前回の続きです。九月七日に金車文藝中心にて行われた御大の講演『本格ミステリーの定義と迷走について』をテープ起こししたので、これから数回にわけて掲載していきます。甲賀三郎の”本格”、乱歩の”変格”、ポーとヴァン・ダインなど以前の講演と内容の重複もあるので若干長いのですが、中盤で語られる、ヴァン・ダインの作風と比較しながらポーの『モルグ街の殺人事件』をWhat dunnitの作品とした主張には要注目でしょうか。御大が華文ミステリにおける未来の創作についてどのような方向性の作品を期待しているのを探るには非常に貴重な発言かと。
さて、くだらない前置きは抜きにして、さっそく始めたいと思います。
島田荘司です。今日は大勢お集まりいだたいてありがとうございました。えっと、お若い方が大勢いらっしゃるようてずが、作家志望の方もいらっしゃいますか(何人か挙手)。そうですか。ありがとうございます。今日は若い才能がいかに大事かというお話をしたいと思います。それから本格ミステリーというものに関する、そういうお話を歴史を絡めながらしていきたいと思います。本格の創作ということについても、特に興味をもってらっしゃいらないかたには少し難しいかもしれませんがせ、ちょっと我慢して聴いてくださいね。時間がないですからさっそそく始めます。少し早口でいきます。
日本の本格ミステリ史において――あ、日本のお話をしますが、大学のミステリー研究会が大変重要な役割を果たしてくれました。そのためには彼らが何をしたかについてある程度分析的な説明をしておく必要があります。平成に入って、日本の本格ミステリー文壇に新本格と呼ばれるブームが急激に起こりました。この牽引役というものは明らかに大学ミステリ研究会でした。そのブームを担った人たちは綾辻行人さん、京都大学のミステリ研で、そして関西の各大学のミステリ研究会がよくその周辺をサポートしてくれました。
この事実自体に本格ミステリーの創作というものの性格とか、条件を洞察する要素が含まれています。彼らが作品を書いて、盛んに発表を始めたとき、彼らは完全なアマチュアでした。アマチュアがプロに比べて力量が劣るというのが普通なんですが、彼らはアマチュアゆえに日本の本格の最前線に躍り出たし、さらにジャンルを牽引することができたわけです。つまり小説書きの力量というものの質に、一般的な小説と本格ミステリの小説との間には違いがあるということです。ではその違いとは何なのか。そして彼らアマチュアが持っていて、プロが持っていなかったものが何なのか、そのことを考えてみたいと思います。
で、本格ミステリー小説――その本格という言葉は日本人の発明です。戦前の作家甲賀三郎によります。従いまして英語にはありませんね。甲賀三郎は江戸川乱歩と同時代の人で、乱歩より四ヶ月遅れて『真珠塔の秘密』という作品でデビューします。1923年のことです。一方海の向こうのアメリカでヴァン・ダインという人が、1926年に『ベンスン殺人事件』というものでデビューします。そしてこの時期には甲賀さんはすでに『琥珀のパイプ』などによって乱歩さんと並ぶ人気作家となっていました。『ベンスン殺人事件』などの翻訳はすぐには現れませんけれど、乱歩さんたち当時の作家たちはさかんに原文で読んでいました。だから甲賀さんもおそらくは読んだものと思われます。さらには甲賀さんが本格という言葉で示したものは、即ファイロ・ヴァンスもののイメージがあったものと思われます。
甲賀三郎は乱歩さんのような不健全風の作風を変格派と呼んで自分が目指すような理知的な作風を本格派と呼ぶことを始めました。これは乱歩さんとしてやや不本意な気分があったかもしれません。乱歩さんとしても「二銭銅貨」で実質的デビューをしますが、本来はドイル風の英国風理知的な作風を目指したわけですから。しかし時代の趨勢に屈して、次第に「人間椅子」のような変格に流れていったわけですね。甲賀さんはこの変格作風と本格作風との間に論争が起きることを期待していたふしもあります。というのも甲賀さんは”甲賀三郎は甲賀しゃべろう”といわれたくらい理論好きの論客であったからなんですが。議論になったときには彼はね、本格とはどういうものであるか、その説明を行おうという用意をしていたものと思われます。そうなってくれたなら、甲賀さんの口から本格とはどういう定義を持つか、どういう小説としての定義があるかが現れたと思います。
しかし現在の視点からは残念なことに時代はそっちの方向には向かいませんでした。それは時代が要請する論戦というものが、探偵小説は芸術たりえるか否かという方に向かっていってしまったからなんですね。これが、木々高太郎さんという人が芸術たりえると指摘し、言い出しっぺの甲賀三郎さんが探偵小説は基本的に通俗の流儀であって芸術たりえないと指摘して、五ヶ月間も続きました。そして乱歩さんは木木説を支持する、つまり芸術たりえるという考え方を支持しました。こういう展開が訪れたために本格とはどのような探偵小説を示すかという定義が現れないままに時間が経過してしまいました。
現在は本格ミステリーの本格という言葉は大変重要な用語になりましたが、当時としてはこれは重要な語になるという予想は立たなかったからですね。また乱歩発の変格流儀というものが戦争をはさんであんまり暴走してしまって、戦後に松本清張という自然主義流儀の才能が登場して、こちらの作風が各界から軽蔑の憂き目にあっていた探偵文壇の渇望するところになってしまって、こちらにはもうひとつ、甲賀三郎さんが発明した推理小説という別の語が当てられたために、本格という語の重要度がやや薄まってしまって、本格変格推理小説という用語が錯綜してしまう。要するにですね、清張さんが現れてから本格変格推理小説という用語が錯綜してしまってますます判りにくくなったということです。
