冬の光 / 篠田 節子

冬の光 / 篠田 節子傑作。ジャケ帯の裏には「変容し続ける作家・篠田節子の到達点」とある通り、確かに今までの作者の軌跡そここに感じられる物語で、堪能しました。近作『インドクリスタル』や名作『弥勒』のような異国を舞台にした派手さはなく、実を言えば本作の成り立ちは非常に地味。「四国遍路を終え、海に消えた父。足跡を辿る娘が見たもの――」とジャケ帯には簡単なあらすじが添えられているのですが、本作の構造はもう少し凝っています。

父は四国遍路を終えたあと、なぜフェリーから入水自殺をはかったのか、――というそのホワイダニットを探るため、娘は父が残したノートを手に四国へと赴き、父が辿った先々で色々な話を聞くことになる、――という、次女の視点からまず物語は始まります。彼女は、旅先である男性から「補陀落渡海」という、父が入水自殺した深意へ辿り着くヒントとなりそう話を聞き、そこから物語は一転、章を変えて今度は父の若かりし頃の逸話が、彼じしんの視点から語られていくという構成が素晴らしい。ここでは父の視点から、彼が学生時代に知り合い、それからずっと長きにわたり奇妙な縁によって関わりを持つことになる女性の話が語られていきます。いうなれば、本作は、次女の視点から父親が、そしてその父親の視点からある女性のことが語られるという重層的な構造となっているところに注目でしょう。

いみじくも小池真理子が「万華鏡のような物語」と述べている通りに、本作では、物語の主人公である男性、そして彼と関わりを持ったある女性とが、一方の人物の視点から描かれていくのですが、ここに描かれている彼、彼女の姿はあくまで一面的なものでしかありません。次女が父の足跡を辿りながら色々な話を聞いていくうちに、彼女自身も知らなかった父親の姿が見えてくる。次女、長女、そして妻から見た父親の姿は、「愛人を持ち家庭を顧みることのなかったひどい男」というイメージなのですが、その愛人との関係にもまた彼なりの切実な事情があったことが、彼の視点から語られるパートで明らかにされていきます。

物語はこうして父親と次女の視点を交錯させながら、次第に入水自殺をはかった時間へと近づいていくのですが、四国遍路の過程を辿るうちに、奇妙な行動も次々と明らかにされていくところが興味深い。なぜ父は途中でお遍路の道具一式を棄てたのか、そしてそれらを棄てたあともなぜ四国遍路を続けたのか。ノートに記されている入金とは何なのか、父は遍路をしながら何をして稼いでいたのか、同行二人という言葉から父は女と二人で遍路を続けていたらしい。その女性はいったい何者なのか……。それらの謎はたいそうな事件と関わりを持つこともなく、あくまでさりげない偶然と彼の心の変転を意味するものであったことが次女の探偵行為によって明かされていく後半の展開も面白い。特に四国遍路の最中に彼が知り合った女性の背景が、過去に彼が関わっていた女性と繋がり、それがアカデミズムの負の側面を照らし出すという奇妙な縁の関わりも秀逸です。

上に並べた四国遍路の間の様々な謎の「真相」については、彼のパートでその様子が逸話として描かれているのですが、入水自殺の「瞬間」だけはそれとはやや趣を異にしています。次女はある人物からその「真相」を耳にし、そして最後にふたたび彼が四国遍路を終えてフェリーに乗りこむ、……ここでタイトルにもなっている『冬の光』の意味が明かされる趣向も素晴らしいの一言。そして彼が四国遍路を終える直前に得たささやかな神秘体験と、それをきっけかに彼がしたある行為が、ある人物の肯定的な足跡を明かしてみせ、それが次女の視点から見ていた父親の姿もまた一面的なものでしかなかったこととの見事な照応を見せ、本作を「万華鏡」のようなものたらしめている趣向も心憎い。

確かに本作はジャケ帯にもある通り、ひとつの「到達点」には違いありませんが、これが「頂点」ではないこともまた確か。被災地でボランティアをしながらそこに地獄を垣間見る主人公の逸話は、『弥勒』や『ゴサインタン』の後半を想起させるし、遍路の途中で出会うある人物の造詣などもまた、『ゴサインタン』や『インドクリスタル』の彼女たちに連なるものといえるでしょう。そうした過去作から連なるモチーフや趣が鏤められながらも、また違う”何か”が本作にはあるような気がします。

決して派手さはないものの、語りの重層化や、探偵的行為から繙かれる逸話が「万華鏡」のごとく登場人物の持つさまざまな有り様を照らし出す趣向など、小説的技巧においても過去の傑作群を凌駕したきらめきを放つ本作。自分のようなファンのみならず多くの読者に手に取ってもらいたい逸品にして傑作といえるのではないでしょうか。オススメです。

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