第六回島田荘司推理小説賞一次選考通過作の簡単な紹介(5) 柏菲思『強弱』

弋蘭『無無明』とともに二次選考を通過した入選作三編のうちのひとつ。柏菲思は香港人で、SNSでも活動しているため、すでに日本のミステリマニアのなかには「パフィスたん、可愛い」なんてねばい視線で彼女をウォッチしている人もいるのではと推察します。自分は『嗜殺基因』も『腐屍花』も未読なので、彼女自身の作風というのはちょっと判らないのですが、本作のあらすじはというと、

マドンナの飛び降り自殺に端を発する殺人!
才色兼備な麗しき美女・瑩舟がある日、学校のグラウンドで屍体となって発見される。飛び降り自殺とされたその死には、一ヶ月前に失踪して行方が知れない彼女の友人・阿玲が関係しているのだろうか? 校内で陰湿な虐めを受けていた霜月はその死に疑問を抱き、理科教師の季先生とともに事件の調査を始めるのだが、彼女への虐めはますますエスカレートしていく――。
一方、同じ学校で同級生の珀喬からの壮絶な虐めに苦しんでいた昀燁は、復讐を決意し、ついにある行動を起こすのだが――。

虐めと貧困、家庭問題など香港社会の病理を現代本格の技法によって鮮やかに描き出す!陳浩基の傑作『網内人』から『強弱』へ。今、時代は香港ミステリへ!

ちょっと驚いたのは、本作が「いじめ」という陳浩基の傑作『網内人』とも通じるテーマを扱っていたこと。『網内人』は「いじめ」のほかにも香港におけるグローバリズムの弊害や貧富の格差など様々な社会問題を広く深くとりあげながらエンタメに徹した傑作でしたが、本作は「いじめ」に強く焦点を当てて、タイトルにもある登場人物それぞれの『強弱』を本格ミステリの技法によって描き出した趣向が素晴らしい。

香港といえば、いまやマスコミは一国二制度と自由とデモが――みたいな報道一色という印象ですが、そうした大きな潮流からさえも取り残された若者たちの苦悩と悲哀を描き出している点が本作の見所のひとつ。登場人物たち一人一人に偏りなく眼を配ることで彼ら彼女たちの切実な苦悩を丁寧に描き出し、強者がふとしたきっかけで弱者へと転落し、あるいは虐げられていた弱者がついには牙を剥くというエピソードを積み重ねていく。しかし――その背後で静かに潜行するある企みこそは本作最大の魅力であり、このあたりについては詳しく言及することはできないものの、香港人であれば一読して共感とおどろきをもって評価できる一冊ではないかと。

一方、日本人がこの作品の本質を理解できるかどうかというと……どうなんでしょう。『網内人』に「いじめ、痴漢冤罪、貧困問題、暴走するIT社会――それらはすべて日本のエンタメ小説においてすでに書き尽くされている」なんて印象を持たれる読者であればまずアウトだろうし、本作に凝らされた恐るべき(おどろくべきというより、ここはやはりおそるべきという言葉がふさわしい)仕掛けによって明かされる構図の反転と、そこから見えてくる悲劇の持つ深い意味合いを、我がこととしていまの日本の読者が読み取れるかどうか――。ともあれ、本作が刊行される九月にはこの点について詳しく書いてみるカモしれないし、絶望と失望からそのままにしておくかもしれません。

というわけで次回は王稼駿の『体殻』を取り上げる予定です。

第六回島田荘司推理小説賞の入選作三編が金車文藝中心から発表されました

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