甲賀三郎さんという方は用語を発明する天才的なところがあって、推理小説も本格も変格もこういう重要な用語はみな彼が発明しているんです。いずれにしましてもね、本格という語は便利であったために消えることはありませんでしたが、ずっと本格とは何であるかという定義が曖昧なままで、私などの『占星術殺人事件』が登場するまで続いていたわけです。1980年代に入って私などが登場し、続いて綾辻行人さんなど新本格派が登場し始める平成の時代に入っても、本格とは何であるかがまだ定義されていませんでした。そのために数々の不都合なことも起こっていたわけですね。したがって当時の80年代の私に課せられた仕事の一つとして、新人の発掘と同時に、本格という語はどのような性格の小説のことかをしっかり指し示すことが、定義を固定することが求められたという展開でした。本格という語の定義を行おうとする場合、ミステリ史の歴史を辿る必要に迫られます。その理解から必然的に定義というものも現れてくるはずです。ちょっと今からそれをやってみます。
本格ミステリーとしての最初の作品は何かという問いの答えはもう定着したように思います。1841年に発表されたアメリカの作家、エドガーアランポーによる「モルグ街の殺人事件」という作品ですね。ポーはマサチューセッツ州のボストンの生まれですけれど、1841年にはペンシルバニア州のフィラデルフィアに移って執筆をしていました。「モルグ街の殺人事件」の以前にも推理や分析を主題にした小説は存在していました。しかしジャンルの発生を決定づけたのはポーの「モルグ街の殺人事件」です。つまりこの作品は本格ミステリーというジャンルを創出するに到るだけの魅力や――まあ、魅力を備えていたわけです。
その魅力とは何であったかを抽出して書き出してみれば、それこそは本格ミステリーたる条件ということになります。ここでもう一つ重要なことはポーのモルグ街が現れた当時、1829年にイギリスロンドンに科学警察を標榜するスコットランドヤードいう組織が誕生しています。それまでの警察捜査は経験を多く持つ職人捜査官が、前科があったり噂話を聞きこんで被疑者を特定し、捜査室に連れ込んで拷問をして自白させる、そういうことが横行していたわけです。そのために冤罪発生という危険というものが常にあったわけですね。スコットランドヤードという新しい組織は、新しい時代にあたってこういう前近代的な体質を排して、自白に頼らず科学を用いて犯罪の存在を立証をするという宣言をしました。これはもちろん当時の捜査内容に指紋、血液型、顕微鏡に微物収集と分析、そういう新しい方法が現れていたからですね。
すなわちスコットランドヤード式の近代的な探偵術というものは当時の科学技術によって支えられていたわけです。しかしそうはいってもですね、まだ前近代的な古い体質というものが常に顔を出す危険がありました。つまり適当な見当で引っ張ってきて拷問をしていないか、こういうものを監視する必要性に迫られたわけです。それが陪審員の役割となりました。当時の市民意識の高まりなどによって、選挙、議会制民主主義、社会契約論など新しい思想による社会変革がゆるやかに進行していて、市民こそが社会における最高牽引者という考え方が定着を始めていました。陪審制の裁判というものはスコットランドヤードの登場以前から存在はしていましたけれども、こういう科学の時代に入ってその重要度が急激に増したわけです。
そしてこういう最高牽引者となる市民が警察や検察を監視する場所というのが司法の場、すなわち裁判であったわけです。そうなると警察検察は事件現場で何を拾ったり何を発見したりどういう科学と方法によって、法廷に引き出している被告を犯人と断定したかを判りやすく説明する必要があります。そのためには警察は特権意識や隠蔽体質というものを捨てて、市民に対する上から目線というものを慎む必要に迫られました。当時のヨーロッパではアングロサクソンを中心にしてこういう変革改革が緩やかに進行していたわけです。
さてそのように了解して後に「モルグ街の殺人事件」を読んでみますと、この作品にはそうした時代変革のすべてが反映されていることが判ります。モルグ街の石造りの密室現場において警察は床から何を拾ったか、あるいは見たもの収集したもの、そしてこれらによってどのように推理し、事件を把握しようとしたかを警察は――この場合は読者に――残らずに開示しています。
ここには科学への強い信頼というものがありました。ここではたとえば若い女性が不可解で残忍な殺され方をしています。このような屍体の現れ方に偏った興味を抱く人があるいはいたかもしれませんが、しかし読者への筆はそういう状況を描きながらもそうした変質性みたいなものには一切興味を示しません。犯人と目される存在は鍵のかかった部屋の中に壁を通り抜けて入ってこなければいけないように見えました。すなわち幽霊ですね。しかし作者の筆はそうしたホラー趣味によって読者を怖がらせようとするような傾向も見せません。霊媒師や悪魔払いといったようなね、そういった存在もいっさい呼ばれず、関係者たちは科学発想だけでことを処理しようとしているわけです。
この物語の中で真相を指摘する役割を担った登場人物というのは学究肌の人物で科学者としての冷静さや論理的な思考を持った人物に設定されています。彼らは科学者としての言動態度で非常にアクでミックな空気を周囲に発散しながら、事件への強い興味を示して徹底した推理論理を披露します。こういう作中世界の様子がこの新しい小説を前代未聞の輝きで包んで同時代の作家たちを感動させたわけですね。この感動が同種の似たような小説を自分も書いてみようという気分を起こさせて、その数の多さというものがこの作品の方向に新しい文芸のジャンルを生みだしたわけです(続く)。