神の悪手 / 芦沢央

将棋をテーマに据えて、人々の生き様を作者ならではの筆致で書き出した傑作――ですが、イヤミス成分はほとんどなし。安心して読むことができます。

収録作は、被災地の避難所をボランティアで訪れた俺が、少年との攻防のなかにもう一つの闘いを見る「弱い者」、崖っぷちの男が明日の闘いに向けて悶々としているところに訪ねてきた先輩男の提案から奈落へと突き落とされる「神の悪手」、曰くアリの少年から送られてきた詰め将棋問題に、おそるべき地獄と再生を見出す傑作「ミイラ」、事故によって致命的な疵を負った男との攻防を両面からスリリングに描いた「盤上の糸」、アカデミズムから駒師に転身した男の葛藤と再生の物語「恩返し」の全五編。

いずれも相当に濃密な短編なのですけど、個人的にイチオシなのは「ミイラ」でしょうか。詰め将棋の投稿を受け取った男が、デタラメな問題をつくった投稿者の過去を知り、その問題に隠されたルールを探り当てていく、――という物語なのですが、映画『さんかく窓の外側は夜』の岡田将生みたいな曰くありすぎの過去を持つ少年のキャラ設定が壮絶で、まったく問題の体をなしていない詰め将棋の中から、少年の背負った人生だけを手掛かりに、隠されたルールを明かしていく展開がもう凄すぎ。将棋小説でありながら、暗号小説めく面白さもあり、個人的にはここ最近で一番打ちのめされた短編でした。文句なしの傑作といえます。

「恩返し」も、真面目な駒師が、自分のつくった駒が選ばれなくてふてくされていると、棋士が自分の駒を選ばなかった理由を、彼の人生に重ねてその心理を解き明かしていく謎解きが素晴らしい。大きな事件など起きなくても、人の心に謎を見出し、それをロジックで丁寧に繙いていく趣向は、連城三紀彦が憑依したよう。

この点は「弱い者」も同様で、眼の前の攻防から、相手が闘っている「本当のもの」の正体を駒の動きから探っていく流れがとてもいい。ここに被災地という特殊な舞台の暗黒面を交えて、闘っている相手の隠された心理を秘めやかに解き明かしていく手法は、これまた連城が得意としたところで、作者の鮮やかな手さばきには感心至極。

短編の名手として作者の潜在能力が遺憾なく発揮された本作、昨年の『汚れた手をそこで拭かない』のようなイヤミス風味はまったくなく(「ミモザ」はイヤ過ぎて、もう二度と読みたくない)、誰にでもオススメできる一冊といえるのではないでしょうか。

汚れた手をそこで拭かない / 芦沢 央