台湾漫遊鉄道のふたり / 楊双子 (著), 三浦裕子 (翻訳)

巧みな構成と台湾風味満載の筋運びで魅せる、(純文学寄りの)物語で、堪能しました。

物語の舞台は、日本統治時代の昭和十三年。結婚が嫌で台湾へと逃避行をはかった日本人作家である九州女の主人公が、許嫁のいる台湾人女性の通訳とともに、台湾縦貫鉄道の旅をする、――という物語。

大食漢である主人公に請われるまま、台湾の美食案内を買って出た台湾人通訳との仲良し鉄道旅行、――とはならず、前半のキャピキャピ女子旅行が、中盤からやや不穏な空気を孕んで、ミステリっぽい展開を見せてくるところが本作のミソ。この台湾人通訳女史と主人公との心の変転と機微の描き方が抜群にうまい。

女主人公は作家ゆえ、この台湾漫遊記をとっこに台湾の美食を筆にしたためていくつもりであるものの、お気に入りの台湾人通訳との関係に微妙な変化が現れていることに、最初のうちまったく気がついていないとろこがかなりアレ。台湾女性の機微とその変化は、彼女じしんの言葉と挙措にあからさまなくらいに表れてい、その理由についてもハッキリしているのだけど(と自分には感じられた)……。台湾人通訳の内心とその変化、さらには彼女自身のやや謎めいた出自がひとつの大きな謎となっていて、後半、主人公は自分の行動・言動の何が通訳人通訳の気に障ったのかと、その理由に思いを巡らせていきます。

中盤、台南にある女子校でのある逸話にとある台湾語を絡めて、ちょっと怪談めくミステリ的な謎が読者の前に提示されるのですが、この謎解きの真相に、実は台湾人通訳の女性の心の謎を解明する大きなヒントが隠されている趣向に注目でしょう(とはいえ、このミステリ的な謎解きがなされた後も、主人公はそのことにまったく気がついていないところが何とも、なのだけど(爆))。

この物語、いずれの登場人物(日本人の主人公か、台湾人通訳か)の視点で読んでいくかによって、感想が大きく異なるような気がします。おそらくですが、台湾人であれば、台湾人通訳の王千鶴に重きを置き、日本人であれば、主人公である千鶴子の視点を重視するのではないか。だとするとこの物語、台湾で刊行された中国語の小説でありながら、主人公の視点で物語を読み進めていくことに違和感を抱くことのない日本人の方が”普通に?”漫遊鉄道で台湾を旅するグルメ小説として愉しみ、最後に台湾人通訳の謎に絡めた真相におどろくことができるのかもしれません。

とはいえ、この物語の背景にある日本統治時代における支配者・被支配者としての主人公と台湾人通訳の立ち位置に意識を置くと、グルメ探訪記だの漫遊記だのという悠長なことを言ってられなくなる仕掛けが実に巧妙で、それがまた日本人に向けて翻訳され、こうして本になっているところはひとつの事件といってもいいカモ、――そんなひねくれた感慨を抱いてしまうのは自分だけでしょうか。

この仕掛けをマッタク無視して主人公の立場でそのまま読み進めていくのが本作の”日本人に向けた本来”の楽しみ方ではあるものの、自分自身の背景や、これまで色々と身内も含めて見聞きしたこと、体験したことなどから、自分は台湾人通訳の視点から読んでいって”しまった”のですが、この小説、千鶴の立場から物語を追っていくと、主人公の千鶴子が苦しんでいる謎についても、しごくあっさりと解明できてしまうのです。

台湾人通訳である千鶴の視点から読むと、この主人公、相当に”痛く”、知識は色々とあるものの、物事の核心にはいっさい無頓着な人物に見える。日本統治時代における支配者・被支配者という関係性について、彼女じしんは十分に自覚してい、実際、台湾人の前で台湾統治に邁進する日本政府をさらりと批判してみせたりするのですが、そのさらに奥にある個々人の存在の本質について思いを馳せることができない。

とはいえ、本作では、この主人公が真相に辿り着き、最後に「私は傲慢で愚鈍でどうしようもない大馬鹿者だ」と悟ってくれるのがせめてもの救いであるというべきか。支配者・被支配者という関係性の軛にとらわれている限り(それを自覚しつつ、相手に”配慮している”という態度を表明しているから、なおのこと)、彼女自身の「傲慢で愚鈍」な特質は強化されこそすれ、自身の力でどうすることもできない、――それはまた人間そのものが持つ凡庸さでもある。それゆえ、主人公の持つインテリとしての「上から目線」そのものは、支配者・被支配者という関係性なくしてもたやすく出来する可能性を孕んでいるといえる。実際、主人公は、本島人である日本人の美島(この名前も非常に暗示的でよろしい)も役人風情として見下している。かりに主人公が、同じ日本人でありながら、美島を本島人だという理由だけで、「上から目線」をキメているのであれば相当に重症だけど、さすがにそれはないと思いたい(爆)。

そしてこの美島という登場人物が、自らを「傲慢で愚鈍」だと悟った主人公に対して、じしんの感想を冷静の口調で話していくシーンが秀逸で、主人公を教え諭す役柄に本島人の日本人である彼をセレクトした差配が素晴らしい(この役は、内地の日本人でも、台湾人でも難しい)。

とまれ、現代社会においても、”専門家”と呼ばれるインテリが一般人を見下し、貴様らは黙って俺様の言う事を聞いていればいいんだゾ、という態度は、ここ数年、あちこちで見られた光景なわけで、その点、時代や背景を超えて、人間存在に普遍的なテーマが本作にはひそんでいるような気がしました。――とこんなことを書いてはいるけれど、本作は実際のところ、台湾グルメを堪能するための手引きとしても素敵に美味しく仕上がっていて、それぞれの食べ物のディテールの描写が素晴らしい。あまり難しいことなど考えず、作者の筆に乗ってグルメを愉しむという本来の読み方を目指した方が幸せな読書体験ができるのだと思います(もっとも、自分は上にも述べた通り台湾人通訳の視点で読んでしまったのでちょっとアレ)。

さて、本作の構成において、ある「仕掛け」が用意されていることは、作品紹介で古内一絵氏があっさりと明かしているので言及しても問題ないかと思うのですが、あからさまに記してもアレなので、ひとつだけ。本作は、実際には現代を生きる台湾人・楊双子が執筆した小説ではあるものの、作中の語り手は昭和十三年を生きる日本人・青山千鶴子となっています。

だとすると、物語のほとんどを占めている、千鶴子の書いた文章はそもそも日本語で書かれている筈で、原作においては、楊双子が中国語に訳したものを、本作の訳者が日本語にわざわざ”戻している”ということになる。だとすれば、この部分の「日本語」には、少しでも中国語の”気配”が残っていてはならない。このあたり、訳者である三浦氏の気配りと文章は見事というほかなく、さすが『リングサイド』でも素晴らしい日本語訳を魅せてくれた彼女の手腕には脱帽しかありません。

ほかにもこの仕掛けやマーケティングに関して、色々と書いてみたいことはあるのだけど、できるだけこのあたりはナイショにしておいた方が本作を十分に愉しめるかと。ごくフツーに台湾の食を堪能したいというひとも、また日本統治時代の背景に興味があるひとも、フィクションとノンフィクションのはざまで、小説はどんなことができるのか、という技術的な方向に関心を持たれたひとも、――様々な読みができるであろう、秀逸な一冊といえるのではないでしょうか。オススメです。

リングサイド / 林育徳 (著), 三浦裕子 (訳)