『13.67』に続き、『網内人』を昨年に刊行した陳浩基氏の新作。『13.67』が高度な技法によって香港社会の過去と来たるべき”現在”を鮮やかに描き出したミステリで、『網内人』がサスペンスの妙味を備えつつ、最後の最後に本格ミステリの大仕掛けを明らかにした犯罪小説だとすると、今回は『学校の怪談』めく純然たるホラー、――かと思えばさにあらず。『13.67』や『網内人』とはまた違った驚きの仕掛けによって読者を「ええっ?!」(あッ!ではないことにご注目)と驚嘆せしめる快(怪)作でありました。
物語は、曰くつきの学生寮へと入ることになったボーイたちが、ちょっとした冒険気分から魔術のまねごとをしたばかりに、亜空間へと変じた学校キャンパスの中に閉じ込められてしまう。やがて彼らの前に立ち現れる「学校の怪談」めく怪異の数々。果たして無事、彼らはこの亜空間を脱出することができるのか、――という話。
昨年、台湾の島田荘司推理小説賞で再会したときに、作者から「新作は、『学校の怪談』と『Another』みたいな話」と聞かされていたのですが、……なるほどなるほど、これは紛れもなく『学校の怪談』と『Another』のハイブリットというべき作風カモ、と感じたものの、そこへ敢えて個人的な感想を付け加えるとすれば、『学校の怪談』『Another』『くらのかみ』ミーツ押井守監督の某アニメと伊藤潤二の怪奇漫画、――といった感じでしょうか(この某アニメについてはネタバレを回避しつつ、後述します)。
イギリス統治時代、この学生寮は黒魔術にかぶれたキ印男の住居となっており、その地下では夜な夜な淫蕩を極めたサバトが行われていたらしい。そして悪魔の儀式の最中に建物は不明の出火によって灰燼と化した、――という逸話が語られるのですが、ここからしてすでに壮大な仕掛けが始まっているあたりは、まさに作者の真骨頂。『遺忘.刑警』(『世界を売った男』)では、冒頭の怪異を添えた情景が事件の収束したあとも唯一つの残された謎となって、最後の最期に読者へ心地よい余韻をもたらす絶妙な効果をあげていたのに比較すると、本作の冒頭シーンには、物語世界そのものの成立に関わる大仕掛けが隠されてい、これが『学校の怪談』めく展開の通奏低音となって読者を誤導していく趣向が心憎い。
各章ごとにこの学生寮にまつわる怪談が引用され、実際に主人公たちがその怪異をなぞった現象に巻き込まれていくのですが、その怪談が怪談として成立した背景を解き明かしつつ、怪異の現象そのものを無効化させていく試みに、ちょっとだけこの作品を想起したのは自分だけではないでしょう。そして怪談そのものを実体験しつつ、怪談という物語の体裁をまとった謎を解体していく行為と過程そのものに、この亜空間の仕組みが隠されている構成も心憎い。
『学校の怪談』という「物語」をロジックによって解体していくのを縦軸とし、さらには主人公たちが巻き込まれた亜空間に登場する人物の正体に倒錯したフーダニットを凝らして、世界の構造そのものがまったく不明であるがゆえに有効な論理の通用しない世界から論理を構築しつつ、幽霊的存在と亜空間に巻き込まれた人物との仕分けを行っていく流れを横軸とした前半の見せ方は、なるほど、これが作者の言っていた『Another』なのかな、――などと考えながら読み進めていくと、最後の最期に思わず「えっ?!」と口に出してしまうような真相が明かされる外連はかなり読者を選ぶカモしれません。そしてここからが、現代華文ミステリを最先頭をゆく作者らしく、精妙なフーダニットとともにこの亜空間の構造そのものまでをも解体していく展開が素晴らしい。
この真相を目の当たりにしてまず自分が想起したのが、上にも述べた通り、押井守監督の某アニメだったりするのですが、そういえば昔昔も大昔、旧ブログで某怪作の本格ミステリの感想を述べる際にもこのアニメについて言及していたことを思い出しました。この点について作者にコッソリと訊ねてみたところ、他にも某漫画でもこの趣向が用いられていたことを、本作を書き上げたあとに思い出したとか。ネタバレを避けるためこの漫画についてもつまびらかにすることはできないのですが、この漫画が九十年代の作品だとすれば、自分が思い浮かべたものはもっと昔にまで遡れるわけで、さらに古典を探ってみればこのテーマを用いた作品はまだまだ見つかるかも知れません。
とはいえ、この趣向が既出のものであるゆえに本作に際だった新しさはないのかといえば決してそんなことはなく、むしろこの真相によって、物語の端緒からこの作品世界を支えていた背景を一変させ、まったく新しい絵図へと再構築してしまう技巧にこそ、本作の「本格ミステリとして」の見所があるような気がします。
それともうひとつ、本作において着目するべきは、『13.67』や『網内人』の二作においては過去と現在の香港の情景をありありと描き出していた作者の筆致が、幻想怪奇の情景を活写することへと注がれている点でしょう。そのおそるべき幻視力は、伊藤潤二の漫画を彷彿とさせるほどに身の毛もよだつもので、特に後半、主人公がキャンパスの塀を乗り越えて垣間見た“向こう”の情景は、まさに伊藤潤二の漫画そのマンマの奇っ怪さで大いに魅せてくれます。
『13.67』と『網内人』で作者の作品世界に魅了された“新しい”読者にとっては、かなりの戸惑いをもって受け止められるカモしれない作風ではありますが、『気球人』がお気に入りの自分としては、作者のホラーにおける代表作とオススメしたくなる一冊です。またかねてより作者の陳浩基と綾辻氏の作家的資質に共通したものを感じとっていた自分としては、『館シリーズ』と『囁き』シリーズという、本格ミステリとホラーを両輪としてキャリアを積んできた綾辻氏のように、作者においても、本作のようなホラーが作者の作風のもう一つの大きな幹となって成長していくことを大いに期待する次第です。
繰り返しになりますが、『13.67』で作者を「本格ミステリ」「警察小説」“だけ”の作家だと思っている読者には大いに取り扱い注意、という一冊ながら、『13.67』以前からの作者の作風を知っている方には、本格ミステリの技巧を作品構造そのものに導入してみせた、いかにも作者らしいホラーの逸品として愉しめるのではないてしょうか。
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