台北駐日経済文化代表処台湾文化センターで始まった『歳月の旅 – 張照堂写真展』。初日の昨日の特別講演会を聞きに行ってきたので、簡単に感想をまとめておきたいと思います。司会は菅沼比呂志、張照堂御大のほか、瀬戸正人氏と沈昭良の二人を交えて話を進めていくという形式でした。ちなみに張御大の傍らで今回の通訳を務めていたのが、前回吉祥寺の百年で『小説と一緒に、台湾を旅する』と題して行われた呉明益来日のイベントで司会進行を行っていた天野健太郎氏。写真好きの自分としてはかなり愉しめた内容でした。
今回の展示である『歳月の旅』のテーマや趣向について、本展のキュレーターを務めた沈氏からまず説明があったのですが、大きく年代を四つ(だったか)に分けて展示を行ってみたとのこと。舞台の向かって右側にはスクリーンも用意され、沈氏からマウスを操作しながら、写真部に所属して恩師の薫陶を受けながら撮影を愉しんでいた高校時代、写真仲間たちと前衛的な作品を撮り続けていた台湾大学時代、さらにテレビ局に入社して社会人となったときからの作品、そして最新のデジタルカメラも使用してデジタル処理を行った作品などを次々に示しながら、その作風の変遷を辿りつつ、各時代の当時を質問を交えて張御大から話を伺うという感じで講演は進められていきました。
ちなみに今回展示されている作品は、1970年から90間の作品で、張御大といえばコレ、みたいな幻想的な作品はなかったものの、敢えてテレビ局に入社してからの作品を揃えて、当時の台湾の社会的状況とその作風とを重ねてかつての台湾の風景を辿る、――という感じで、今まで漠然とイメージしていた前衛的な作風との違いを知る意味でもなかなかに興味深い展示でした。また講演の間に紹介されたスライドでその作風の変遷を短時間で辿ってみると、作風の変化がありありと判って面白かったです。
恩師からは撮影技術というよりは、精神面で多くのことを学ぶことができたと御大自らが話の中で述べた高校時代。吃驚なのはもうこの時点ですでに作風を完成させてしまっていることで、写真を撮ることにまったく迷いが感じられないことは、写真を一瞥しただけでボンクラの自分でもありありと感じることができました。この点については、司会を務めた菅沼氏も驚いていたのですが、張御大自身も自分がちょっと他の人とは違う、というのは当時から判っていたようです。ちなみに撮影を始めたきっかけは、という質問には、兄がカメラを持っていたからとアッサリ。当時はプリントするのが高かったので、ただ撮り歩くだけで満足してしまい、「作品」としてプリントするようなことはなかったとのこと。近くの写真屋でコンタクトプリントを焼いてもらえばもう十分で、その中から何枚かを大きくプリントする、なんて考えはマッタク考えもしなかったということで、当時のフィルムがあらかた消失してしまっているは残念なことではありますが、このあたりの飄々とした、ざっくばらんさが張御大の魅力とでもいうか(爆)。
高校では写真部に所属していたくらいですから、相当に写真が好きだったことは間違いなく、それだったら大学でも写真を学ぶのが当たり前、――と日本人は考えてしまうわけですが、なぜ大学では土木工程学部に? という質問に対しては、これまた「写真を学べる大学・学部がなかったから」とのこと。さらに大学を卒業してからも敢えて写真家を目指すことなくテレビ局に入社した利用を訊かれると、これまた「生活のため」であったと(爆)。
瀬戸氏が「写真的」と指摘する張御大の作風については、四つの時代に分けた作風の変遷を見ていくことで、精妙な変化が生じていることが興味深く、写真仲間にモデルとなってもらい、まずコンセプトありきでイメージを作品へと昇華させていった大学時代のものは、構図も完璧で非常にカッチリと仕上がっています。年譜によるとこの大学時代は「文学や詩作、シュルレアリズム絵画などに傾倒、コンセプチュアルで近代的観点に基づく写真制作に取り組」んでいた時期で、後半のトークでも話題にのぼっていたのですが、写真そのものからよりもカフカなど文学をはじめとした他分野の芸術から多くの影響を受けたと述べいました。そんな張御大の作風の個性がもっとも強く感じられるのがこの大学時代の作品群カモしれません。それがテレビ局に入社すると、映画のスチールなどから多くのインスピレーションを受けたと述べていたとおり、非常にスタイリッシュな作風へと変化していくですが、同時に、――これはあくまで個人的な感想ではあるのですが、この時代の作品には、写真技術の軛から解放されたかのような、ある種の”抜け”や”緩さ”が感じられました。このあたりは藤原新也が、写真の技巧を初めて意識して作り上げた『西蔵放浪』から『逍遙游記』の変化に似ているような……。
質問コーナでの発言で興味深かったものをいくつか挙げると、「デジタルとフィルムとの違いは何か」と訊かれて張御大曰く、「フィルムでの撮影は作品であり、デジタルでの撮影は記録である」というような話がありました。あくまで大意ではありますが、その言いたいところというのは、フィルムは無駄にできないので、シャッターを切る際にはじっくりとその瞬間を狙って撮るのだけれども、デジタルだと何度シャッターを切っても支障はなく、畢竟、無駄が多くなる、――そんなかんじでしょうか。また「動画と写真の違い」についてという質問には、「動画は面や線であり、写真は点のようなものである。ただ写真はその瞬間を切り取る点であっても、いや、それだかこそその背後にあるものを映し出す」――というようなことを言っていたのが印象に残りました。映像の分野でも金鐘獎、金馬獎を受賞している御大だけあって、二つの表現形式の違いについては時間があればもっと詳しい話を聞いてみたいナ、と感じた次第です。
それとデジタル時代になってからのスライドに初めてカラー写真が登場したのですが、富士フィルムもコダックもあった当時、なぜカラーで撮らなかったのか、という質問については、これまた「カラーは現像が高い」(爆)。またモノクロの方が被写体を”表現”する手段として優れている、というような発言をしていたような気がするのですが、これは上のデジタルは記録であるという点を考えれば納得でありましょう。
――と、写真の話はこれくらいにして、あとカメラの話も少し(爆)。最後の質問コーナで、元ニコンの中の人が聞いていたのが「ニコンなどの日本のカメラと、ライカとの違いについて」。ちなみにこの方の話だと、張御大はライカ使いとのことなのですが、曰く「ライカは軽くて、シャッター音が静かなので、スナップ撮りには最適」「ただ、いかんせんライカは高いので、昔はニコンやペンタックスを使っていた」とのことでした。
ニコンといえば、張御大の写真の中でもかなり有名なこの作品のモデル(学生時代の同級生とのことでした)の方が会場にいらっしゃっており、この方が首からぶら下げていたのはシルバーのニコンDfでした。
最後に会場で配られていたパンレットについてなのですが、しっかりとした紙に印刷された豪華すぎる仕様に超吃驚。おまけに帰りにはポスターまでもらってしまってと、前回の「映活vol.3<映画『共犯』上映&トーク>」@台北駐日経済文化代表処・台湾文化センター に続き、無料でトークまで聞けてしまってなんだか申し訳ない気持ちが……(爆)。写真展「歳月の旅」は十月三十日迄。台湾ファンのみならず、自分のような写真好きであればマストでしょう。オススメです。