水鬼:橋墩下的紅眼睛 / 天野翔

作者名は日本人っぽいものの、これは「臺北地方異聞工作室」のメンバーである王宥翔のペンネーム。「臺北地方異聞工作室」についてはサイトに日本語の紹介があるのでそちらを参照してもらうとして、――本作は、「說妖系列」の一冊で、本作『水鬼』のほか、以前に取り上げた瀟湘神『魔神仔』もこのシリーズに含まれています。なお、作者の瀟湘神もまた、「臺北地方異聞工作室」のメンバーのひとり。

あらすじは、戒厳令下の金門島で兵役に従事しているボーイは、幼いころ友達が水遊びをしていた川で水鬼に襲われたところをバッチリ目撃してしまったトラウマ持ち。工場排水で澱んだ川に水鬼となった友達はいまも身を潜めているらしく、ボーイの恋人はこの水鬼に取り憑かれたあげく、重い病に罹ってしまう。徴兵から帰還した彼は、ある目的をもって兵役仲間と、水鬼が棲んでいる川を訪れるのだが――という話。

金門での兵役生活のシーンと、主人公であるボーイの過去が交互に語られていく構成ながら、『水鬼』というタイトルとは裏腹に、ホラー風味の恐さは薄く、物語は社会批判を交えた意想外な結末へと雪崩れ込んでいきます。

そういえば瀟湘神『魔神仔』もまた、妖怪もののホラーか怪奇小説かという路線を期待させつつ、その内実は思いのほか社会のありように目を向けた社会派の幻想小説だったことを思い出しました。『魔神仔』が引き裂かれたアイデンティティのはざまに立ち現れる魔神仔の怪異を描いた物語だとすると、本作における水鬼は「実在する」妖怪の姿をかりながらも、それはある登場人物によって語られる通り、「妖怪は、人がそれを考えたとき心の中に生み出され、それが実体を伴う存在」であるところがミソで、人がそれを考えたときに、というあたりがちょっと楳図かずおの「雪女」ってぽくてとてもイイ。

ボーイの恋人に降りかかる怪異の襲撃や、霊感ボーイが視えるものもあるいは幻覚なのかと思わせつつ、そうした事象がリアリズムと怪異の出現をないまぜにした結末へと進んでいく後半部の展開は素晴らしいの一言。

『おはしさま』の第三章・瀟湘神「鰐の夢」が、社会システムにおける女性の酷薄な生き様を描きだした傑作だとしたら、本作は、戒厳令下の反共社会が生みだした資本主義システムの犠牲者の物語、――といえるカモしれません。いずれにしろありきたりのホラーとは一線を画す非常に硬質な物語で、水鬼という「システム」と軍隊における規律とを重ねた問答が、主人公と兵役仲間との間で交わされるシーンがあるのですが、これが非常に興味深い。

……と、ここまで書いてきて、「水鬼」なる妖怪は日本ではかなりマイナーだということを思い出しました。日本語で「水鬼」について書かれた本といえば、最近原書房から刊行された何敬堯『[図説]台湾の妖怪伝説』をまずは参照のこと。「奇景二十六 奇遇:白骨精、水鬼、魔神仔」で実際に水鬼を見たという陳慶章の話が掲載されている筈です(筈、というのは、自分が持っているのは台湾版だから)。

「水鬼」という語感から、日本人であれば河童を想像するかと推察されるものの、この妖怪の眼目は、水の中で自分の身代わりとなる「替死鬼」を待ち受けているというところで、水鬼に襲われた人間が今度は「水鬼」になってしまうという「抓交替」の話を活かして、本作ではこの「水鬼」が継承されていく因縁を、軍組織における先輩から後輩への悪習の継承や、富裕層の資本継承と対照させた趣向が秀逸です。

主人公の社会に向けられた鬱屈した感情は、恋人の発病という悲劇を引き金に、ある人物への復讐へと収斂していくのですが、恐怖の対象であった「水鬼」が彼の行為によって悲劇的な存在へ反転するとともに、民主化された現在の台湾における彼の生き様をエピローグに用意した構成も素晴らしい。しかしこれはハッピーエンドと言えるのかどうか。彼個人の生活を超えたところで、まったくの別領域からある人物が出現して、復讐の結末が時を経てこのような形に結実したのはまったくの意想外。さらにあとがきによると、このエピローグでチラッと登場した「あるもの」は、 臺北地方異聞工作室の『說妖』で語られているらしく、これは『說妖』の二巻も読んでみないといけないかなァと思った次第です。

瀟湘神『魔神仔』の社会派な幻想小説の風味を気に入った読者であれば、より社会派に振った本作も気に入るのではないでしょうか。

なお、瀟湘神『魔神仔』に本作『水鬼』のほか、このシリーズには長安の『蛇郎君』があるので、こちらも近いうちに手に取る予定です。

魔神仔:被牽走的巨人 / 瀟湘神

筷:怪談競演奇物語 / 三津田信三、薛西斯、夜透紫、瀟湘神、陳浩基 (2)