「映画+文学イベント」第一回『台湾ミステリーの謎を解く  島田荘司vs寵物先生対談』@台湾文化センター

現在「第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾」と題して、金車文藝中心で二十日に行われた御大の『推理大師 島田荘司訪台講座』のテープ起こしを掲載中ですが、先週の土曜日に虎ノ門の台湾文化センターで開催されている「映画+文学イベント」の第一回『台湾ミステリーの謎を解く  島田荘司vs寵物先生対談』にも行ってきたので、備忘録代わりに会場で撮影した写真とともに簡単なレポートをまとめておきたいと思います。

 
 

このイベントの司会は、以前に吉祥寺の百年で呉明益来日に合わせて開催された『小説と一緒に、台湾を旅する』や、同じ台湾文化センターで行われた『歳月の旅 – 張照堂写真展』特別講演会でも進行を務めた天野健太郎氏。まずは自身の自己紹介から始まり、日本における(ミステリーに限らない)台湾文学の受容状況の概況や、島田荘司推理小説賞についての説明のあと、台湾文化センターのセンター長である朱氏の挨拶が続き、御大の話へとつながっていきました。

 
 

以下、御大の発言の簡単なメモ。

(天野氏から島田荘司推理小説賞設立の経緯について質問をされて)
「台湾への憧れは強かったが(何かをしようと思っても)そこに働きかける手段がなかった」
「しかし福山の文学館が島田荘司展と福山ミステリー文学賞を設立した際に、エミリーさんがそれを見て、台湾でも賞をできないかと考え、私に打診してきたのが、台湾で島田荘司推理小説賞が設立されたきっかけ」
「台湾でも本はたくさんは売れないので、台湾の出版業界では、妻子を養わないといけない男性が少ない。女性が多い」
「福ミスから島田賞へと至る流れ――これらは100%女性たちの力によるものだった。そもそも台湾皇冠のオフィスに入ってから出てくるまでみんな女性だった。この島田賞が始まり、こうして軌道に乗ったのは、すべて女性の力によるもので、彼女たちには本当に感謝している」
「欧米では本格ミステリーというジャンルが息詰まっている。それは日本も同じ。だとすれば華文ミステリーはどうか。見たことのない天才がいるのではないかという期待があった」

 
 

こうした発言を受けて、天野氏も「台湾の編集者は女性が八割、残り二割がゲイカルチャーに属するひとだったりする」との言葉を添えたあと(思わずえっ?!と仰天したのはナイショ(爆))、島田荘司推理小説賞の成果や、このムーブメントは最初からあったのか、それとも徐々に盛り上がってきたのかという点に質問が向けられました。それにたいしての御大は「島田荘司推理小説賞の魅力は世界から作品がやってくる。ここが日本の賞とは大きく違うところで、何が飛び出すか判らない。それゆえにとても愉しいところがある」とのこと。また「台湾のミステリー文化圏の作家たちの創作姿勢や傾向には非常にはっきりしたものがあ」り、「それは私が以前から主張してきた21世紀型本格によく応えてくれている」ということで、ここもまた日本とは大きく異なると。こうした新しい創作の様式について「もっともよく応えてくれているのは台湾である」と続いたあと、「欧州での科学革命」といった歴史的背景も交えて、本格ミステリーについての説明がありました。この話題については、まさに今『推理大師 島田荘司訪台講座』の中で話されていることなので、ここでは割愛します。

 
 

さらに話題は「21世紀型本格」から「ゲーム型本格」といった作風の内容へと移っていきました。「ゲーム型本格」という言葉は、御大の講演の中でもあまり出ていなかった用語だと思うのですが、ここでは「バーチャルリアリティ技術の高度な発達によって可能となった”ゲーム”世界」を物語の背景に据えた物語、というふうに理解してしまってよろしいかと。もちろん『虚擬街頭漂流記』がその典型でもあるわけですが、こうした「ゲーム型本格」については「日本のミステリー賞では未だ受賞作が存在しない」のだが、「台湾ではいきなり『虚擬街頭漂流記』という傑作が現れた」と。このように「台湾では21世紀型の新しいミステリーに対して拒否反応というものがな」く、「また台湾のミステリーでは『H.A.』という、高度に論理的な優れた作品が現れてきている」と、この方向について、台湾については大いに期待していると。そして「私から見れば、これが台湾ミステリーの一番大きな魅力と映っている」とのことでした。

