その可能性はすでに考えた / 井上 真偽

その可能性はすでに考えた / 井上 真偽偏愛。今年の作品としては『ミステリー・アリーナ』と並ぶ多重解決ものの逸品ながら、あちらがエンタメの要素を含んだ面白さで見せてくれたのに比較して、こちらはかなり読者を選ぶカモ知れません。

物語は、カルト団体が起こした集団自殺事件の謎解きをある少女から依頼された探偵が、彼女の記憶をもとに事件の真相を解き明かす、――という単純なお話しではなく(爆)、この謎が本格ミステリーらしいトリックを織り交ぜた人間の仕業であったことを証明せんとする人物たちの推理を、件の探偵がことごとく否定していく、――というお話。惹句には「探偵は、奇蹟がこの世に存在することを証明するため、すべてのトリックが不成立であることを立証する!! 」――。

謎と解決を重ねていきながら螺旋状に”物語”が展開されていく構成が際だっていた『ミステリー・アリーナ』に対して、こちらはまず最初に謎が明示され、そこからいくつかの推理が展開されるという、――一見すると多重解決ものとしては非常にオーソドックスな結構であるところに注目でしょうか。探偵の眼の前で展開される推理はいずれも本格ミステリーらしい物理トリックを中心に据えた趣向でなかなか愉しませてくれるのですが、探偵はその推理の揚げ足をとりをカマしてことごとく否定していく、――という、ロジックをキモに据えた物語ながら、推理の否定に次ぐ否定という、ネガティブを前面に押し出したところが新機軸といえば新機軸。

事件があらかじめ詳しく語られており、そこからいくつかの推理が展開され、それを探偵が否定する、という展開がいくども繰り返されていく構成は終盤に向かうにつれて少しダレてくるのですが、最後の最期、探偵の真の敵とでもいうべき黒幕の登場によって、この物語は一変します。探偵によって否定された今までの推理がここで再び息を吹き返し、逆に探偵を攻撃する形へと転じるという意想外な展開が秀逸で、ここからロジックを武器にして、探偵がこの窮地を脱していく後半部のどんでん返しが本作最大の見所でしょうか。

ただ、あくまで個人的な感想ではあるのですが、前半からの奇天烈な物理トリックを据えた推理の開陳とその否定という展開が中だるみを生んでいるようにも感じられ、このあたりはかなり読者を選ぶのでは、という気がします。『ミステリー・アリーナ』のように、インフレ状態になりつつあるアレ系のトリックへの皮肉を込めて語られる推理が読者の笑いを誘い、さらには事件の全体像が見えていない段階から推理を展開させることで、謎と推理が重なり合い、うねりを見せながら物語が大展開されていくのに比較すると、本作はややぎこちないというか……。文章のくどさや拙さがそうした構成上のマズさを悪い方向に見せてしまっているようでもあり、……とはいえ、不思議とそうした欠点に見えてしまうところも憎めないところが本作の不思議な魅力でもありまして、「奇蹟がこの世に存在することを証明するため、すべてのトリックが不成立であることを立証する」といいながら、最後には探偵の推理によってしっかりと”ある奇蹟”を現出させて事件の真相を解き明かして(いるかのように)みせた幕引きには非常に惹かれました。

最後の探偵の口から語られるコレが事件の真相かということになると、正直、前半部から散々否定された推理に比較すると小粒感は否めないものの、物理トリックを中心に据えた大袈裟な”真相”が否定された結果、カルト教団という特殊な状況だからこそ起こりえた人間心理を推理の基軸として繙かれる”真相”は、”奇蹟”を否定しようとして構築された推理と美しい対比を見せています。また奇蹟を否定するための推理がかえって”ある奇蹟”の出現を支えているという逆説的な真相も秀逸です。

前作『恋と禁忌の述語論理』が全体的に小粒な事件を執拗なロジックで派手に見せていたのとは逆に、こちらは派手なトリックが否定された暁にこじんまりとした真相に収斂するという点で、これまた奇妙な対比を見せているところが興味深い。探偵が推理を否定することで”奇蹟”を証明しようとするネガティブな謎解きなど、本作もまた本格ミステリーにおける『真相』というものの意味を問うているという意味で、イマドキの一冊ということができるかもしれません。多重解決ものの趣向においては、『ミステリー・アリーナ』の方が断然好みですが、『恋と禁忌の述語論理』から大きな飛躍を見せた作者の心意気やヨシ、という点で本作はまたいつか読み返してみたいと思います。傑作――というにはその歪さ拙さから躊躇いはあるものの、本作もまた今年の収穫といえるのではないでしょうか。しかしながらあくまで取扱注意、ということで。

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