第四回島田荘司推理小説賞レポート@台湾(11)

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またまたちょっと間が開いてしまいましたが、前回の続きです。講演会のテープ起こしについてはこれで終わり。残り三つの質問を一気にいきます。

Q.8 島田先生は、学生時代にミス研へ参加していたことはありますか? ミス研について何か意見はありますでしょうか? また創作のインスピレーションを維持するための工夫というものがあったら教えてください(台北醫學大學推研社)

これはですね、私自身の経験を言うと、ミステリー研に入ったことはありません。属していたこともありませんですね。ただ小学校の時にミステリーを書いて、みんなに朗読して聞かせて、みたいなことはありました。あのときにミステリー研ができたらそれは入ったでしょうけれど、特に入る機会はありませんでした。ミステリー研の問題点っていうのは、あるかもしれませんですね。しかし良い点もあると思います。新本格のムーヴメントは平成っていう年号の時代に入ってから台頭してきました。これは綾辻さんたち、京大のミステリー研というものが存在しなければあんなに効率よく、めざましく向上する、実績を上げることはなかったかと思うんです。

しかし弊害もまたなくはない。ミステリー研というのは閉じた世界だと言うこと。その中でヒエラルヒーが生まれてしまい、陰口とか怒りとか、そういったものが蔓延してしまうという傾向はなしとしないですね。これは台湾の大学のミステリー研ではきっと、それほどないんじゃないかと思う。中国もないんじゃないかと思うんです。でも日本にはそれはなしとしない。それは日本語の構造ということが関係しているんじゃないかという気がしています。

ミステリーの評論をしていると、ついついミステリー研の先輩たちが、現役の作家たちより偉くなってしまうということがありますね。こういう世界ができあがってしまうと、小説を書かないということが起こってくるわけです。小説を書いてしまうと、現役作家より書けないということがばれてしまうので、小説を書かないミステリー研というのがやはり存在していますね。東大のミステリー研というのはそういう理由で……もちろんそんなことをいったら反論するでしょうが、東大のミステリー研は創作をしないんです。東京大学出身で、これはミステリー研の出身ではないんですが、軽音楽研のサークルで……(以下、御大が「こんなことをいっちゃうと誰だか判ってしまう」と言ってるのでこの部分割愛)……しかし、京都大学は創作をやってくれた。これはナンバーツーであったということがあったのかもしれない。つまり失うものがなかったということ。東大の二番目であるということから創作がしやすかったのかもしれませんですね。

(京都大学を卒業している通訳の張さん「京大は東大の二番目ではないですよ」)。

そういうような意見は当然出るでしょう。大学ランキングなんていうものもね、まったくあてにならないという考え方もあるでしょう。……まあ、ともかく、京大の彼らが考えてきたこと、そして実践に移してみると、意外に現役作家たちは脆かったということですね。「清張の呪縛」と言うことも関係していたのかもしれないが、本格という軸においては現役作家以上のクリエーションができた、やってみれば簡単にできたと言うことがあったわけです。まあ、ともかくミステリー研の時代というのは、ミステリーに特化して読書三昧に耽ることもできるでしょうし、創作三昧に耽ることにできるし、貴重な時間ですね。卒業してからはなかなかそういう時間は――卒業してみれば判りますが、取れないんです。

ですからミステリー研の人たちに申し上げたいことは、そういう閉じた世界での力関係ですね。内部の中で小さなピラミッドができてしまいがちであるということ。こういうものを作らず、純粋に、特に創作意欲というものを持ち続け、そして創作をして欲しいと言うこと。京都大学のミステリー研のように、実際に日本という国のミステリーの水準を高めたという例があるわけですから、是非、創作に精を出して欲しいという事を思います。

では次の質問をお願いします。

Q9. 現在の情報化社会においては、最新の科学知識も容易に手に入れることができます。こうした情報化社会という新世紀の環境において、「21世紀本格」はどのように発展するものとお考えですか? また「21世紀本格」の創作者はどのような挑戦ができるでしょうか?(推理評論家:舟動)

そうですね。今のミステリー研の話とも共通するかもしれない。二十代の頃、三十になってからも学者として出て行くひとも、三十代が中堅なんですね。私の知り合いで大阪大学の教授をやっている人がいますが、この人、メタンハイドレートの掘削技術を開発したと自分で言っています。でも四十を過ぎたら全然アイディアが出なくなっちゃった。三十代のアイディアを小出しにして使っているんだと言うことを言っていました。京大のミステリー研のように、我々は在野にあってアマチュア集団なんだという謙虚さは大事なんですが、実際に行動を起こしてみると、あっという間に第一線級に躍り出るということも起こりえるんですね。自然科学の分野もそれはありえます。

21世紀の生物学にしろ、様々な科学のジャンルにしても、多くはその発見や――特にそのセオリー、説明は物語であることが多いですね。例えばミトコンドリアというものが、生物の外側にいて、それがあるとき生物の内部に――生物のまあ、先祖の中に入り込んで、かつ細胞の中を満たすようになり、哺乳動物のエネルギーを与えるようになるなんてね、非常に不思議な物語です。これ、誰が発見したんでしょうか。しかし現実にそういう物語に科学は満ちているわけです。自然科学で行われる不思議な現象、事件とそれを解明し、現場に駆けつける科学者というのは、事件とそれを解決せんとする名探偵の関係といって全然誤りではないですね。さらには奇妙な症例で苦しんでいる患者が運び込まれた。病名が判らない、原因も分からない。そういうなかで問診や様々なデータを駆使しながら、病名を特定していき、そしてこれを治癒する手段を指摘していく腕のある医者。これは完全に名探偵ですね。