またそうした御大の発言に対して天野氏が、「台湾の出版関係の人たちには非常にロジックがあ」り「IT、エンジニア系の人が強い」がゆえに、『虚擬街頭漂流記』や『H.A.』に代表される21世紀型本格やゲーム型本格と呼ばれる「新しいミステリー」にたいしても親和性が高いのではないか、とのコメントが添えられました。一方で、「台湾には幽霊であるとか、迷信であるとか、そういうもの」が先進的なIT企業の重役レベルの人たちとの会話の中でも普通に出てくるところがあり、そうしたところもまた「21世紀型の本格ミステリーを生んだ土壌」として挙げられるかもしれないとのことです。

 
 

「台湾の人についてはどうか」という質問に対しては、御大曰く「台湾の人たちは大好き」と嬉しい(というか期待通りの(爆))発言のあと、「しかし前から数学における才能はよく知っていた」し、台湾のエイサーに代表されるようなITの先進的な企業も存在する。台湾人は「ロジカルで数学的な頭」を持っていると。「本格ミステリーは半分数学であるようなところがあるので、こういう方向に適性がある」のでないかと。「しかし文学というのは(そうした数学やITといったものとは)別物だから(素晴らしい本格ミステリーが果たして生まれるのかどうかについては)未知数だった」ものの、「そういうところが文学の方面にも現れている。やはり予想通りだったかなと思う」とのことです。

こうして御大の話が終わると、次は寵物先生の順番で、天野氏からは「台湾のミステリー史について」というちょっと難しそうな質問とともに、「自分が成長している過程で、どんなふうにしてミステリーマニアになり、また作家になっていったのか。その道程について」話してもらいたいとのリクエスト。

 
 

それに対して寵物先生は、「実際に台湾のミステリー史について話をするとそれは簡単に終わってしまう。なぜなら、それは空白の歴史だったから」という意味深な言葉で切りだし、話を始めました。以下、メモ書きから。

「実際に空白といっても、日本統治時代には新聞小説などに台湾人が日本で書いたり、あるいは台湾に住んでいた日本人が書いていたものの中にミステリーのような作品があったのは事実」
「しかし戦後、国民党政府が台湾からやってきて、彼らが文学に介入したことにより、そうした文学は潰えてしまった」
「国民党から反共文学を強制されたのは1950年代くらいの話」
「当時は、愛国精神のようなものしか主題として許されなかった。だからミステリーといってもスパイが大陸に潜入して云々といった内容のものしか書けなかった」
「そういう状況が変わったのは、1970年末。一つの中国の中の”虚構の文学”しか許されなかったなかで、郷土文学といった運動がわき起こった。その流れから、同時に国民党もかつての反共を旨とした主題の強制がすでに難しくなってきている現状を理解して、台湾人自身の風土を描くことを許容していった」
「そうした流れのなかで欧米の文学も台湾に流入してきたのだが、日本の推理小説が入ってきたのもその流れにあった」

 
 

続いて「自分が成長している過程で、どんなふうにしてミステリーニアになり、また作家になっていったのか。その道程について」という質問についての発言は、だいたい以下の通り。

