『歩道橋の魔術師』の作者である呉明益氏が来日していて、三日連続でトークショーが開催されています。その中の一つである「『歩道橋の魔術師』刊行記念トーク 小説と一緒に、台湾を旅する」を昨日、聞きに行ってきたのでその感想について簡単にまとめておきたいと思います。
台湾の小説といってもミステリではない『歩道橋の魔術師』ですが、自分がこの作品を繊細な語りの技法を駆使して構築された上質の幻想文学として愉しんだことは、以前にこの記事でも述べたとおりですが、そんな作者の創作姿勢について話を聞けるカモ、というのが目的のひとつ。それとこの作品の風格を体現している大きな要素のひとつであるノスタルジーは作者自身の資質に過ぎないのか、それともこの世代の台湾の作家であれば共通して持っているものなのだろうか、ということを確認できるかもしれないということがありました。
――というのも、台湾ミステリを読んだものであれば、中華商場への郷愁を作品の大きな主題に据えた『歩道橋の魔術師』と、西門町への郷愁を騙りの仕掛けへと昇華させた本格ミステリーの傑作である寵物先生の『虚擬街頭漂流記』とを重ねてしまうのは当然で、そのほかにも、台湾全体への郷愁を壮大な仕掛けに据えて二十一世紀本格ミステリの傑作へと昇華させた林斯諺の『無名之女』、少年時代そのものともいえる “あるものの” の喪失を犯行の動機に据えて、二重の騙りを構築してみせた胡杰の『我是漫画大王』などなど、台湾ミステリにおいては、過去への郷愁や強い思いが作品の趣向に大きく関わっているようなに見える。ミステリーではない『歩道橋の魔術師』もまたそのような作風を持つものだとすれば、これはジャンルを超えた台湾の作家の大きな資質といえるのではないか、――そうした仮説をもって今回のトークショーを聞きに行ったわけです。
結論からいってしまうと、――台湾人作家のこの思いを、郷愁という簡単な一言で片付けてしまうのはチと安易で、台湾の作者には日本の作者にはない、もっと根源的な “思い” が隠されているのかもしれないと感じました。自分の直感が果たして正解なのかどうかは甚だ心許ないのですが、少なくとも日本の作家との相違というか、意識の違いとともに、創作に対する姿勢への共通項をも確認できたのは大きな収穫でありました。
――と前振りが長くなりましたが(爆)、まず今回のトークイベントの内容について、ざっと簡単に紹介すると、場所は吉祥寺の古書店「百年」で、テーマはタイトルにもあるとおり「小説と一緒に、台湾を旅する」。ゲストは『歩道橋の魔術師』の作者である呉明益氏のほか、これも同じく台湾の作家である何致和氏。そして通訳兼司会が『歩道橋の魔術師』の訳者である天野健太郎氏。定員は五十名ということでしたが、小ぶりの丸椅子がずらりと置かれた狭い店内はギュウギュウ詰めでモー大変(苦笑)。入口を入ってすぐのところには立ち見の方もいての大変な盛況ぶりでありました。
ベルメールの写真が掲げられた壁を背にしてのカウンターの向こうに、呉、何両氏のほか、天野氏と、何氏の通訳となる台湾人の女性(ノースリーブの気さくそうな超美人。何氏の通訳をしている間にガン見していたのはナイショです(爆))の四人が横並びになって、奥まった壁に PCからのスライドを表示させつつ、トークを進めていく、――という構成でした。まず天野氏が呉、何両氏の簡単な紹介をすませたあと、彼が台湾のどのような小説を日本に小説していきたいかの説明がありました。ブンガクの最先端を行く奇抜な作品ではない、日本の一般小説にも等しい、いうなれば普通に面白い作品を紹介していきたい、――天野氏の言葉を強引にまとめてしまうとこんなカンジになるのでしょうか。日本の新本格以降の現代本格にも通じる台湾ミステリの傑作群が、もっと日本に紹介されれば、――とずっと昔から考えている自分としては、この意見に大変共感できた次第です。ただ、その一方、奇をてらった作風でない小説は日本の読者にアピールしにくい、という意見に頷けてしまうところが何とも(爆)。
その後、スライドで『歩道橋の魔術師』の舞台となったかつての中華商場の写真を映し出しながら、天野氏による西門町や、何氏の小説の舞台ともなった萬華などの説明をまじえて話が進められていきます。
