エクスワイフ / 大石 圭

あとがきで大石氏曰く『この本は僕の初めての短編集』とのこと。確かに『60秒の煉獄』というのもありましたが、あちらは連作集。純粋に異なる物語の短編を一冊にまとめたという点では確かに本作は「初めて」ということになるかもしれません。内容の方はというと、エロスに老いに死体嗜好と、大石氏の長編に見られるモチーフをふんだんに用いた佳作揃い。

収録作は、すでに盛りを過ぎた商売女が煉獄を味わった暁に人生の大逆転を夢見る傑作「オカメインコ」、安い娘と浮気をしたばかりに夫婦仲が破滅した男女の隠微な駆け引き「ワインの味が変わる夜」、樹海で拾った美女の死体に魅せられた駄目男の美しき奈落「拾った女」。

種の保存を目指したばかりにインポとなった夫とその妻の秘策とは「夫が彼に、還る夜――。」、タイトル通りに女体の「愛されるための」部位についてのショート・ショート「愛されるための三つの道具」、女王然とした高慢チキな妻と離婚を決めた男の背徳的な復讐「エクスワイフ」、平凡な旦那に先立たれた中年女の生「摩天楼で君を待つ」、性別を超えた愛の苦楽を絶望的なハッピーエンドで描いた「杏奈という女」の全八編。

最初を飾る「オカメインコ」は、かつて夜の世界で花形だった美女の栄光と挫折を、煌びやかな過去の逸話を織り交ぜつつ貧しい現在と対比させながら描いていく結構がいい。美しいだけではなく教養もあるヒロインがなぜ堕ちていったのか。そこには壮絶な事件があったわけでもなく、人であれば誰もが等しく受け入れなければならないものがあるわけですが、夜の世界においてこの必然はあまりに厳しい。しかし、彼女はこの辛い現実を受け入れつつも、いまだに夜の仕事を続けている。

ある夜、破格の依頼が舞い込んできて、彼女はそれを受け入れることにし、……とここからは、予想通り、ヒドい目に遭うわけですが、この悲壮がタイトルにもなっているオカメインコの暗喩するある事柄によって救済されるラストが美しい。絶望的なハッピーエンドの「その先」を鮮やかに描ききったという点で、近作長編『愛されすぎた女』ともまた違った大石氏の新境地の一編といえるのではないでしょうか。大石ファンであれば、この一編だけでも本作を買う価値アリです。

「ワインの味が変わる夜」と「夫が彼に、還る夜――。」は、いずれも夫婦を扱った物語で「ワイン」では、夫の浮気というか安い女に本気になってしまったことが、そして「夫が彼に、」では、子供が欲しいという妻の欲求が、順風満帆といえた夫婦仲に大きな傷をつけてしまいます。「ワイン」では、夫の浮気によって破綻した夫婦仲のその後の倦怠を巧みな筆致で描いているのですが、大石小説では定番の技法ともいえる、一つのシーンを複数の視点から描いて、それぞれの心理を炙り出していくという見せ方が本編でも存分に発揮されています。

「拾った女」は、エロスといっても背徳的な死体嗜好を扱った一編ゆえ、収録作の中ではやや異色に感じられるかもしれません。『死人を恋う』でも重要なモチーフとして登場した死体嗜好ですが、本作では短編ゆえに死体のリアリティはやや控え目で、美しいラストとともにお伽噺のようにも感じられるところが素敵です。

「エクスワイフ」は、女王様然とした高慢女と離婚を決めた夫が、大金を積んで妻をイジめてやろうと画策し、……とあれば、この男が思う存分女に鞭をふるい、「いやーっ!」という悲鳴が聞けるのかと期待していると、物語は思いもしない展開に(爆)。堕ちていくことの快楽を活写したという点では、これもまたもう一つの「絶望的なハッピーエンド」といえるのかもしれません。

「杏奈という女」は、非常にシンプルな物語で、要するに女ではない女を愛してしまった男と、愛される女の心理を重ねて明快な「絶望的なハッピーエンド」で魅せてくれる一編です。もちろん女ではないとはいえ、そうした部分での特異なエロスもシッカリと描かれているわけですが、ノンケの人には「実用的」ではない、……というのは説明するまでもないですか(爆)。

ちなみに「あとがき」によれば、「オカメインコ」と「エクスワイフ」は新潮社の担当編集者、また「夫が彼に、還る夜――。」と「愛されるための三つの道具」は綜合図書の編集者によるプロデュースとのこと。「オカメインコ」は挫折したあとの倦怠とともにある日常からの転換点を描いた傑作で、「エクスワイフ」もまた、男が離婚 から快楽とともに堕ちていく転換点を鮮やかに決めてみせた一編だとすると、新潮社の担当者は、大石氏の「絶望的なハッピーエンド」の本質を非常によく理解し、その風格を存分に引き出してみせようとしたことが判ります。その試みは成功しており、個人的にも収録作の中では、この二編がかなり好みだったのですが、担当が同じと知って、なるほどと思った次第です。

大石氏のエッセンスがイッパイに詰まった短編集ではありますが、シーンとしてはエロっぽい要素がかなり強く、大石小説を読み慣れていない人であれば、このエロスの描写ばかりに気をとられてしまって、「絶望的なハッピーエンド」を柱とした大石ワールドの本質を読み逃してしまうのではないかという気もします。ビギナーであれば、とりあえず長編から入るのがよろしいかと。そして自分のようなマニアであれば、これはあの長編で使われたアレだな、と過去作を思い浮かべながらニヤニヤするのも一興でしょう。