「自分は八十年代に、南洋一郎の翻案したルパンものなどを愛読した」
「子供のころに読んだルパンをきっかけに推理小説が好きになった。中学に入ると、日本のミステリーや欧米のクリスティ、クイーンが入ってきて、そうしたものが好きになった」
「林佛児が雑誌『推理』を刊行。彼は自分の名前を冠した短編賞を創設して、台湾作家の創作を鼓舞した」
「『推理』は日本のものや海外の作品を掲載していた。しかしこの賞も四回開催されただけで後が続かなかった」
「そうしたことから、台湾のミステリー史は、欧米と日本のミステリーの輸入の歴史になってしまう」
「当時は台湾のミステリー作家が作品を発表する場がなかった。大学に入って台湾大学のミステリー研に入ったが、この中では作品を書くというムードはなかった」
「やはりそれも発表の場がなかったことが関係している。『推理』雑誌への投稿はできたが、長編は発表の場がなかった」

「2003年から人狼城推理文學獎が開催され、これで新しい台湾のミステリー作家が生まれるかもしれないという期待があった」
「自分は第四回から応募を初めて、第五回で受賞した。この新人賞が新しい作家を生みだす土壌になったと思う」
「雑誌『推理』は2008年に廃刊。それ以降は、直接出版社に持ち込みをするか、あるいは知り合いの編集者を介してしか、作品に発表する方法がなくなってしまい、島田賞が始まるまでは長編を発表する場所がなかった」
「2007年に島田荘司推理小説賞が発表されたときに、読者たちは大変興奮した。初めはいつまで続くかと思ったが、こうして第四回まで続き、これからも続いていく。これについては島田先生と、そしてエミリー女史にもお礼を言わないといけない」

「2008年に人狼城推理文學獎を受賞したあと、ロボットやアンドロイドをテーマに据えた作品の短編集(『吾乃雑種』のこと)を出したが、このときの作風にはあまり反響がなかった」
「そこでこの作風は果たして正しいのかという迷いがあった。その後、島田荘司推理小説賞の応募があったので、SF風味のミステリーを書いて投稿したものの、そこでもこの路線には迷いがあった」
「しかしこの作品(『虚擬街頭漂流記』)が受賞したので、この路線が正しかったことを確信した。受賞できなければこの方向はやめていたと思う」
「自分の作風は21世紀本格に合っていたのだろう。ただ第一回の応募のときにはまだそのこと(21世紀本格とはどのようなものなのか)が、台湾の読者や創作者にはよく伝わっていなかった。なので、第一回のときには、皆がこぞって様々な作風の作品を応募してきた」
「この授賞式の発表のときに、島田先生から21世紀本格に関する詳しい説明があった。それによって台湾の作家たちの今後の方向性が定まってきたのではないか」

 
 

また「賞を獲る前と後で変わったことは?」という天野氏からの質問については、こんなかんじ。

「賞を獲ってから仕事を辞めた。専業作家としてやっていけるかと思ったが、駄目だった」
「いうなれば島田荘司推理小説賞を獲ったことで、島田先生から”お墨付き”をもらってしまったわけで、賞を獲ってからのプレッシャーは凄まじかった」
「現状では他の作者の作品が(日本では?)読めないこともあって、自分の作品が台湾を代表しているわけではないのだが、大変なプレッシャーがある」
「他の台湾の作家の作品も海外で翻訳刊行されれば素晴らしい」

以上、寵物先生からの話が終わると、続いて「では、寵物先生が受賞した島田荘司推理小説賞とはいったいどういうものなのか」ということを紹介するために、第一回目から島田荘司推理小説賞を担当されている文藝春秋編集者・荒俣氏の説明も交えて、つい先日行われた第四回の授賞式を様子を伝えるビデオ上映が行われました。そしてイベントは無事終了。御大のトークもあるとはいえ、あの話し下手の寵物先生で九十分持つのか、と始まる前に不安でイッパイだったのはナイショですが(爆)、自身の体験と台湾ミステリーの歴史も重ねて語られた内容は資料的価値も高く、個人的には非常に愉しめた次第です。

ということで、ちょっと長くなってしまいましたが、イベントのレポートはこれにて終了。次回からはまた『推理大師 島田荘司訪台講座』の内容紹介を続けていきたいと思います。

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