第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(9)

DSC01554-1

またちょっと間が開いてしまいましたが、前回の続きです。


Q5. 先生の創作についてですが、まず大まかに物語のあらすじや細部を考えてから書き始めるのでしょうか? また一日に何枚書く、というようなノルマを自分に課していますか? 創作を続けてきた中で、その書き方を変えたことはありますでしょうか? ほかにも、先生は執筆をするときどんな環境で行うのが良いと感じていますか? 静かな場所でしょうか? あるいは音楽をかけながら執筆を行うのでしょうか? もしそうだとしたら、どのような音楽をかけていますか? (ミステリー作家・陳浩基)

ちょっと順番が変わりますが、最後から述べると、小説を書き始めてから驚いたことは、音が邪魔だと言うことでした。絵を描いているときは、音楽というのは絶対的に必要なんですね。音楽がないと退屈でとても続けられないんじゃないかと思うくらい、音楽が必要でした。でも小説を書くとき、まあそれに慣れていなかったせいもあるんでしょうけど、まったくの無音でないとやりずらいということがあって驚きました。それは今でもその傾向はあります。まあ、音楽がかかっていても書けますけれども、音楽がかかっていた方が書きやすいとか、かかっていなければ書けないとか、そんなことはまったくありません。音楽を聴くとしたら、小説書きを休んでちょっと休憩しよう、ちょっとリラックスしようとか、そんな時ですね。陳さんのこの質問は非常に重要な問題を含んでいます。だからそれに関しては重要なアドバイスができるかもしれませんね。

多く小説を書くって言う人たちも、たとえば物作りのお仕事のように、さぼってはいけないと考えている。アイディアが何も湧かないとき、例えば一日原稿用紙十枚書く、これをノルマにして、何も浮かばなければ何でもいい、アイディアが何もなくてもいいから、先で何が起こるか判らないけれども十枚を書く、そうやって枚数を合わせるという考え方。これをする人がいます。

これは練習をしている時。まだプロとしてデビューしていない時ですね。プラクティスの段階ではこういうことをしてもよいでしょうけれども、プロとしてデビューしてからこれはやってはいけないんです。このようなアイディア、このような事件が起こり、このような解決をする、トリックがあるならばこのようなものと、すっかり決めて――小さな変更はあってもいいんですよ、勿論。それから魚肉をつける部分では書き出しから考えてもいいです。でも背骨の部分では、完成してから書くということを心がける方が良いです。

一線級の作家、才能のある作家というのは、どういう作家のことなんでしょうか。それは良い作品、人が驚く作品、あるいは感動する作品を歩留まり高く書き続ける人のことです。つまり良い作品だけを書いている人ですね。しかし多くの作家たちは、良い作品も、良くない作品もまとまって出ていきます。だから打率みたいなもんでね、三割くらいの作品がある。あるいは五割くらいの作品がある。そういう人たちが大半です。これは普通の作家の有り様です。もちろんこういう人たちもいていいわけですけれども――そう言い切ることの危険も承知していますけれども――しかし一線級に出るならば、良い作品のアイディアと言うものをつくってから書き始めなければいけないんです。これは鉄則です。

しかし、では良いアイディアを思いつかないからと言って、五年間沈黙する、あるいは三年間沈黙して五年おき、三年おき、そのくらいのペースでしか小説を書かないという作家がいます。これはエンターテインメントというジャンルにおいて、今言ったように多作をする人が良い悪いではないです。非常に困った状態ですよね。どっちに行くが良いのか、どうしたらいいんでしょうという疑問が湧きます。ここに解決方法はあるんです。それはリストを作ると言うことです。つまり良いストーリー、本格ミステリーだったら、本格ミステリーのミステリーとしての良いアイディア、人が驚くようなアイディアをつくる時間を、あるいは時期を別個に用意するということです。

非常に天才的な作家は、こんなリストなんかなくても良い作品を続けることができますよね。書く作品書く作品、みんな傑作である。そういう作家はありえます。しかしそれは頭の中にリストがあるんです。このやり方はどんな天才でも五年程度経てば、やはり続かなくなります。良い作品も悪い作品も混じって出ていくというふうになってしまいます。良いアイディアをひねり出し、それを紙に書いて――紙に書いていってというのは、キーボードで打ってということでも良いんですが――文字にして残しておくということです。それは非常に大事なことです。

例えば初めて間もない時期に大きなアイディアを思いついた。こんなアイディアは忘れるわけがない。だから紙に書く必要はないと考えがちです。でもそうではないんですね。紙に書けばその次の段階が必ず見えてきます。そして紙に書くことで、そのアイディアが良いものかそうでないものか、冷静に見られるようになるんです。ある夜中に大変な良いアイディアを思いついた、それでもって興奮して紙に書いて翌朝眺めてみたが、それほどでもなかったということはよくあります。あるいはその逆もあります。たいしたことないな、と思っていても翌朝読み返してみると、あれ、悪くないじゃないかと思うこともあります。

いずれにしてもあるアイディアを経て、それを文章化し、一ヶ月くらい経ってから読み返してみると、どのくらいのランクのものであるか、本当に良いものであるか、凄くいいものか、まあまあのものであるか、そういった評価が他人のアイディアを見るようにして、できるようになるんですね。アイディアがたくさんにあれば、他のアイディアと比較することもできます。そしてますます――相対的にね、そのアイディアの善し悪しを評価することができます。

そうしたら、良いアイディアから順に、良いアイディアのグループから順に書いていくんです。そうすると各作品、リリースされる作品がすべて傑作ということが、理屈からなっていくわけですね。そうすれば自分の審美眼、選択眼が間違っていない限り、簡単に一線級の作家になる、最前線に躍り出ることができます。これは書きながらアイディアを補充することもできるし、つまらないと思うアイディアでも三つくらい一緒にしたら傑作になってしまったり、ということも起こりえます。あるいはある殺人事件が、完全犯罪を目指す殺人計画であるとすれば、それがそれほどでもないアイディアだとしても、行動に起こし、失敗させてみる。というふうにすると、思いがけずミステリー現象が現れるということがあります。

私は若い人や後進の人によく言いますが、リストは必ず必要だということです。でもその重要性はなかなか理解されないことが多いです。そこで最初の質問に戻ります。アイディアがないときに文字量、文章量、辻褄を合わせるためになんで良いから書くということをしてもいいでしょうかという質問だと思うんですが、リストがあればそんなことをする必要がありません。リストがあれば、良いものから順に書いていけばいいんですから。すべて有効な執筆であるということができます。では次の質問。

[関連記事]
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(1)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(2)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(3)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(4)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(5)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(6)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(7)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(8)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(10)
第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(11)
13.67 / 陳浩基