第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(5)

 

 
前回の続きです。数回に分けて、授賞式のあと小休止を挿んで行われた『推理大師 島田荘司訪台講座』をテープ起こししたものを公開します。講座のタイトルはかなり長く(爆)『島田十問 本格推理大師的夢幻問答 島田荘司への10の質問』。台湾ミステリ作家や大学のミステリ研から寄せられた十の質問に御大が答える、という形式で講座は進行しました。

Q1. 自作の中で、もっとも好きで、なおかつ印象深い作品はどれでしょうか?(中國醫藥大學推研社からの質問)

 それは何といっても『占星術殺人事件』ということになりますね。この台湾でも一番最初に紹介されたのは『占星術殺人事件』だし、中国大陸にも最初に紹介されたのは『占星術殺人事件』ではなかったかと思います。ベトナムでもそうだし、台湾でもそうでした。それから今度九月十五日にイギリス、プーシキンという出版社から出ました。これも『占星術殺人事件』。英語だと”Tokyo Zodiac Murders”という作品なんですけれど、すべて占星術が切り込み隊長のように一番最初に出ることになりました。そしてその『占星術殺人事件』が台湾に上陸したことによって中国に上陸することができたし、また皇冠との付き合いができ、そして島田荘司展、あるいは島田賞の企画立ち上げにも繋がりました。すべてこの作品のおかげなんですね。

 だから一番印象深い作品と言うとこれになります。ただ、書いてしばらくはね、デビュー作という思いも強かったし、あまり上手じゃないころ、という思いがあったので、どんな作品もね――書いても書いても占星術と比較されるし、占星術以上の評価を得るということは難しかったので、『占星術殺人事件』という作品を忘れたいと思ったこともありました。でも今はそんな素晴らしい世界、アジアミステリー、アジア本格の時代を拓いてくれた作品ですのでね、この作品のことは大変好きだし、誇りにも思っています。

Q2. 本格ミステリー(御手洗)、リアリズム型の刑事小説、新・御手洗シリーズ、多目的型本格ミステリーから21世紀本格という作風の転換は、どのような影響によるものだったんでしょうか?(台灣大學推研社からの質問)

 何度か分岐点といいますかね、ターニングポイントがあったと思います。それぞれ理由が違っているかと思います。『占星術殺人事件』を書いてデビューしたころ、日本で清張の呪縛というものが作動していまして、社会派じゃなければなかなか本にできない、評価もされないという時代だったんです。この問題もあとでね、文学論、それから文学と探偵小説との差という質問がありますが――そこに繋がると思います。それで簡単に話しますけれど、『占星術殺人事件』を書いたあと、たくさん本を売ろうというふうに言ってくれるカッパノベルズという出版社で吉敷というね……「社会派的な刑事が主人公の小説じゃなければとても本が売れないんですよ、今は」と言われて、カッパノベルズの編集者と一緒に社会派的主人公――つまり社会派というのは名探偵を認めないんですね。職業的に許された刑事だけが事件を推理し、追いかける資格があるので、吉敷という刑事をつくることになりました。

 私は本をたくさん出してお金持ちになりたいという思いはなかったんですが、しかしプロの彼らの考え方はやはり正しくて、吉敷ものは大変よく売れました。吉敷のものはトラベルミステリーが多かったんですが、これは別に無理矢理曲がり角を曲がったという、そういう印象はなく、私はトラベルものも好きだったんです。ですからこれは自然でしたが、しかし吉敷ものへの転換は、鉄道ミステリーものへの転換というふうにとらえられましたですね。

 ですから最初の転換はある程度以上本が売れて、読者とコミュニケートができる、まあ一線級の作家というんでしょうかね、そういう作家になるための転換であったというふうに今からは言えますね。

 それからも小さな転換というのはあったんです。例えば綾辻さんたちを紹介して、新人を推薦していく作家、先輩というポジションが生じましたね。そのたびに批判する勢力はありましたけれど、今は良かったと思います。だって、綾辻さんたち新本格の人たちを推薦していなければ、つまり批判派の声に負けて推薦していなければ、今本格ミステリーは存在していないかもしれませんね、日本にね。ですからあれはやはり必要なことでした。

 21世本格という考え方は、これは理屈から出てきたものなんです。世界のミステリー史というものを考えたとき、どうしてもこれが必要だというふうに考えたんです。この説明をするためには、ミステリー史、ミステリーの歴史というものをざっと辿っていく必要があります。

 本格のミステリーというものは1841年にモルグ街の殺人事件、アメリカの作家ポーの書いたモルグ街の殺人事件という小説によってスタートしたということでもう、今は争いはなくなりましたね。このほかにホームズ譚というものが続きました。シャーロック・ホームズシリーズですね。これらがどうして書かれたかというと、ヨーロッパを中心に当時、19世紀半ばに起こってきた科学革命――科学が台頭してきて、社会がそれによって大きく変革を果たしたという、そういう社会的事情が背景になっているんです。

 人々の素朴な疑問というのがあったわけですね、有史以来、ずっとあったわけです。太陽は何を燃やしてなぜあんなに長い間燃えていられるのか。ものを落とせば何故それは足元に落下するのか。そういった問題。これに答えられるのは、教会だけだったわけですが、科学者が科学という武器をもって台頭して、これに合理的な解答を与えて市民を安心させる。そして啓蒙する。そうした出来事がありました。

 犯罪捜査の世界においても同様の科学革命が起こるんです。それまでは前科者や怪しげなひとを捜査官が勘で引っ張ってきて拷問をして自白をさせる。そういうことが一般的でした。しかしそういったものを否定し、犯罪捜査に科学を導入し、指紋や血液型、そういった合理的な判断によって犯人を特定していく。そこに捜査官の職人芸は入れない。こういう捜査方法をスコットランド・ヤードというものがね、競合してスタートするわけです。

 そして昔ながらの拷問が行われたりしていないかと言うことを社会の最高権威者たる市民が陪審員として監視をする。そういう形で陪審員制裁判というものもその時期からさらに充実していったわけですね。こういう科学発想、そして新しい名探偵ともいうべき科学者の登場、そういうものに感動を受けた作家たちがまったく新しい犯罪捜査ものという小説を書き始めるわけです。ですから警察官は特権意識を発揮して威張ったり自分たちが得た情報を隠したり、犯罪現場で何を拾ったかを一般市民には隠すなどということはしませんね。市民にも平等に開示をして、市民が納得いくような形で論理的に殺人事件に説明をつけていく――こういう世界が描かれています。

シャーロック・ホームズシリーズものというのは、またそれがさらに発展されたもので、ホームズは名探偵という以前に科学者であるわけです。彼はベーカー街221Bの自宅でさかんに化学実験をしたりしますが、これらはまぁ、物語の中では一リットル中にほんの数滴入った血も間違わず検出する、そうした薬品を探していた、ということがあったようですね。つまり彼は犯罪学という新しい科学ジャンルを世の中に定着させようとしてさかんに頑張っていた、奮闘していた、焦燥の科学者であったということです(続く)

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