呉氏のトークでは、彼の別の作品となる『複眼人』の内容紹介とともに、この作品にこめた思いや、日本の 311とこの作品の刊行に関するある偶然の逸話がなかなかに興味深く、聞き入ってしまいました。『複眼人』は『歩道橋の魔術師』とはまた違った魅力的な作品のようで、むしろこちらの方が “マジック・レアリズム”っぽいんじゃないかという気がします。またこの『複眼人』の話へと繋げていく前振りとして、花蓮という土地の山海を抱く独特の風土や、そこでの生活、さらには原住民の友人たちと知り合った経緯などが語られていったのですが、このあたりの呉氏による流麗なトークの展開も巧みで、大変面白かったです。
『歩道橋の魔術師』の舞台である中華商場を写したかつてのモノクロ写真のほか、呉氏が昔描いた絵がスライドに映し出されたのですが、これがまた見事。小説のほかにもイラストに写真と多くの才能を発揮して創作に励んでいる呉氏は、自分が敬愛する藤原新也にも通じるところもあるなァ、――と感じました。ちなみに会場に入ってくるときに氏が手にしていたカメラは RICOHのGR 。藤原新也と同じであります(爆)。
また中華商場には階段の途中に共同トイレがあり、そこが氏にとっては幻想への入口であり出口だったという逸話が、台湾版のジャケ画と不思議な照応を見せているのも面白く、小説だけではない、絵や写真も含めた彼の創作についてもう少し色々と話をもっと聞きたいと感じた次第です。
何氏のトークでは、 “台湾版『スタンド・バイ・ミー』”であるという氏の作品の紹介と、彼の幼年期から青年期にいたるまでの極貧生活のエピソードが色々と語られました。呉氏が少年時代に居住していた中華商場と萬華は隣接しているのですが、二つの場所に住んでいる子供たちの往来はあったのかという質問から、親からの言葉が大きな禁忌として作用しており、また中でも線路が強い境界線の役割を果たしていた、という指摘が興味深かったです。あと、台湾の夜市でも、猿の脳味噌のナマ食いが行われていたらしいという逸話には超吃驚。あれは大陸だけのモンだと思っていました(苦笑)。
後半は、呉、何両氏による台湾の小説に期待されるべき未来、という、なかなかに大きなテーマで話が進んでいったのですが、彼らより上の世代の先輩作家に対する評価が二人の間でまったく正反対になっていたのが面白いな、と。何氏は上の世代に否定的、いっぽうの呉氏はその功績を評価するという構図だったのですが、自分たちより若い世代に期待する、という点では一致を見、また共通項という点では、両氏ともに創作を始めたころには日本の芥川龍之介の影響があったということで、天野氏が日本の作家と比較して、「日本人だとこうした質問で、芥川龍之介という名前はあまり出てこない」のではと指摘。確かにそうかもしれません。天野氏の司会兼通訳は、このように両氏の発言を日本語で伝えつつ、要所要所でその発言の背景の説明を添えてくれていたので、とても判りやすかったです。
自身の創作に影響を与えた作家という質問については、呉氏がチェーホフを筆頭に、初期は台湾の作家よりも欧米の作家の影響が強かったと思う、とのこと。それにくわえて日本の芥川龍之介など日本の作家の影響も少少、というのに対して、何氏の方は芥川龍之介や『雪国』の川端康成など、日本の作家の影響は少なくなかったとのこと。何氏の、「読んだ作品の影響を受けやすいので、敢えて日本の村上春樹は読まないようにしている」という発言が微笑ましい(爆)。ただ、両氏の意見として、今は欧米、日本に限らず、マレーシアなどあらゆる国の小説が台湾に流入してきているので、どの国のどの作家の影響が、というようなことはいえない、未来の創作はそうした複合・重層的な影響下から生まれるだろうという指摘は、日本の創作にも通じるのではと感じる一方、意外に日本の作品と作家の影響の方が欧米の作家よりも強く感じられる台湾ミステリーは、台湾の文芸の中ではやや特殊な位置にあるのかもしれない、とも感じました。実際のところはどうなんでしょう。
――と、こんな次第で、イベントは十時過ぎに終了。そのあとなし崩し的にサイン会へとなだれ込んでいった様子でしたが、さすがに遅いので早々に撤退しました。夜の八時からおおよそ二時間強という長丁場でしたが、とても愉しめた次第です。たまにはミステリからちょっと離れて台湾の文芸を俯瞰してみると、台湾ミステリを違った側面から見ることができるということを知った一夜でありました。