷりこそないものの、フツーにセックス・シーンがタップリと盛り込まれ、その中で登場人物の正体に仕掛けを凝らした趣向が、最後にはタイトルに暗示されているバカなモチーフと見事な融合を見せるところなど、まさにバカミス師としての技巧が冴え渡った構成が素晴らしい。
「失敗作」からはいよいよ物語は混沌として、本作の主人公・増田米尊の受難とでもいうべき事柄が明かされていくのですが、「寄生クラブ」という副題に暗示されているネタから、「寄ってくる女性たち」なる謎の真相が明かされるところは完全にアレ(爆)。「監視」にいたっては、確かに作中作の中で、その記述から「作者」と「読者」の距離をはかってメタ推理を披露していたわけですから、当然メタっぽいネタが隠されていることは予想できたわけですが、まさかここで(一応文字反転)日野日出志御大の大ネタを振ってくるとは(爆)。しかし、この「作中人物」と「読者」の関係が明かされる趣向は、確かに日野日出志御大の「君は死ぬ!」に近いものがあるものの、あちらがいたいけなチビっ子たちを恐怖のドン底に突き落としたのに比較すると、本作の主人公であるべき増田米尊が最後の最期で「にこやかに語」ってみせるシーンにむしろ悲壮感を感じてしまうのは自分だけでしょうか。
――とはいえ、この趣向をもう少し本格ミステリ的な視点から顧みると、登場人物が作中の人物であることを自覚するという点では、カーの作品を彷彿とさせる、いわば先祖返り的な見せ方とみることもできるでしょう。そうした意味では、開示される真相やその構図、さらにはおフザケにしか見えない様々なメタレベルでの仕掛けは確かにバカミスではあるものの、古典にまで遡ってその出自を辿ることができる、非常に生真面目な一作といえるかもしれません。
また本作でなるほど、と膝を打ったのが、作中作で読者への挑戦を添えて開示される謎の様態でありまして、フツーの本格ミステリをバカミスへと転化させるには、そのバカげた真相、――さらに突きつめると、真相として明示されるそのイメージのバカバカしさ(霞 流一系?)や、謎と真相との乖離から醸し出される脱力(本家本元のポーのアレとか)をいかに創出するかに注力しながらも、そのベースには、本格ミステリでは定番ともいえるコロシをはじめとした定型に則った事件が描かれていたのに比較すると、本作では、提示される謎そのものにひねりをくわえて、そこからバカミスのバカらしさを構築しつつ、定型的なフーダニットやハウダニットではない謎の明示そのものが、バカな真相から読者の注意をそらせるための誤導として機能している点が、――エロミスでありバカミスという、近年では瞠目すべき傑作『○○○○○○○○殺人事件』をフと思いだしました。もしかしたらこうした創作手法は、これからのバカミスの大きな方向性を示唆しているのカモしれません。
というわけで、本シリーズのファンはもちろん、バカミスマニアはもちろん、エロミスマニアも決して無視できない一冊といえるのではないでしょうか。これは、オススメです。