それから例えばインフルエンザという病気がいつも似たような場所、まあだいたい同じような場所から起こってくるという不思議な事件があります。現場に駆けつけてみると、人間とブタとアヒルが接近して暮らしているというような不思議な状況証拠が挙がってくるわけですね。なぜそうなるのか判らなかった。しかし調べていくと、北極圏から飛来してくる鴨がアヒルに病気をうつし、そのアヒルがブタに移し、ブタの中で遺伝子交換が行われて人間に移るような形に病原菌が変わり、これが人間に移っていくインフルエンザの発生源になっていくということがだんだん突き止められてきたわけですね。

ではなんで北極圏からやってくるカモだけがインフルエンザの源菌、というか、元になる菌を持っているんでしょう。北極圏に菌がいるということになるようだが、ではなぜ北極圏に菌がいるんでしょうか。そのストーリーはまだ存在していないんです。誰かがクリエイトするのを待っているんですね。誰かがこれを突き止めるだろうと思います。しかしそれは、もしかしたら私の予感としては、物語作家としての才能を持った科学者ではないかな、という気持ちがあるんですね。

植物の歴史もそうですよね。最初はシダ植物からスタートし、胞子を散らしてその廻りに仲間を増やしていったわけです。しかしこれには限界がある。だから甘い実を用意して、その実と一緒に種を昆虫や鳥に運んでもらうという戦略を立てることによって、爆発的な植物の拡がりが得られていった、ということが大きな意味であろうかと思うんですね。

これは植物の戦略ですよね。しかし誰が考えたんでしょう。植物に脳はないんですよね。では植物が考えたんでしょうか。植物以外のひとが考えた? 何によって考えたんでしょう。これらは不思議な物語ですよね。たとえば今の話でいえば、実をつけるためには花をつけないといけない。植物は花という美しいものを持つようになっていった。ところが花を恐竜が食べることができなくなり、恐竜は追われて北の方へ北のほうに逃れて絶滅したという物語もありますよね。これは当たっているかどうかは知らないが、こういう物語もある。自然科学の世界にも物語で満ちているということですね。だからこういう事を考えるときに21世紀本格の創作というのは、ある種のプラクティスがね、現実をたぐり寄せていくということもあるんじゃないかな。あるいは科学者に必要な能力なんじゃないかな、っていうことを考えますね。

たとえばジェラシックパークっていう映画なんかね、松ヤニだったかが固まって、その中に蚊が入っていた。そのDNAを分析することによって、当時のDNAを再現するというSF作家の妄想というものが科学者への挑戦だと考えられて、科学者があのストーリーにするんですね。あれはまあ、映画にしかなっていませんが、そういう物語作家のインスピレーションが実際に科学を前進させていったり、誰も気づかないようなものを探り当てていったりするということは起こりえると思います。思い出しました。琥珀ですよね。琥珀。ヤニが固まって鉱石になっていく。その中に蚊が閉じ込められている。その中のミトコンドリアDNAは取れるということかな。まあ、そういうようなことがありましたですね。では最後の質問。

Q10. 創作の種が尽きてボトルネックに辿り着いてしまったとき(スランプに陥ったとき)の対処法はありますか。またこの賞もすでに四回となりますが、先生がこの賞に対して新たに期待していることを教えてください(暨南大學推研社)。

新しく期待すること……これは私が持っているイメージなんですが、ボトルネックを生じさせてはいけないということですね。これはとても危険なことです。ボトルネックというが、例えば挫折ということ。ある作家の歴史において、挫折があって落ち込んでしまった。それから立ち上がって以前と同じ、あるいはそれ以上の創作をするという例は少ないように思います。

挫折が起こる理由というのはもう説明したように思います。リストの問題ですね。物語作家というものはアグレッシヴに能動的に仕事をしなければいけないものなんです。受け身になってはいけませんね。もちろん絶対に受け身にいくという方法もあるんですけれども、発注を受けてから構想を開始し、書くということを繰り返していると、さっきも言いましたが、良いものも悪いものも出て行くという形になり、普通の作家になっていってしまいます。その場合、当然挫折が起こります。人間の人生というのは長いものではありませんし、作家の人生――つまり創作し、発表をする人生といったらさらに短いものです。そのなかで挫折したり、ボトルネックを起こしていたりする時間はないんです。

大きく発展する人というのは、大きな挫折を持たなかった人のことなんです。人生のある一時期筆を置いてね、創作のリストをつくり、自分の創作人生全体の計画を立てること。それは未完成で良いんです。こういう発展をしたらいいなというふうに希望を書いておく、後半においては。ということでもいいんです。しかしそういうリストの存在、それから全体的な計画というものは絶対に必要なんです。そうすることによって作家は前例がないくらい大きな存在に育つことができます。

――じゃあ、よろしいでしょうかね。時間もかかりましたのでね。いずれにしても台湾の……あるいは、華文のミステリー作家たちの皆さんに大変期待は大きいです。私は大いに期待しています。頑張ってください(会場拍手)。

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